アンロマンティック・プロポーズ


25歳で結婚して、結婚生活は3年で終わった。
子供がいなかったからか、別れる時はあまり揉めなかった。
しかし、寿退社してしまったことが悔やまれた。
ろくな職歴もスキルもない女がひとり東京で生きていくことは難しく、上田に出戻る形をとった。
両親が営んでいた喫茶店で見習い期間を経て、2年前に店を引き継いだ。
お客さんは地元のオジサンばかりで、出会いなどない。
両親は、お店を継いでくれて嬉しいのが半分、再婚のあてがなくて残念そうなのが半分といったところ。
けれど、ようやく安定した生活をまた変えようというほどのエネルギーは、今の私にはない。

午前10時、カランカランというベルの音が鳴って、今日最初のお客さんが店のドアをくぐる。

「いらっしゃいませ」

夏の強い日差しを背中に受けて入ってきたその人の顔を見て、私は少し顔をしかめた。

「やあ。カウンターいいかな」
「……どうぞ」

理一さんは年に数えるほどしかやって来ないけれど、立派な常連さんだ。
私の兄の中学の同級生で、自宅の方にも遊びに来ていたらしい。
当時の私は幼くてあまり憶えていないのだけれど。
兄と理一さんは高校では別々になってしまったけれど、それからは客として店に来るようになった。
店のお客さんの中でひときわ若い理一さんを、両親ともに息子のように可愛がっていたように思う。
今は、年に数回の帰省の時に顔を出してくれる。
兄は松本市内に住んでいるから、最近では私の方が理一さんに会っているのではないだろうか。

「いつ上田に?」
「昨日からだよ。ブレンドを」

メニューも見ずに注文して、そのままカウンターの中にいる私を見つめる。

「…何か?」
「今年こそいい返事が欲しいと思ってね」

そう言って理一さんはにっこりと笑った。

実は、私は一年前から理一さんに求婚されている。
…といっても、店に顔を出すたびにそう仄めかされているだけだけど。

「だから、去年も言ったでしょ?一緒にこの店をやってくれるならいいですよ」

理一さんが東京で働いているのを知っていてそう答える。
もう、結婚相手に合わせて自分の生活を変えるのはいやだ。

「退官してからならできるけど…あと15年はあるからなぁ」

笑いながらそう言って、お客さん用にカウンターテーブルに置いてあった新聞を広げた。
こんな言い方だから、いつも冗談か本気か判別しかねるのだ。

というか、冗談めいて結婚を口に出されるのが腹立たしい。
バツイチ女なら結婚のハードルが低いとでも思っているのか。
私だって別に理一さんが嫌いなわけじゃない。
でも、こんな風に軽々しく結婚を仄めかさるのが逆に、お前など本気で結婚を考える相手じゃないよと一線を引かれているようで悔しい。

無言で理一さんの前にコーヒーを置くと、彼は新聞を丁寧に畳んでテーブルに置いた。

「…なまえは、結婚したら一緒に住みたい?」
「そりゃ、まあ…それが結婚ていうものじゃないんですか」

いきなり具体的な話を出されて少し面食らう。

理一さんはコーヒーの香りを楽しむようにカップを顔に近づけてから、また言った。

「例えば、単身赴任とか週末婚とか」
「考えたことないですねえ」

別れた夫は、結婚したら当たり前に専業主婦になることを求めた。
私にとっても、よっぽどの事情がなければ単身赴任は考えにくいことだった。

「俺はまだしばらく市ヶ谷勤務が続くだろうけど、なまえと結婚するなら松本に転属願いを出してもいいと思っているよ。まあ、その場合昇任は頭打ちになるけど」
「…え、そんなことまで考えてるんですか?」
「本気で結婚するつもりなら当然だろう?」

理一さんの真っすぐな瞳に射抜かれて、どきりと胸が高鳴る。

「俺は正直、一度結婚を諦めた人間だからね」

一口ずつゆっくりとコーヒーを飲みながら、理一さんが語る。

「今更、人が言う"普通の結婚生活"に拘りはないんだ。形はどうあれ、一生パートナーと連れ合えればそれでいい」
「そのパートナーが、なんで私なんですか?」
「そんなの、好きだからに決まってるだろう」
「え?」

ちょっと待って。
そんなの初めて言われたんですけど!

「なまえに再会したから、結婚したいと思うようになったんだよ。逆に言うと、なまえと結婚できないなら一生独身だろうな」
「…あの、そんな言い方されたら脅迫されてるみたいなんですけど」
「脅迫でも何でもするさ。人生で初めて本気で結婚したいと思ったんだから」

プロポーズとは思えない台詞な上、なぜか理一さんは余裕の表情だ。

「焦る理由もないし、何年でも待つさ。でも、俺は年に数回しか来られないし、その間に他の男に取られたら悔しいから、とりあえず連絡先を教えてくれないか」
「理一さん、いろいろ順番が違うと思うんですけど!」

急に現実味を帯びてきた結婚話に、私の頭がついていかない。
だって理一さんは兄の友達で、店の常連さんで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
それがいきなりプロポーズされて、それから相手を知っていくなんて、そんなのあり?
それなのに、当の理一さんが放った言葉といえば。

「それも大人の恋愛の醍醐味だろう?」

若い頃は人生設計が先にあって、それに見合う結婚相手を探していた。
でも、それを乗り越えた今だから、焦らずに関係を深めて、二人の生活スタイルを模索していけるのかもしれない。
そう考えると、理一さんと一緒に生きていく道もあるのかもしれないと思えた。

私は、エプロンのポケットの中で携帯電話を握りしめた。

「…東京、久しぶりに行きたいと思ってたんですよね。理一さん、美味しいお店とか知ってます?」
「もちろん。ご一緒させてもらえるのかな」
「どうせなら、一人じゃ入れないようなオシャレなとこにしてくださいね」
「了解」

お盆が終わったら、少し遅めの夏休みをとろう。
そして、東京で「兄の同級生」でも「お店の常連さん」でもない理一さんと会うのだ。
そう思うと、胸の中に忘れかけていた小さな炎が灯った気がした。


 

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