金魚すくい

子どもの頃は、金魚すくいってやらせてもらえなかったよね。そう言った彼女がふっと大人の顔をした気がして、俺は考えを変えることにした。

「じゃあ、やるか」
「え?」
「金魚すくい」
「でも、わたし明後日にはあっち戻るし、連れて帰れないよ」
「いいから、俺が引き取るから。ほら」
「……うん、三郎がそう言うんなら」

頷いたときの顔に残る戸惑いも、それを見て感じた微かなノイズも、全部無視するようにして俺は屋台へと足を向けた。金魚すくいなんてやったこともやろうとしたこともなかったのだが、いざいくつかの硬貨とポイを交換してしゃがみ込んでみると、案外こういうのも悪くない気がしてくる。祭りの魔力だろうか。
浴衣の乱れを気にしてか丁寧に隣で膝を折ったところで、奈緒にも二本あるポイの片方を渡す。顔にかかる髪をすくって耳に掛ける動作が普段よりずっと色っぽく見えて、俺はどきりとして視線を外した。
膝を見つめ、手元を見つめ、青いプラスチックのたらいに泳ぐ、無数の金魚を見つめた。ゆらゆらと縦横無尽に泳ぎ回る緋色たち。こいつらは、この中で泳ぐのと外に出るのとどちらが幸せなんだろうか。世界を知るために捨てる「何か」について、考えたりするのだろうか。
そんなことを考えていたらいつの間にかポイはふやけて破れていて、左手の椀の中には数匹の金魚が泳いでいた。
馬鹿馬鹿しい。自由に泳いで行けるわけじゃない、結局は勝手にすくわれて勝手にべつの箱に入れられるだけなのだ。
的屋の男に破れたポイを返す。「それ、持って帰るかい?」という言葉にも、俺は心なしか重くなってきた頭を軽く振るに止めた。
明らかに考えすぎだ。自分らしくないと思う、こんなに不安定になるのは。わかっている、胸をかき乱すのはこいつの存在。昔からそうだ。俺はすました顔でやり過ごすのが得意だから、向こうが何にも気づいていないのもわかっている。
子どもの頃は、金魚すくいをやらせてもらえなかった。幼い俺は、金魚金魚と泣く奈緒の小さな手をぎゅっと握って、大人たちが諭すのを一緒に聞いていた。生き物を飼う大変さだとか、責任だとか、たしかに子ども心にも思うことはあった。でも何を言われたって、金魚すくいがやりたいという気持ちは彼女の中にあったのだ。
あの時は泣き止まない彼女にただただ困っていたが、今ならその気持ちもわかる。いや、今になってわかってしまったと言うべきなのかもしれない。

「三郎、見て。すくえた!」

ぱっと顔を上げてこっちを見た奈緒の笑顔が、ストップモーションのように心に焼きついた。
ほら、やっぱりこんな風に笑えるのに。

「あっ」

ぱしゃり。
俺の椀から、一匹の金魚が跳んだ。


20200914
確かに恋だった
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