はじまりの夜

目が覚めたら、大自然の只中にいたのだ。平静でいられる現代人がどこにいるだろうか。

「……は?えっ?」

眠気も何も一瞬で吹き飛んでがばりと飛び起きた。虫の声、土と草の匂い、淡く周囲を照らす月の光。なんだこれ、なんだこれ。確かにわたしは、自分の布団の中で目を閉じたはずなのに。
どういうことだ。まさか、誘拐?誰が?どうして?どうやって?
草むらに座り込んだお尻が夜露に濡れて冷たい。だけど、立ち上がって何か行動を起こすような気力もなかった。自分を落ち着かせることで精一杯なのだ。
着ているものは眠りについた時と同じパジャマ、持ち物はなし。ここがどこなのかは当然分からない。誘拐犯に今から殺されるのかもしれないけれど、幸か不幸か周りに人がいるような様子はない。どちらにせよ、財布も携帯もないこの状況で生きて家まで帰り着くのはかなり難しいことに思えた。他殺か遭難かだなんて、なんてシビアな二択。ああ、なんでこんなことに……お巡りさん助けて下さい。
ふと。そこでわたしは考えるのを中断した。空をふり仰ぐと、まん丸なお月様と満天の星々が見えた。こんなにきらきらしている空を見るのは、はじめてかもしれない。

「なんかもう……面倒になってきたな」

そう。そうだ。いくらなんでも突飛すぎる。わたしの手には負えません。
例えばこれがゲームの世界なら、主人公は困惑しながらも立ち上がり周囲の探索を始めるだろう。そうして、迷い込んだ廃工場で恐怖体験をしたり赤い水を飲んだ村人と闘ったりするのだ。
でもわたしなら、どうするだろうか。いつも頭に浮かべていたその選択を実行する日が来るとは思わなかったけれど、今がその時だ。つまり──その場で寝る。これ一択だ。
寝て起きたら朝が来る。行動を起こすにしても明るい方が絶対にいい。それまでに殺されたとしたら……いやもういいや、そんならそれで。
夜風の冷たさにふるりと身を震わせ、あらゆることを放棄しそのまま体を倒そうとしたわたしの耳に、がさりと草木の揺れる音が届いたのは神様のいたずらか。既にだいぶいたずらされている気もするけれど、そんなことより。
今のは、確かに何かが動いた音。誘拐犯が戻ってきたのか、はたまたこれだけの自然だ、野生の動物がいたって不思議ではないかもしれない。例えばそう、野犬とか、猪とか、熊とか。
どきどきと脈打つ体を強張らせながらゆっくりと振り返ると、数メートル先の茂みから出てきたのは……人間だった。

「……?」

人間だったが、その格好がおかしい。緑青色の上下に、頭に頭巾?のようなものを被っているのだが、それが何というか、まるでアニメで見る忍者のようなものなのだ。コスプレなのだろうか。もしかしたら汚れてもいいようにそんな格好をしているのかもしれない。何かそういう作業を、具体的に言うと寝ている人を誘拐し、人気のない山へ連れてきて……ああ、わたしはどんな殺され方をするのだろうか。
頭では最悪の想像をしつつも、逃げ出す元気勇気は湧いてこずじっと相手の出方を窺っていたのだけれど、そうしてみると少し変だった。いやその出で立ちは少しどころではなく変だが。何というか、戸惑っているような。わたしが様子を見ているのと同じに、向こうもわたしを観察しているようなのだ。微妙な距離を保ったまま、わたしたちは探るように見つめ合う。秋も深まってきたこの季節だ、いよいよ体が冷えてきたな。
……この人、もしかしたらただの通りすがりの変な人なのかもしれない。わたしがその可能性を感じ始めたところで、相手側が沈黙を破った。

「あの、こんばんは」
「…………こんばん、は?」

声を聞いて、わたしはその人が男性であることを知った。
月明かりがあるとはいえ夜だ、多少目が慣れてきたものの暗いことに変わりはなく、後ろに結わえた髪で女性だろうと判断していたのだが。どうやら違ったらしい。
というか、こんばんはと言われた。思わずわたしも、首を傾げつつだが挨拶を返したけれど。いよいよ、わたしがここにいることとは無関係なのかもしれない。

「僕の言ってること、分かる?」
「え、あ、はい」

こんばんはのことだろうか。頷くと今度はどこかほっとしたような息を漏らした。どういうことなのかさっぱりだ。色々聞きたいことはあれど、この怪しい人にどこまで頼っていいものかも悩みどころなのがもどかしい。

「えっと……すみません。ここがどこなのか教えて頂けますか?」
「ここ?ここは」
「ここは裏々山だ」
「うわっ」

びっ……くりした。思わず声が出てしまったけれど、いきなり木の上から人が降ってきたのだから仕方ない。すたっと軽い身のこなしで緑青色の男性の側に降り立ったのは、またしても同じような、しかし今度は黒色の装束を身につけた男の人だった。背格好は然程変わらないけれど、緑青の人よりも渋い声。
仲間がいたのか……全然気がつかなかった。というか時代錯誤な服装の男性二人と面と向かい合うのはわたしには厳しい気がする。主に処理能力的な意味で。キャパオーバーだ、そろそろどうにかならないものか。

「失礼。あなたはどうしてここに?」

現実逃避しそうになりかけていた意識を引き戻したのは新たな質問。口を開いたのは新しく登場した人だ。どうして、なんてわたしの方が聞きたい。先ほどの裏々山というのも、もちろん聞き覚えのない地名だ。きちんとした地名なのかも怪しいけれど。

「それが、わたしにも分からなくて。夜自分の家の布団で目を閉じて、次に目が覚めたらここにいたとしか言いようがないです、すみません」

二人揃って怪訝そうな顔をされた。そりゃそうだ。しかし考えてほしい、パジャマ姿で裸足の女が夜中に一人で森の中。事件に巻き込まれているか頭がおかしいかの二択だと思う。もし殺す気がないのであれば助けてほしいところだ。
不可抗力の死ならともかく、自ら命を捨てようとまでは思わない。忍者コス二人組でもいないよりマシ。
それにしてもなかなかクオリティの高い衣装……などと思いつつチラチラと盗み見ている間に、どうやら二人の中で何らかの結論が出たらしい。話し合っているようには見えなかったけれど、見るからにそういうマニアの方らしいし、暗号とかそういうのを使っているのかもしれない。知ったことではないけれども。
未だ座り込んでいるわたしと、こちらに足を踏み出した彼ら。かくして両者の距離は詰められた。
黒の人が目の前に片膝をついてしゃがみ込み、わたしと目線を合わせる。

「そんな格好でずっとここに座っているつもりですか。当てがないのであれば、取り敢えず我々と共に来ませんか」
「……!いいんですか」

いやわたしがいいんだろうか。反射的に食いついてしまったがこの変な人たちに頼っていいのか、いいのか自分。
助けてもらう気満々ではあったけれど、いざとなるとやっぱりちょっと不安だ。わたしはビビりなのだ。ここは腰を据えて脳内会議といきたいのだけれど、悲しいかな周りはそんなの待っちゃくれない。

「もちろん。といっても、いやと言われても見過ごせません。今夜は冷える。ほら、もうこんなに体が冷たい」

横でそっと背中をさすってくれたのは、緑青の人だった。はっと見上げると、思ったより若い顔があり、にっこりと笑いかけられた。背に当てられた手が温かくて、自分の体が冷え切っていることに気がついた。
黒の人が苦笑して立ち上がる。しばらく明後日の方向を見ていたかと思うとこちらへ向き直り、わたしたちに立つよう促した。

「さあ、忍術学園へ帰るぞ」
「にん……何?」
「忍術学園、僕たちの通う学校だよ。行こうか、ってそうだ、君裸足だったね」

そういえば、と思う間もなくわたしの体はぐんと地上を離れた。いや、抱きかかえられたのだ。しかもいわゆるお姫様抱っこで。誰に?ってそりゃあ、候補は二人しかいない。

「えっ!あ、あのっ」
「ん?ああ、ごめんね。学園に着くまでちょっとだけ我慢しててね」

いやにっこりじゃなくて、ちょっと待って!
家族以外の男性に抱えられたことなんてないわたしは、暴れこそしなかったものの制止の声を上げようとしたのだが、それより先に更なる驚きが襲ってきて口をつぐんだ。
わたしを抱えた緑青の人は、あろうことかそのまま走り出し、ジャンプし、木の枝の上に飛び乗ったのだ。いや、いやいや。いやいやいやいや!何してるんだこの人!お、落ちる!!

「舌噛んじゃうといけないから、静かにね」
「ひぇっ……はい……」

わたしという大荷物つきで離れ業を披露した緑青の人、息一つ乱さずわたしに忠告したかと思うと更にそのまま危なげなく木々を伝ってどこかへ向かい始めました。どこかって、それはさっき黒の人が言っていたにんじゅつ学園とやらなんだろうけど。にんじゅつ……やっぱり、今までの様子からして忍術、なんだろう。マニアの集う場所的なやつなのだろうか。何それちょっと怖い。
それを言うなら、今この状況が一番怖いのだけれど。枝から枝へ飛び移るって、猿か。猿なのか。男の人に抱えられたとかそんな驚きはもはや彼方へいってしまった。
わたしの頭は限界です。起きたら山の中で、出会ったのはトンデモ忍者マニアで、今から連れて行かれるのはそんなマニアの巣窟で……もう何も分かりません。無理。夢なんじゃないのこれ。とってもリアルな夢。わたしは未だ布団の中で、いつものように惰眠を貪っているだけなのでは。あーなんかそんな気がしてきた。そんなら、眠ればちゃんと起きられる。
わたしはのろのろとしか動かない思考の中で叩き出した答えに従って目を閉じることにした。幸い、地上数メートルを猛スピードで移動しているこの状態でも何故か眠気はやってきてくれている。これはいよいよ夢だ。
背中と太ももに回っている腕や、ぴたりとくっついた体はやっぱり温かいけれど、これもきっと幻。温度を求めるようにすり寄って、わたしは意識を手放した。


20190220
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