宴の後始末


 私の知る中で、陣内さんほど謎めいた人はいない。
 すらりとした長身と整った顔立ちはおよそ自衛官には見えないし、男だらけの下世話な話題で盛り上がりがちな環境において余計な話をしないところも好印象。階級に似合わない柔和な物腰。仕事もとてもできる。
 これで41歳独身な理由がわからない。

 そんな陣内さんと初めて一緒に仕事をしたのは、私が入省して間もない頃だった。自衛隊用語を知らず、内線電話さえまともに取り継げない私にも陣内さんはとても優しくしてくれた。
 あの頃からミステリアスで優しくて仕事のできる陣内さんに憧れていたから、数年前に突然連絡があって「自分の部下として働いてくれないか」と打診されたときは嬉しかった。
 優秀な人に仕事ぶりを買われるというのは、純粋に嬉しいものだ。
 ……が、ほんのりとした喜びはすぐに打ち砕かれた。忙しすぎるのである。
 市ヶ谷は地方の駐屯地と比べて仕事のスピード感覚も扱う情報の秘密レベルも全然違う。転属したばかりの頃は、寄せては返す書類の波間で溺れそうになる日々だった。
 市ヶ谷に来て間もない頃、陣内さんに「仕事には慣れたか」と尋ねられたことがある。

「市ヶ谷ってこんなに忙しいんですか?」

 連日の超過勤務で疲れはてていた頃だったので、半泣きで答えると陣内さんは意味ありげに口角を上げて言った。

「だから君を呼んだんだ」

 ━━騙された!……いや、何も騙されてはいないんだけど。
 それから今日に至るまで、私は陣内さんの従順なる兵隊だ。




 時計の針はすでに23時を指している。窓がなく、日光を浴びない地下の部屋だと時間の感覚がなくなる。
 私は先日のOZ事件の後処理━━厳密に言うと、陣内さんの尻拭いに追われていた。

 OZのハッキングがあってすぐ、休暇をとって実家に帰省していたはずの陣内さんから連絡があった。市ヶ谷でもすでにサイバーテロの可能性について指摘されていたけれど、それを帰省先から気にするのはさすがプロだと思ったものだ。
 ……が、その翌日に陣内さんから個人的にかかってきた電話の内容は思いがけないものだった。

「衛生通信ができる車両を一台手配して欲しい」
「……はい?」
「松本との調整はもうできているんだ。君には書面上の手続きを頼む」
「ちょ、待ってください、陣内さんが先に現物を借りてから私がこっちで命令を起案して決裁を貰うってことですか?」
「そういうこと」
「そんなことできるわけないじゃないですか!順番が逆です!」
「できるかどうかじゃなくて、するんだ」

 有無を言わせぬ口調だった。
 さすがに私一人で抱えるには荷が重すぎる内容だったので室長に相談すると、諦めたような顔で「陣内はああ見えて意外とやんちゃだからなあ……」と返ってきて、それはつまり私に対する「陣内の言う通りにしろ」という通告なのであった。


 そして、「掟破りで借りてるんですから絶対絶対トラブル起こさないでくださいね!」と念押ししたにもかかわらず、車両は半壊された。
 ……というか、ニュースであらわし墜落の中継を見ながら既に覚悟はしていたのだけれど。

「すぐに来られなくて悪かったね。うちの裏山にあらわしが落ちてしまって」

 数日ぶりに職場に現れた陣内さんは、さっぱりとした笑顔で言った。

「え!?あのニュースで映った山、陣内さんの実家なんですか!?」
「そう」
「あの……もしかしてラブマシーンの開発者っていう人も……?」
「あれは叔父」
「叔父!?」
「あらわしが落ちてきたときはさすがにもうダメかと思ったけど、家が半壊したくらいで怪我人もなく済んでよかった。温泉も湧いたし」

 突っ込みたいところが多過ぎて追い付かない。とりあえず怪我人が出なかったのは奇跡としか言いようがなかったので頷いておく。
 ……が、ウン億の車両を半壊させておいて何事もなく済むはずもなく、後始末にかかる膨大な量の業務を私と陣内さんでする羽目になってしまったのであった。処分されずに済んだだけでも有難いと思うしかない。



「……夜食でも買ってきます」

 終わりの見えない仕事に区切りをつけるため立ち上がると、座りっぱなしの背中がバキバキと鳴った。私の言葉に陣内さんもパソコンから顔を上げる。

「自分も行こうかな。奢るよ」
「やった〜〜」

 わざとらしい棒読みになってしまったが、深夜ということで許されたい。
 昼間は職員で賑わう厚生棟もさすがにこの時間となると静まり返っている。一階の売店やスタバはとっくに閉まっているから、この時間に使えるのは地下にある24時間営業のコンビニだけだ。
 とはいえ、普通の駐屯地なら24時間営業の売店などない。つまりそれだけ防衛の中枢である市ヶ谷には昼夜を問わず働いている人がいるということだ。
 ……まあ、私もその一員なんだけど。

「なんでも好きなものを入れて」

 そう言って陣内さんが買い物かごを差し出す。

「本当にいいんですか?」
「もちろん」
「じゃあ、これと……これ」

 コーヒーとシュークリームを入れる。コーヒーは普段自分で買うならマウントレーニアのカフェラテだけど、奢りなのでちょっと高いやつにしてやった。

「それだけでいいのか?これは?ほら、ユンケル黄帝液」
「やだーっ!こんなもん飲ませて何時まで働かせる気ですか!?」
「冗談だよ。こっちにしておこうか」

 陣内さんがつまみ上げたのは「おやすみチャージ」とラベルに書かれたノンカフェインの栄養ドリンクだった。

「どうせならこっちがいいです」
「コラーゲン?そんなこと気になるんだ」
「そりゃあ気になりますよ。疲れが肌に出るお年頃なので」
「そう?充分きれいだよ」

 さらりと言われてドキッとした。
 一歩間違えればセクハラになりそうなところを自然に言えてしまうところが陣内さんのすごさだ。本人はその言葉を放った次の瞬間、もう言ったことなど忘れてしまったように何事もなく棚を眺めている。
 この、さらっとしているところがいいんだろうな。「言うぞ言うぞ」という溜めや気負いがないからセクハラじみて聞こえないのかもしれない。


「はぁ、帰りたくない……」

 厚生棟を出た瞬間、無意識に呟いていた。これが飲み会の帰りとかだったら少しは色っぽい雰囲気があったのかもしれないが、現実は社畜の悲痛な叫びである。(公務員は社畜とは言わないのかな)

「少し休んでいく?」

 これまたロケーションによっては誤解を招きそうなフレーズだが、陣内さんの視線の先にあるのは色気もそっけもない木のベンチだ。厚生棟の前の広場には、転々と植えられた木の根元に円形のベンチが据えられている。

「はい……」
「地下に籠りっぱなしだと気が滅入るね」

 ……誰のせいだと……?
 という恨み言は呑み込んでおこう。奢ってもらった直後だし。
 早速コーヒーにストローを刺して一口啜ると、甘い液体が疲れた脳みそに染み渡った。

「苗字さんには迷惑をかけてすまない」
「本当ですよぉ……まあ、それが仕事なんで、大丈夫です」
「頼もしいな」

 微笑んで陣内さんも自分のドリンクにストローを刺す。何気なくその手元を横目で窺って思わず二度見した。ナタデココ入り飲むヨーグルト……好きなのかな……?
 深夜だというのに熱気を孕んだ空気が肌に絡み付く。そういえば陣内さんの実家は長野だっけ。長野だったら、真夏でも夜は涼しいんだろうか。

「今更ですけど、ご実家の方は大丈夫なんですか?」

 ばたばたしていてずっと聞きそびれていたけれど、結構な衝撃告白だった。
 裏山にあらわし墜落?自宅が半壊?温泉が湧いて?そもそもの元凶となったAIの開発者は身内?
 気になることが多すぎるが、話を聞くどころじゃなかったのだ。

「ああ……」

 ため息のような、何かを思案するような声を漏らして陣内さんが目線を上げる。

「大丈夫だよ。うちの連中はたくましいから」
「いえ、そうじゃなくて。……陣内さん自身が、です」
「俺が?」

 すぐに東京に戻ってこられなかった理由の一つがおばあ様の葬儀だったと、上司に話しているのを聞いた。
 そもそも陣内さんの休暇は、おばあ様のお誕生日祝いだったはずだ。わざわざお誕生日に一族が集まるなんて仲の良い、そして皆から慕われているおばあ様なんだなと思ったのだ。そのおばあ様がOZ騒動の最中に亡くなって、東京に戻ってからは仕事に忙殺されて、ちゃんと気持ちの整理はできているんだろうか。

「すみません、おばあ様のこと、聞こえちゃって」
「……そうか。気を遣ってもらって悪かったね」

 静まり返った夜の空気の中で、陣内さんの穏やかな声が耳に届く。

「大往生だからね。寂しいけど、そう悲痛でもないさ。葬式も明るくて、むしろ弔問客の方が呆気にとられてたくらいだよ。それに、悪いことばかりでもなかった。ずっと疎遠だった身内と和解できたり、親戚の子供が甲子園行きを決めたり」

 そう語る声はきっと本心だ。時折思い出し笑いを漏らしながら陣内さんが言う。

「でも……まあ、ちょっとだけ、結婚したくなったかな」
「え?」

 思わず陣内さんに顔を向ける。が、相手は正面を向いたまま、独り言のように続けた。

「今でこそ乗り越えたけど、ばあちゃんが死んだ時はそりゃあみんな落ち込んでさ。大の大人が揃って泣いてた。そんな時、結婚した従兄弟たちの隣に嫁さんや子供がいるのを見て、羨ましいと思ったな」

 頭の中に、田舎の家に集う一族の情景が浮かぶ。
 大切な人を亡くして悲しみに暮れている時。奥さんや子供と寄り添う従兄弟のそばで、誰が陣内さんの悲しみを受け止めて慰めてくれたんだろう。

「……陣内さんて、結婚しない主義の人かと思ってました」

 なんて言っていいかわからなくて、敢えて核心から話を逸らした。いつもミステリアスな陣内さんの心の深い部分に初めて触れてしまった気がしたのだ。

「そういう主義なわけじゃないよ。相手やタイミングになかなか巡り合わなくて今に至っただけで」
「ちなみに好きなタイプとかあるんですか?」
「そうだな……タフな人かな」
「え、それが一番?」
「うん。だってそう思わないか?」

 ……確かに。陣内さん、意外と無茶言うしマイペースだし。可愛いだけのお嬢さんではついていけないだろうな。

「思います」
「だろ」

 まあ、陣内さんのことだから、本気出して婚活すればすぐ相手なんて見つかるんじゃないかな。
 そんなことを思いながらコーヒーを啜っていた時だった。

「結婚するなら君みたいな人がいいな」
「ぶはっ!!」

 突然の爆弾発言に、喉を滑り落ちていたコーヒーが気管に入った。ゲッホゲッホと噎せる私の背中を陣内さんが「大丈夫?」と言いながらがさする。いや、あんたのせいだわ!

「何言ってるんですか!?」
「だって君、タフだし俺のこともよく分かってるから。プライベートでもいい関係になれると思うんだけど」
「プライベートでこんなこき使われるの嫌です!」
「そういう意味じゃないんだけどな」
「もー、変なこと言うなら仕事に戻りましょう!」

 冗談とはいえ、憧れの人からプロポーズ紛いのことを言われて恥ずかしくないはずがない。
 勢いよくベンチから立ち上がるとほぼ同時に手首が引かれる感覚があった。見れば、ベンチに座ったままの陣内さんに手首を掴まれている。

「苗字さん」
「は……はい」

 掴まれたところから全身に熱が広がる。どうしよう、顔赤くなってない?絶対なってる。暗がりとはいえ、厚生棟から漏れる薄明かりの下ではきっとバレてしまっている。

「ありがとう」
「え……な、何が……?」
「俺に付き合ってくれて」
「えっ!?」

 突然飛び出した「付き合う」というフレーズに驚いたが、恐らく仕事のことを指しているんだろう。さっきまで結婚がどうのという話をしていたから、口から心臓が飛び出すかと思った。

「べ、別に……仕事ですから」
「……仕事、か。君のそういうところが好きだよ」
「はい!?」

 もう本当に、軽率に好きとか付き合うとか言わないでほしい。そういう意味じゃないとわかっていても恥ずかしくなってしまう。
 夜の闇でも誤魔化せないほど顔に血が集まっているのがわかる。頭が真っ白になって、酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせている。アホ面に違いない。
 そんな私を見て陣内さんがくしゃりと表情を崩す。
 ……あ。陣内さん、笑うと目の下に皺が寄るんだ。初めて知った。

「とりあえず、今の仕事が片付いたら食事でも行かないか?」
「えっ、そ、それはあの、慰労会的な……?」
「違うよ。デートに誘ってるんだけど、全部言わないとわからないかな」
「ひぇ……」

 そう言って唇の端を上げた表情は、私の知っている「謎めいた陣内さん」の笑い方だった。でも私は━━さっきの笑顔の方が好きだ。あんな風に、陣内さんには私の知らない顔がまだあるんだろうか。

「じゃ、戻ろうか。仕事を終わらせないといけない理由もできたことだし」
「ちょ、陣内さん!」

 背の高い後ろ姿が私を置いて歩き出す。慌てて追いかけると、こちらを振り返った陣内さんが肩越しに微笑んだ。

 東京の熱帯夜では、熱くなった頬を冷ましてくれない。



 

[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -