あなたとスピン


今朝の天気予報では、雪が降るかも、なんて言っていた。
なるほど確かに空は鉛色だし、おまけにびっくりするくらい寒い。
亀のように首をすくめてマフラーのなかに顔を埋めた。
紺色のダッフルコートは肌触りが硬い。
見下ろせば、プリーツスカートから覗く膝が赤かった。
よく見たら乾燥してちょっと粉ふいてる、やだな、昨日のお風呂上がりにクリーム塗り忘れたからだ。


センター試験まであと一カ月をきった。
たっぷりと教材の詰まったトートバッグを抱えて、予備校からの帰り途を歩く。
受験生にとっては、土日も祝日も関係ない。
けれど講義を早い時間に入れたおかげで、15時には帰路につくことができた。
早く帰ったところで、別に予定はないんだけど。
そういえばお母さんにお使い頼まれてたっけ、窓拭きクリーナー買ってきてって。
交差点で信号を待ちながらブーツの爪先を見つめていると、ふいに背後から肩を叩かれた。


「よ、苗字。久しぶりー」


振り返ると、見覚えのある人が笑っていた。


「か、鏑木先生」
「なーにしてんだ?でっけえ鞄持って」


鏑木先生は去年教わっていた先生で、男子にも女子にもとても人気があった。
私も、ひそかに憧れていた。
卒業式の日も大勢の生徒に囲まれていた。
私もその一員になりたかったけれど、そういうキャラじゃなかったからできなかった。
そのまま卒業してしまって鎮火していた気持ちが、久しぶりに会ったことでゆっくりと燻ぶり始める。


「予備校の、帰りなんです、あの、センター近いから」
「おー!そっか、そうだよなあ、一か月きってるもんな」


感心感心、と頷きながら呟く姿は、あの頃と変わっていなかった。
今日はお休みなんだろうか、紺色のピーコートに、深緑のチェックのマフラーを巻いている姿は、学校で見ていた姿よりもちょっとだけ若く見えた。

鏑木先生が奥さんを亡くしていることは有名だった。
家事にあまり時間をかけられないのか、ワイシャツはいつもなんとなく皺っぽかった。
夏はアイロンの手間がないポロシャツだったし、冬はシャツの上からセーターを着て誤魔化しているのがわかった。
チノパンに便所サンダルをつっかけているのを見て、ちゃんとすればもっとかっこいいのに、と言う女子生徒も多かった。


「な、苗字、今って時間平気?」
「は、平気ですけど」
「せっかくだし、コーヒーでも飲まねえ?」
「え、あ、はい!」
「おし、そんじゃ行くぞ」


信号待ちをする人たちの群れから外れて、鏑木先生の背中を追いかける。


「なー、この辺なんかあったっけ?」
「もうちょっと先に行くと、スタバが」
「お、んじゃそこにすっか」


2分ほど歩いてついたスタバは、いつものことながら混み合っていた。
先生は私に何がいいか聞くと、「席取っといて」と言ってレジに向かってくれた。
戻ってきた先生に自分のコーヒー代を渡そうとすると、「いーっていーって!」と笑いながら断られた。
ここはありがたく厚意に甘えることにして、ホイップクリームの乗った甘いコーヒーに口をつける。


「…で、勉強はかどってるか?」
「う、うう、はい」
「どっちだよ」


先生はコートの下は黒いタートルネックのセーターを着ていて、なんだかとってもかっこよかった。
私はといえば予備校に行って帰るだけの予定だったから、オフオワイトのニットにえんじ色のプリーツスカート、色気も何もない、せめてアクセサリーくらいつけてくればよかった。


「卒業生と偶然会うって、嬉しいモンだなぁ」


先生は本当に嬉しそうで、いろいろと私の近況を聞きたがった。

志望校は去年から変更なし、一番最近の模試でA判定をとったと言ったらとても喜んでくれたけど、最近は毎日8時間勉強しているのだと言ったらちょっぴり眉を顰められた。
ちゃんと飯食って息抜きして、ぐっすり寝てるか?センター前に体調崩したりすんなよ、と言って私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
私は乱れた髪の毛を手櫛でなおす振りをして、熱くなった頬を隠した。
ああ、なんだか、ここは暖房がききすぎているみたい。


「…先生は」
「んー?」


私が言うと、先生はカップに口をつけたまま目を丸くした。


「最近、どうですか」
「んー、そうだなあ」


ひどく漠然とした私の質問に、先生は考えながら答えてくれた。

今年は2年生の担任やっててさ、すんげーノリのいいクラスで。
行事とかもすげえ盛り上がるし、合唱コンクールも優勝して。
あ、あと、久しぶりに修学旅行行った。京都。
男子の枕投げに参戦してたら学年主任に見つかって怒られちまってよー、でも勝った!

きらきらと笑いながら話す先生を見ていたら、なんだか自分も高校時代に戻ったような気がした。
いいなあ、私も、先生が担任だったらよかったのに、なんて今更。


「苗字、彼氏とかいないの」
「え!?」


唐突な質問に、コーヒーを零しそうになった。
先生はにやにやしながら私を見ている。


「い、いないですよ、そんな」
「そっかあ?」
「だって、入試終わるまではそんなこと考えられない、です…」


うそ。
本当は、目の前のあなたが好き。
一年経っても好き。
こんな少しの時間話しただけで、高校時代の気持ちが鮮やかに蘇ってしまった。


「そっか!受験生の鑑だなあ苗字は」


先生の言葉が、ずくりと刺さった。
ごめんなさい、受験生の鑑なんかじゃないんです。
本当は、先生が好きで、今だってちょっとでも一緒にいたくて、会話が途切れるのが怖いんです。


「なんか、大人っぽくなってすげーキレイになってたからさ、彼氏でもできたのかと思った」
「…そんなこと、ないですよ…」


褒められているはずなのに、喜べない。
先生が笑うたび、胸に小石が溜まっていくような気がする。
先生の顔を見られなくて、俯いた。


「そんなこと、あるって。…だって」


先生はそこで言葉を切って、照れ臭そうに頬を掻いた。


「俺、今けっこードキドキしてるもん」
「え」


思わず顔を上げると、先生はああっと声をあげて手をばたばたさせた。


「やっぱ今のナシ!ごめん、気持ち悪いよな?こんなオッサンに言われても」
「え、や、やだ!」


自分でも驚くくらい。
反射的に、先生の腕を掴んでいた。
でも、私より先生の方が驚いていた。


「え、やだ、って、お前」
「…撤回、しないでください」
「あ、あー…うん」


そこまで言って、先生は目だけくるりと動かして周りを見回した。


「…わかったから、とりあえず離そうな?」
「え、あ!」


慌てて先生の腕を離すと、先生は意地悪そうに笑った。


「その反応、オジサンは自分に都合良く解釈しちゃうけど」
「え、えっと…」


なんと返してよいものやら、
恋愛偏差値の低い私は、誤魔化すべきなのかこのまま突き進んでしまうべきなのかもわからない。
目を泳がせる私を見ながら、先生が不意に立ち上がった。


「出るか」
「え」


このタイミングで!?

先生はさっさとトレーを片付けると、私の腕を引く。
店の外に出ると一気に寒さが襲ってきて、思わず首を竦めると先生が私の身体を引き寄せた。


「さて、どーする」
「どうする、って…」
「家、帰るなら送るけど」


…先生ともっと一緒にはいたい。
けれど、どう答えれば正解なのかわからない。


「うち、来る?」
「え!?」
「別にうちじゃなくてもいいけど。ゆっくり話せるとこ」


先生がニヤリと口の端を上げる。


「さっきの話の続き、しよーか?なあ、彼氏はいないっつったけど、好きな奴もいねーの?」
「……う、」


心なしか、ぞんざいになった言葉遣い。
意地悪に細められた目が、私の反応を見て楽しんでる。


「――か、帰りますっ」
「だーめ」


踵を返そうとしたところで、腕を掴まれて動けない。


「質問にちゃんと答えるまで帰さねー」


私の肩に掛っていた重いトートバッグを取り上げて、先生が歩きだす。


「とりあえずさみーからうち行くか」
「ちょ、せ、先生」
「ハイそれ!」


先生はいきなり振り返ると、私の目の前に人差し指を突き出した。


「俺と苗字はもう先生と生徒じゃねーの。これ大事よ?」


先生は先生だけど、私はもう先生の生徒じゃない。

先生は相変わらずのんびりした歩調で「今のテストに出るかんなー」なんて言いながら歩いている。
私は――今なら、好きって言ってもいいんだろうか。

長い脚に置いて行かれないように、少しだけ歩幅を広げて隣を歩いた。



 

[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -