やさしいひと

今日は何もかもが駄目な日だ。そう悟ったのはお昼過ぎのこと。寝坊して朝ごはんを食べ損ねるし、授業で使った忍具の片づけを言いつかったら用具倉庫まであと一歩というところでひっくり返してしまうし、それを拾い集めていたら通り雨に降られてびしょ濡れになった。着替えに戻っていたら遅刻してしまうと思ってそのまま過ごしたせいで心なしか寒気がするし、満身創痍で午前中を乗り切って食堂へ向かったら好きなおかずがある方の定食が売り切れていた。
本当に、散々である。わたしはすっかり気落ちしてしまっていて、いつもは楽しみにしている委員会の当番へ向かう足取りも重たくて仕方がない。ああ、今度はどんな災難が待っているのだろう。今日のわたしは図書ではなく保健委員会の方がよほどぴったりだ。

「はあ……」
「奈緒ちゃん。どうしたの、ため息なんかついて」
「わ、びっくりした。雷蔵」

後ろからかけられた声に振り返れば、忍たま五年ろ組の不破雷蔵がいた。
まあ、同じ当番なのだからいたって何も不思議ではないんだけれど。できれば先に図書室にいてほしかったなあ、なんて。今思っても仕方がない。

「顔色もあんまりよくないような気がするけど、何かあった?」
「やー……あはは。ちょっとね」

笑ってごまかそうとしたものの、そうはいかないらしい。眉をひそめて顔を覗き込んでくるその瞳は心配してますと雄弁に語っていて。本当に、彼は優しい人だ。そんなところを好きになったんだけど、好きだからこそあまり無様な姿は見られたくない。逃げるように視線を逸らして、わたしはなるべく自然を装いながら雷蔵と距離を取った。

「ほ、んとに、大丈夫だから。ほら、早く行こう」
「……君がそう言うなら。でも、いつでも頼ってね?僕にできることならするよ」
「うん。心配してくれてありがとう」
「当然だよ」

当然だよ。そう言って笑った彼の言葉の意味を、その時のわたしは深く考えていなかったんだけど、今思い返すと全部分かってしまって胸の奥が熱くなる。
今日も今日とてちょっぴり悔しいことがあった。気持ちを落ち着けようと人気のない場所を選んで膝を抱えてみたのだけれど、本当に静かで、まるでここには自分しかいないんじゃないかとさえ思えてきそう。

「あ、また一人でへこんでる」

錯覚に浸っていたわたしを引き戻した声。顔を上げると、角から覗いた雷蔵が目の前まで来て腰に手を当てた。仁王立ちと言うやつだ。というかこれ、とてもデジャヴ。

「僕を頼って、っていつも言っているのに。どうして君はそうかな」
「ごめんごめん。でも、今日は本当に大丈夫だよ。大したことないから」

ぷりぷりと怒る雷蔵は、わたしの顔をじっと見るとちょっと眉を下げた。

「隣、座ってもいいかい」
「うん」

実技終わりなのだろうか、微かに汗の香りをまとった彼が横に腰を下ろすと、少しだけわたしの体温も上がったような気がする。いつまでも慣れないものだなと思っていたけど、きっとこれは雷蔵が陽だまりのような人だからなんだろうとわたしは最近考えを改めたのだった。

「あのね、奈緒。一人で、僕の知らないところで、そんな顔をしてほしくない。やりきれない思いを抱え込んで苦しむ君を後から見つけるのは、とてもつらい」
「大袈裟だよ、雷蔵」
「そんなことない。そのくらい奈緒のことが大事なんだってば」
「……うん、分かってる。ごめんね、ありがとう」

こんなに甘やかされて、大丈夫かな。口に出したら、こんなの甘やかしてる内に入らないよと言われるだろうから呑み込んだ。代わりに感謝の言葉を繰り返すと、雷蔵は笑ってわたしの頭に手を乗せた。慣れた手つきで優しく撫でられ、それがどうしようもなく心地よくて思わず温かい手に擦り寄る。

「君は何でも一人でこなしてしまおうとするから時々上手くいかなくなるんだ。僕や、周りの人たちにもっと頼って。お願いだから」
「そうできるように頑張ります」
「分かればよろしい。……で、今日はどうしたの」
「んー、忘れちゃった!」

あははと笑うと、雷蔵はぱちぱちと目を瞬かせてそれから笑みを零した。

「そっか。それはいい」

優しい人、大好きな人。あなたのことを考えていたら、悲しいことも辛いことも全てどこかに飛んでいって見えなくなってしまうよ。それにどれだけ救われていることか。

「雷蔵って優しいよね」
「ふふ、当然だよ。君だから」

悪戯っぽく笑うところも大好き。
好きになって、片思いして、付き合って。いろんな雷蔵を少しずつ知っていくけれど、どんどん好きになる一方だから、ああもう、困っちゃうな。幸せだ。


20181210
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -