うたかた

うららかな陽射しの中、野辺に咲く花の間をはらりひらりと舞う蝶がいた。
まだこんなところに蝶なんかがいるというのが少し意外で、思わず俺は手を止めて視界の端をちらつくその子に目を向けてみた。つかみどころのない動きで自在に漂うさまは、視線を引く魅力があると同時にどこか不安定で妖しい。
そういえば、「蝶は不気味で好かない」と言うやつがいたな。
ふと思い出したのだが、思い出したことがなんだかちょっと可笑しかった。本当、記憶というものは唐突に、しかし生き生きと息を吹き返す。まるで芋縄を湯で戻したかのようだ……。

「……芋縄」

いやそれはないな。芋縄だなんて、我ながら例えとしては最高に格好が悪い。しかしまあ、腹が減っているのだから、仕方がないといえば仕方がないことであった。
ああ、そうそう。よくよく見ていれば蝶の飛び方にだって法則があるのだ。でもそんなことを言えばまた呆れたような拍子抜けしたような顔をされてしまうと分かっていたから、俺はあの時黙っていたのだっけ。
「竹谷はいいなあ、羨ましい」と言っては笑っていたその瞳に浮かんでいた色は、もう思い出せない。己が薄情なのか、ゆっくり立ち止まる暇も与えぬ時代が酷なのか。
完全に作業が手につかなくなった俺が浅葱の舞姫に手を伸ばしたのは、ほんの気まぐれだったけれど。届きそうで届かないのがもどかしく、また次こそはと一歩を踏み出したらすぐに夢中になった。草を掻き分け、茂みを乗り越え、見失っては刹那ののちにまた見つけ、追う理由も分からずにただ足を動かした。
そうして、導かれてか惑わされてか辿り着いたのは見たことのない美しい野原だった。光が溢れ、花々は咲き乱れ、さわさわと清涼な風がそれらを揺らしている。ここは、どこだ。
こんな場所を、俺は知らない。知らないはずがないのに。
ふと、俺が束の間執心していた蝶が鼻先をかすめてそして、野の向こうへと遊んで行った。ぼうっとその姿を追った目は、その先で大きく見開かれることとなる。

「何だ……これは、夢か」

俺は今、どこに揺蕩っているのだろう。わからない、夢か現か、それとも幻か。ただはっきりしているのは、ここから数歩勢いよく飛び進めば、忘れてしまったあの色がどんなだったか確かめることができるという、それだけ。
それだけで、涙が出そうなほど十分すぎた。


20201108
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