同じ呼吸を求めれど

少しでもはやくその一歩を前へと出るために、三治郎は駆ける。
はっはっはっはっ
吸って吐いて吸って吐いて。走るために息をしているのに、その風は胸を鋭く刺していく。苦しい、辛い、でも楽しい気持ちいいもっともっともっと!びゅんびゅんと飛び退っていく景色を耳元で聴きながら三治郎は駆ける。
はっはっはっはっ
いつも一緒に走っている乱太郎の息遣いも気づけば聞こえない。しかし三治郎自身そのことに気がついておらず、視線も思考もただ前方の一点のみに集中している。
頂上が見えた。山田先生も見えた。
はっはっはっはっ
ラストスパートをかけて震える足で地面を蹴った三治郎は、この日、堂々の一着でマラソンの授業を終えた。

「今日の三治郎すごかったね、全然追いつけなくてびっくりしちゃった」
「え、そうかな?えへへ」

三治郎が井戸で顔を洗っていると、横に並んだ乱太郎が感心した風に話しかけてきた。三治郎はというと、ライバルの乱太郎を越して一着であったことはもちろん嬉しかったが、正直なところ他のとある問題が頭を占めていたので今ひとつ素直に喜ぶ気分になれないのだった。

「あっいけない、私今日委員会の当番があるんだったんだ!じゃあ三治郎、先に行くね」
「うん、おつかれ」

さっきまで山登りマラソンをしていたとは思えない軽やかさで駆けていく乱太郎にひらひらと手を振って、三治郎は忍たま長屋へと踵を返した。足が火縄銃にでもなったみたいだ、早く帰ってひんやりした板張りの床に寝そべりたい。きっと気持ちがいいだろう。

「やあ、おかえり」
「兵太夫。もう帰ってたの?」
「うん。もうへっとへとだよ」
「僕も」

部屋の戸を開けると、同室の兵太夫が大の字になっていた。倣って横たわり、真上を見つめてみた。瞼が重くていつでも夢の世界へ行けそうだ。

「だめだよ三治郎。僕たち今日夕飯作らなきゃいけないんだから」

しかし、お見通しとでもいうように兵太夫が釘を刺してきたために三治郎は意識を沈ませることが叶わなかった。恨めしそうに隣を見やってみたが、むこうも同じような顔をしていたからどうしようもない。また数え慣れた天井板の染みに視線を放る。
あーあ、僕はこんなことをしている場合じゃないのに。無駄な時間だ。
いっそ眠ってしまえたら考え事ともいっとき別れられるのに。

「ねえ三治郎、そんなに悩みこむなよ」

兵太夫の言葉も胸の上で滑るだけ。三治郎の胸の内を知るただ一人の彼でもだ。沈黙が支配する気だるい空気の中、二人は結局睡魔には負けた。

三治郎は裏庭の掃除当番で、たまたま相方の兵太夫が遅れていたためにちょうど一人きりだったのだ。そこに小松田さんと先輩の話し声が聞こえて、何の気なしに挨拶をしようと角を曲がって、そうしてたまたま目の前に落とされたひと言に三治郎の酸素は束の間仕事を放り投げて頭を抱えた。

「辞めるって、どういうことですか」

驚いた顔は一瞬で、彼女はいつものやさしい目をした。三治郎では動揺のひとつすらもたらすことはできない。

「そのままの意味」
「忍術学園を出て行くってことですか!なんで、だって先輩は成績も優秀で先生にも褒められてて、先輩には好かれているし僕たち後輩にも優しくって、なのに、せんぱいっ」
「そんなに怒らないでよ」
「先輩……!」
「でもごめんね、わたし、お嫁に行く先が決まったの。まだ先だけど、ここでは学ばないことを身につけなくちゃいけないから」

ごめんねだなんて思ってないくせに、下がった眉は心底思いやっていますと語るのには十分だ。三治郎は間違えてしまう自分が嫌で、それ以上にずるい彼女が嫌だった。

「じゃあね、三治郎」

さらりと三治郎の頭をひとつ撫でて、彼女は背を向けてしまう。見送るなんて死んでも嫌だった。だから自慢の足で走って走って追いかけるのに、その姿はどんどん小さくなっていく。なんで、どうして。ねえ先輩。
はっと目を開けると、天井のまだらが変わらぬ様子で暗がりにぼんやり浮かんでいた。

「……せんぱい、だいきらい」

むなしさしかなくってすぐに後悔した。
寝息を立てている級友を揺り起こして、三治郎は手早く支度を整えた。体のだるさなんてもうどうでもよかった。

「兵太夫、へいだゆう。僕ちょっと走ってくる」
「えっ?今日は夕飯当番だってば」
「ごめん、すぐ戻るから」
「ほんとにもう……次のトイレ掃除代わってよ?」
「ありがと」

友人の思いやりに感謝して、三治郎は忍たま長屋を出た。月明かりの下を、リズムに乗って駆けていく。
はっはっはっはっ
まだ息は全然苦しくないのに胸が悲鳴をあげた。まだだ、僕は、遅い。


20190520
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