負け犬たちの遠吠え


世の中には、傍から見たり音で聞いたりするほどにはかっこよくない仕事というものがある。
私の仕事も、まさにそれだと思う。

国家公務員で中央勤務です、というと大体の人から「霞が関?」と聞かれる。
残念。私の勤務先は省庁のくせに霞が関ではない。
うち――防衛省は省庁の中で仲間はずれ、新宿区は市ヶ谷に位置している。

さらに、私の所属がまた曲者である。
そこは簡単に言えば「ちょっと言えない」ところ。
防衛秘密をはじめありとあらゆる情報を扱う部署なので、省外の人間には自分がこの部署に所属していること自体言えないし、省内の人間相手ですらどんな仕事をしているか言う事は出来ない。
仕事中は私用携帯の使用禁止、仕事帰りにおちおち職場の愚痴を言う事もできない。
学生時代から長らく付き合った彼氏とは、ここに異動になってから二年目に別れた。
彼氏と別れたショックよりも、仕事の話を誤魔化さずに済むようになってむしろホッとした自分に気付いた時、ああもう結婚できないかもしれないと思った。
私が男でも、こんな経歴の女は嫁にしたくない。
そんな風に焦った時期もあったが、最近では悟りを開きつつある。
いいんです、私今の生活にわりと満足してますから。



◇ ◆ ◇ ◆



今まで、結婚を考えなかったわけじゃない。
しかし、あの家において、俺の結婚相手にあの母や姉が口を挟まないわけがなかった。

理一は本家の長男なんだから、それ相応の相手を探しなさいよね。
かわいくて素直で気が利いて、家事が出来てそれから親戚づきあいのできる社交性もあって、あんまりバカっぽい子もいやね、もちろん不細工も。

それでも、好き放題言う家族(特に姉ちゃん)の満足のいくような相手を見つけて、実家へ紹介したこともあった。
母さんや姉ちゃんはそこそこ満足したようだが、ばあちゃんだけは彼女と俺を真っ直ぐに見比べると、「本当に、本気なんだね?」と言った。
その瞳に一瞬射すくめられて俺も彼女も返事ができないでいると、ばあちゃんは短く「やめておきな」とだけ言うのだった。
事実、その彼女たちとはその後長く続かなかった。

けれどそんなことを行っていたのも三十代後半まで。
今の部署――情報本部に異動になると、仕事の性質上以前のように結婚相手を探すことが難しくなった。
やがて、自分は結婚しない方がいいんじゃないかと思い始めるようにさえなった。
そのまま、40になる今もまだ独り身を貫いている。

しかし一言言わせてもらいたい。
自分は結婚できないのじゃない。結婚“しない”のである。



◇ ◆ ◇ ◆



「……って言ってますけど、結局のところ結婚“できない”んですよね?」


ひとしきり自分が独身を貫く理由を語った上司を見て、私はわりと冷淡に言い放った。
その言葉に、陣内2佐はわずかに気分を害したように眉を寄せた。


「そういう君も、さっきのは負け惜しみに聞こえたけどね」
「どう捉えていただいても結構です。私は言い訳しませんので」


深夜の防衛省でお互いに残業していた私と陣内2佐は、なんの弾みか些細なきっかけで「自分がフリーのわけ」を暴露する大会になっていた。
砂糖たっぷりのコーヒーを入れてもなお上手く働かない頭をリフレッシュさせるにしたって、もっと別の方ほうがあっただろうに。

そもそも私は、こんなプライベートな話をぶちまけるほどこの上司と親しいわけではない。むしろ苦手な部類に入る。
物腰柔らかなくせにいまいち読めないところも苦手だし、40を過ぎて胡散臭いほどにハンサムなところも苦手だ。
それなのにこんな話をしてしまったということは、そろそろお互い疲れがピークだったのかもしれない。


「苗字さん、勿体ないね。せっかく見た目はいいんだからもうちょっと柔らかくなればいいのに」
「その発言はセクハラですね。服務事故になりますよ」
「…だからそういうところが、さ」


陣内2佐は眉尻を下げて言った。
大きなお世話だ。


「陣内2佐こそ、だれか紹介しましょうか?陸幕にいる私の同期が陣内2佐カッコいいって言ってましたよ」
「陸幕?なんていう子?」
「この前厚生棟で会いましたけど、覚えてますか?」


すると、陣内2佐は眉を寄せて視線を泳がせた。この反応は、覚えてないんだな。


「苗字さんは、好きなタイプとかいないの」


……なんでそんな話あなたにしなきゃならないんですか?

とも言えないので、無難な答えを返す。


「……人として尊敬できる人、です」
「立派だけどつまらない答えだね。もっとないの、見た目とか性格とか経済的条件とか」
「そんなのは後でいいんです。一番大事なのは、人として尊敬して信頼できるか、でしょう?」
「ふうん」


それ以上話を拡げる気がないのか、陣内2佐は短く返事して黙り込んだ。



◇ ◆ ◇ ◆



好きなタイプ、と彼女に話を振った後、ふと我が身を振り返る。
そういえば、自分はどんなタイプが好きなんだろう。

母さんや姉ちゃんの言うとおり、可愛くて素直で気が利いて社交性がある子、だろうか。
事実今まで付き合ったのはそういうタイプの子ばかりだ。
学生時代も就職してからも、いつも周りから羨まれた。
どこであんな上玉を見つけてくるのかと。
しかし、その結果いまだに独身でいるのはどういうわけなんだ。


「…そういう陣内2佐は、どうなんですか」


目の前の彼女が口を開く。


「……可愛くて素直で気が利く子、かな」


すると、彼女が露骨に嫌な顔をした。
口に出してみると、そのタイプはいかにも男の身勝手な妄想に思えた。


「そんな人、いるんですか」
「…まあ、いたよ」


若干居たたまれない思いになりながら答える。


「なんで、その人と結婚しなかったんですか?」
「さあ、なんでだろうね」


しかも一度や二度ではなかった、と言う事は伏せておこう。
それを言ったらますます冷やかな目で見られることだろう。


「…でも、やっぱり男の人ってそういうのが好きなんですね」
「そういうの、って?」
「顔が良くて素直で性格がよくて、っていう」
「女の人は違うの?」
「たぶん、ちょっと違うと思います」


空になった缶コーヒーのボトルを傾けながら彼女が言った。


「顔が良くて優しくてなんでも言う事聞いてくれる人、って付き合いたくないですね。少なくとも私は」
「……なんで?」


すると、彼女は一瞬考えるような顔をした後きっぱりと言い放った。


「つまんないから」


あまりに単純すぎる理由に、思わず吹き出してしまう。


「……なにがおかしいんですか」
「いや、シンプルな理由で大変よろしいと思うよ」


非常に単純明快で、それでいて真理を突いていると思った。
そうか、もしかしたら今までの自分もつまらなかったのかもしれない。
可愛くて素直で気が利いて、いつも自分を立ててくれる彼女。
ガイドブックのようなデートコース、儀式のようなセックス、別れ話さえお決まりの口上だった。

……目の前の彼女は、どんな風に恋人と別れたんだろうか。
普段の勤務態度のように淡々としていたのだろうか。それとも、時折見せる気性の激しさを全面に出していたんだろうか。
涙は流したんだろうか、別れ話の後どんな行動をとったんだろうか。

思えば目の前の彼女は、一緒にいる時間が長い割に、どんな人間でどんな行動パターンなのかほとんど知らない。
かつての恋人に取った行動を、目の前の彼女ならどう捉えて自分に返してくるだろうか。

――もし、今ここで自分がキスしたら、彼女はどんな反応をするんだろう。

気付いた時には、ほぼ無意識に唇を重ねていた。



◇ ◆ ◇ ◆



「――――っ!?」


思考停止。頭が真っ白になった。

目の前の上司のとった行動があまりに常軌を逸していて、一瞬自分の身に何が起こったのか分からなかった。
重なった唇の温度が脳に到達すると、一瞬のうちに頭に血が上った。


「っ、や、っ!?」


横っ面をひっぱたいても良かった、と気付いたのは、彼の胸を押し返した後だった。

顔が熱い。声を出したくても、喉が張り付いて声が出ない。
代わりに思いっきり睨みつけると、陣内2佐はぺろりと唇の端を舐めた。


「…本当の好きなタイプ、今わかった」
「っ、な、なに、」
「仕事熱心で、真面目で、」


陣内2佐の指が私の顎をついと支える。
視線がかちあって動けない。


「気が強くて、上司相手でも容赦なくて、…でも意外と想定外に弱いでしょう、今思ったけど」
「は!?あの、じ、じんのうち、にさ」
「そういうところ、そそるね」
「ちょ――っ、ふ、」


再び重ねられる唇。
今度は容赦なく差し入れられる舌がぬるりと絡められて、頭の芯が痺れそうになる。



◇ ◆ ◇ ◆



――ああ、なんてことだろう。
可愛くて素直で気が利いて社交的な子、なんて、あの祖母あの母あの姉に育てられた自分に満足できるはずがない。
そんなことに、今の今まで気付かなかったなんて。

真っ赤な顔で息をするのもやっと、という風情の彼女を見下ろして、不思議な征服感に包まれた。
仕事中のてきぱきした印象からは想像もつかない、こんな表情を知っているのはこの職場で自分だけだ。
キスをしたら、もし押し倒したら?目の前の彼女はどんな反応をするのだろうか。

相手のことがわからないから、知りたい。
そんな単純な恋愛の真理に今更気付くなんて。


「俺と付き合ったら、退屈しないと思わない?」


耳元で囁くと、胸の中で彼女が身をよじった。




 

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