まろやか

若いほうの山本シナ先生による実技の授業を終えて、汗で頬に張りつく髪を耳の後ろに追いやっていた時、喜八郎がふらりとわたしの前に現れた。

「君のために穴を掘ったんだ。来て」

聞き返す間もなく、断る間もなく。時々強引になる喜八郎はこうなると何を言っても聞いてくれない。経験からそれを知っていたわたしは仕方なく促されるままについて行き、到着したのは裏門近くにあるちょっとした木立の中だった。

「ここ?」
「うん。人があまり来ないから静かだし、木の陰だから涼しいでしょ」

確かに、例えば昼寝をするんだったら最高の穴場かもしれないけれど。穴だけに。でもこんなところに落とし穴なんて、危ないんじゃなかろうか。知らずに通りかかった人が落ちてしまう可能性大だ。なんとも言えず黙ったわたしの脳裏に、ふと二つ上の血気盛んな先輩の怒声が蘇ってきた。
「喜八郎!お前はいつもいつも!」と雷を落とすのは、用具委員会委員長の武闘派忍たま六年生、食満留三郎先輩。ちょっとやりすぎた穴掘り小僧と怒れる修補担当、この二人のやりとりにわたしは何故か度々居合わせてしまうのだけれど、食満先輩のあまりの迫力に叱られている本人よりわたしの方がずっと委縮してしまうのが常だった。けろりとしている喜八郎がわたしには信じられない。

「嬉しいけど、また食満先輩に怒られるよ」
「嬉しいならいいんじゃないの」
「よくない」
「どうしてそんなに食満先輩のこと気にするのさ」
「先輩じゃなくて、怒られる喜八郎のことを気にしてるんでしょ」
「……ふうん」

気のないように聞こえる返事をして、喜八郎はその落とし穴のそばに踏子を突き立てるとそのまま下へ降りてしまった。なんだかわからないけれど、彼の欲しい言葉をまんまと言わされた気がする。だって、喜八郎は気まぐれでも子どもじみたやきもちをほいほい口にする人じゃない。だから今のも、駄々をこねる素振りをして見せただけ。本気かどうかの見分けはついてもまだ彼の思うままに転がされているのは、わたしが未熟な証なのかもしれないなあと思う。これが平滝夜叉丸くんあたりの付き合いの長さになると、いっそう容赦がない。
とまあ、そんなことはともかく。ぽっかり開いた落とし穴をそっと覗き込んでみると、思ったより広い。底には葉っぱが敷き詰められていて、正直快適そうだった。既に寝転がって目を閉じている喜八郎の横にはまだ一人分の余裕はあって、これは。

「うーん、いやでもさ」
「降りてきなよ。べつに、昼寝した後埋めたら食満先輩にも文句なんて言われやしないよ」
「素直に埋めるんだ?」

少し意外に思って聞くと、喜八郎はちらりと片目を薄く開けてさも当然といった顔でわたしを見上げた。

「君のために掘ったって言ったでしょ。だからほら、はやくおいでってば」
「えっ」

にわかに顔のあたりが熱くなるのが自分でもわかった。元々暑かったし、汗もかいていたけどもちろんそんなのとはまるっきり違う。わたしのためって、いや確かに言ってたけど。嬉しいやらくすぐったいやらで言葉が出てこないわたしをどう思ったのか、喜八郎は「僕は寝る」と今度こそ完全に昼寝の体勢に入った。

「わ、わたしも寝る」

慌てて穴の底に降りると、空気の温度が下がったのがすぐに感じられた。程よく暗くてつめたくて、寝転ぶと火照った熱や体の疲れがじんわりと溶けていくのが手に取るようにわかる気がした。

「ねえ、喜八郎」
「なあに」

「ありがとう」と呟くと、ややあって「どういたしまして」と返ってきた。気を緩めると、睡魔はすぐにやってくる。まぶたと共に重く沈んでいく意識の名残りが、何かにそっと頬を撫ぜられるよな感覚を拾って。でもそれを確かめるより先に、心地よい眠りはわたしを完全に絡めとっていったのだった。


20220511
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