公然の秘密


その日は、いつになく目覚めがよかった。

朝日が眩しく差しこんで、目ざましの鳴る前に目が覚めた。
昨夜遅かったのにも関わらず、頭がすっきりと冴えていて、二度寝しようという気にもならなかった。
起き出してカーテンを開けてから、キッチンに向かいコーヒーメーカーをセットする。
コーヒーが落ちる間、テレビでも見ようとリモコンに手を伸ばした時だった。
こんな時間には珍しく、携帯が着信を知らせる。
見れば、ディスプレイに表示されたのはマネージャーの名前だった。

「ハイ、おはよう。珍しいわね、朝から」
『ばかね、なまえ!それどころじゃないのよ!』

いつになく緊迫した声に、何かあったのだろうかと首を傾げる。

「…どうかした?」
『いいから、テレビをつけてちょうだい!』

そんなにせっつかなくても、あなたが電話してこなければそうする予定だったのよ――
そんな言葉は呑み込んで、改めてテレビのリモコンを手にする。

「あ、シュテルン水族館でペンギンの赤ちゃんが生まれたって。かわいー」
『ペンギンはいいから!チャンネル回して!』
「もう、用件はなんなの?」

ただ事じゃない雰囲気だけ醸しながら一向に話の内容が見えない、そんな状況に軽くムッとしながらもチャンネルを回していくと、

『――それで、このお相手の苗字なまえさんという方は』
「は?」

ふいにテレビから聞こえてきた自分の名前に、間抜けな声が零れおちる。
それは朝の情報番組、眼鏡をかけたコメンテーターと女性アナウンサーが並んで、私が写ったパネルをカメラに向けている。
あ、あれこの前撮影したグラビアだ。

電話口から、マネージャーの震える声がした。

『ねえ、BBJとスキャンダルだなんて、冗談よね…?』
「はあぁ!?」

今更になって気付く、テレビに映された画面の右上には、「BBJに熱愛発覚!?」という文字が映し出されている。
テレビの中のコメンテーターが、水着姿で笑う私の写真を指示棒で指しながら言った。

『グラビアアイドル、まあ、あまり売れてはいないようですねえ。どのようにしてBBJと知り合ったのかはわかっていないようですが』

「…大きなお世話よ!」

ええそうですよ、どうせ私は三流グラビアアイドルですよ!
携帯が通話中であること忘れて、思わず叫ぶ。
一瞬ののち、我に返った頭にマネージャーの声が届いた。

『とりあえず、今日はオフってことだけどあんまり外に出ないようにね?』
「ちょっと!今日はネイルサロンの予約が!」
『それじゃあなまえ、また連絡するわ』

一方的にかけてきて、一方的に切られた通話。
…なんなのよ、もう。
気付けば、コーヒーはすっかり落ち切って香ばしい香りを漂わせていた。


◇ ◆ ◇


マネージャーから外出禁止を言い渡されて、やることもないのでパソコンを立ち上げてネットを開く。
総合大型掲示板で自分の名前を検索すると、さっそく今日のスキャンダルに関してスレッドが立ち上がっていた。


――苗字なまえって、だれ?

――グラビア。デビューして4年くらい経つと思うけど、あんま売れてない。

――4年前はわりと可愛かったよ。今は方向性変わったみたいだけど。

――画像見てきた。BBJ落としたっていうからどんなのかと思ったけど、割とフツーじゃね?

――なあ、ホントに付き合ってんのかな?

――まさか。どうせ女側の売名だろ。


パソコンの前で、がっくりと肩を落とす。

そうなのだ。
悔しいことに、私がデビューして4年も経つのにいまだ鳴かず飛ばずの三流グラビアアイドアルということは紛れもない事実であり、大体どのスレッドを見てもオチは「女側の売名」で終わっている。
しかし腹が立つのは、事務所でさえもこのスキャンダルが何かの間違いだと確信しているところだ。
ここまで身の潔白を確信されると、腹立たしさを通り越してもはや悲しくなってくる。

その時、携帯電話が本日二度目の着信を告げた。
半ばやけくそで、表示された名前もろくに見ず電話に出た。

「もしもし!?」

不機嫌な声も隠しはしない。

『ハイ、かわいいひと。ご機嫌はいかが?』
「っ、バッ…!」

別に誰が聞いているわけでもないのに、叫びかけた声を呑みこんだ。

「ば、…なびー…」
『今朝の芸能ニュース見ましたよ。ついに公認になっちゃいましたね』
「こ、公認じゃ、なあい!」
『しかし、あのグラビア写真はいただけないな。あんなきわどい恰好、いつ撮影したんです?』

まったく噛み合わない会話に頭痛がしそうだ。

そう、シュテルンビルト市民の誰も、事務所の人間でさえ信じてくれない「BBJとの熱愛」は実は紛れもない事実である。
きっかけは昨年末の出版社のパーティー、私が彼にぶつかって、彼のタキシードに赤ワインをぶちまけたのが全ての始まりだった。
…そんな初対面で私の何を気に入ったのかはわからない。
一つ確実に言えるのは、彼は世間で言われるような「完璧な王子様」でなく、相当な変わり者だということだ。

『ねえ、今日なまえの家へ行ってもいいですか?』
「はぁ!?何言ってんのあんた、頭湧いてんじゃないの!?なんでわざわざパパラッチに餌を与えてやるつもり!?」
『相変わらず辛口だなあ。でも、そんなところも好きですよ』
「い い か ら !あんた今どこにいるのよ?」
『今ですか?会社ですけど』
「会社ぁ!?公共の場からかけてくるな!」

ああもう、なんだってこの男は常識からズレているんだろう。
テレビの中ではそつのないヒーローぶりを見せつけているというのに、ひとたびプライベートになればそんな仮面はどこへやら、ただの24歳…いや、相当ズレている24歳の成人男性である。

『なまえは今日、仕事ですか?』
「…オフだったけど、例のスキャンダルのせいで外出できない。すごい悔しい」
『なんだ、だったら尚更僕が』
「来なくていい!」

はあぁ、と深くため息をついて額に手を当てる。
そんな私の気分とは対照的に、電話の向こうからバーナビーが嬉しそうな声を出した。

『じゃあ、家に行くのは我慢するので、代わりに一つだけお願い』
「……なに?」
『今日、19時からトーク番組にゲストで出るんです。見ていて?』
「いい、けど」

…あの番組って、確か生放送だったわよね。

「絶対、余計なこと喋んないでよ」

私の語気が強くなったのを感じたのか、バーナビーが不満そうな声を上げる。

『…そんなに、なまえは僕と噂になるのが嫌なんです?』
「嫌に決まってんでしょ!あんた自分の所属顧みなさいよ。アポロンメディアよ、アポロンメディア!三流グラビアアイドルがそこの新進気鋭のヒーローとスキャンダルだなんて起こしてみなさい、テレビ業界から干されるコースまっしぐらじゃない!」
『…そう、ですか…』

しまった。
言いすぎた、と気付いた時には遅かった。
バーナビーが珍しく殊勝な声を出す。

「…ごめん、今のはちょっと」
『でも』

私のフォローを最後まで聞かず、バーナビーが言葉を継いだ。

『なまえの事は、僕が絶対に守りますから』

きっぱりと宣言された言葉に、思わず言葉を失う。

『僕と付き合うことが貴女のマイナスになるなんて耐えられない。貴女は絶対に守ります』
「バーナビー…」
『とりあえず今夜19時、絶対に見ていてくださいね』
「え、あ、うん」
『それじゃあ、また』

そうして、チュッと電話口でリップ音を立てて通話は切られた。


◇ ◆ ◇


約束通り、19時の5分前にはテレビの前に待機して彼が出演する番組を待った。
スキャンダルについて触れられるかと一瞬身構えたものの、ゴシップ色をあまり打ち出さない構成のおかげで番組は和やかに進んだ。
バーナビー自ら撮影したというオフの映像や関係者への取材などを交えてトークを30分、最後にワイルドタイガーからのビデオメッセージを貰って、番組は平和に終わろうとしていた。
画面下にスタッフロールが流れ始めたところで、司会がバーナビーに声をかけた。

『それではバーナビーさん、最後に視聴者の皆さんへ一言』

その言葉にバーナビーはにっこり笑ってカメラに手を振って、信じられないことを言った。

『なまえ!見てますか?』

その言葉に、司会者の顔が露骨に凍りついた。
テレビのこちら側からは見えないはずの舞台裏が手に取るようにわかる。
プロデューサー、ディレクター、おそらくそこにいるであろうアポロンメディアのマネージャー、その場にいる全ての人が固唾を飲んでいることだろう。
けれどそんな空気にはお構いなしに、バーナビーは王子様みたいなスマイルを浮かべて言う。

『今日は会えなくて残念でしたよ。こんな時だからこそ、貴女に逢いたかったのに』

―――な、何を言い出すんだこの男は!!!

一気に脇の下から汗が噴き出る。
心臓がばくばくと音を立てている。
だ か ら 、余計なこと言うなって言ったじゃないの!!

『それじゃあ、かわいいひと、今日は僕の夢を見てくださいね』

歯が浮いて屋根の上まで飛んで弾けてしまいそうな言葉を平気で言ってのけて、番組は終了した。

「―――ば、…っかじゃないの、あの男!」

顔が熱い。
頭の中でさっきのバーナビーの言葉がぐわんぐわん響いて、倒れてしまいそうだ。

でも、
ああ、どうしよう。

ばかじゃないの、信じられない、あの馬鹿!と思う反面で、嬉しい、という気持ちがあるのもまた確かで。

携帯がメールの受信を告げた。
差出人はバーナビー。
件名はなく、「見てましたか?」とだけ書かれた本文を見て、にやける頬が抑えられなかった。



 

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