フは降谷零のフ


《今日、これから行く》

夜遅くに突然入った恋人からの連絡。
忙しい彼に会えるという嬉しさが半分、何かあったのではないかという不安が半分。
残念ながら、今回は後者の予感が当たってしまった。

「ちょっと…何その格好!?」

現れた恋人――零は、衣服こそ汚れのないきれいなものだったが、露出している部分は傷だらけだった。
頬に乾いた血の跡がついている。

「いや、まぁちょっといろいろあって」
「ちょっといろいろってレベルじゃないでしょ!」
「いきなり悪かった。とりあえず、風呂借りていい?」

私の言葉を遮るように言ってバスルームに直行。
残された私は、仕方なく、タオルと我が家に置いてある零の着替えを脱衣所に持っていった。

うちには、突然でも零が泊まれるだけの一式がある――でも、その逆はない。
というか、私は零の自宅さえ知らない。
自宅だけじゃない。
仕事も家族構成も、通常の恋人同士なら知っていて当たり前のことを、私はほとんど知らないのだ。

詮索しないこと――これが、零と付き合い始めたときに決めた唯一にして最大のルールだった。
そんな零が私にした約束は、"言えないことばかりだけど、絶対に嘘はつかない"ということ。
その約束に従って私が零の仕事について知っているのは、公務員ということだけ。
私もいい大人だから、「親しい人にも言えない仕事の公務員」といえば大体察しはつく。
零について知ることよりも彼と一緒にいることのほうが大切だから、私も余計な詮索はしないように気を付けている。
でも、今回のようなケースは別だ。
傷だらけで突然現れた恋人を、詮索しないでいられる人などいるのだろうか?

ソファーに座ってテレビをぼんやりと眺めるも、内容なんて頭に入ってこなかった。
考えるのは、零のことばかり。
どこで怪我をしたの?何があったの?どうして私のところへ来たの?
聞きたいことは山ほどあるけれど、どうせ私が納得いくような答えはもらえないはずだ。


「ありがとな、なまえ。コーヒー淹れようか?」

お風呂から上がった零が私の隣に座った。
乾いた血をきれいに洗い流しても、零はやっぱり傷だらけだった。
Tシャツからむき出しの左腕には包帯が巻かれている。

「…コーヒーもいいけど、ちゃんと説明してよ。言える範囲でいいから」

私の語気に圧力を感じたのだろう、零は困ったように頬を掻いてからゆっくりと話し始めた。

「ちょっと仕事でやらかして。さすがに電車で帰れないレベルだったんで職場で着替えたんだけど、風呂には入れなかったから」
「うちにはお風呂に入りに来たの?」
「あ、あともう一つ頼みがあってさ。明日なまえの車貸してくれないか?」
「零の車は?あのかっこいいやつ」
「あれな。事故って廃車」
「えっ!?あれを!?」

都内で車1台維持するのがどれほど大変なことか。
私はドライブが好きだから数年前に中古の軽自動車を買ったけれど、それでも私の稼ぎからすると大分頑張った。
零の愛車は旧式とはいえスポーツカーで、初めて見た時は、こいつ稼いでやがるな…なんて思ったものだけれど、あれを廃車にしてしまうなんて…開いた口が塞がらない。

「…つまり、うちに来たのはお風呂と車を借りたかったからと」
「……そんな言い方するなよ」

心配だから知りたいという思いと、彼を思うからこそ聞いてはいけないという思いが交錯して、結果として口から出たのはあてつけのような言葉だった。最悪だ。
けれど、私の口は止まってくれない。

「…怪我の理由も教えてもらえないのに、そんな格好で来たら心配するに決まってるでしょう。私が何も思わないと思ってるの?」

言いながら、鼻の奥がツンとしてくる。
涙が溢れてしまいそうで、零の顔を見ないようにして膝の上で拳をぎゅっと握りしめた。

「…ごめん」

私の握りしめた拳に、零の手のひらが重ねられる。

「風呂も車も、本当は大したことじゃないんだ。なまえに心配かけることを考えたら、今日来るべきじゃないのもわかってた」

私の肩に零の腕が回されて、抱き寄せるように零が私の肩口に顔を埋めた。
首筋に水気を含んだ零の髪が触れる。

「それでも、どうしてもなまえに会いたかった。今日、正直言って死ぬかもしれないと思った時――なまえの顔が浮かんだんだ」

そう言う零の声は、少し震えていた。
こんな零は初めてだった。
彼がどんな顔をしているのか――顔を見ようとした気配を察したのか、零は「そのまま聞いて」と言って言葉を続けた。

「俺にはどうしてもやり遂げたいことがあって、そのために生きてきた。逆に言うと、それさえできれば死んでもいいと思っていた。でも最近は――」
「…最近は?」

そのまま零は黙ってしまった。
しばしの沈黙が私たちを包む。

「――いいよ。言わなくて」

沈黙を破って私が言うと、零は驚いたように顔を上げた。

ボロボロになっても、心配をかけても、それでも私に会いたいと思ってくれただけで十分だ。
秘密ばかりの関係だけど、きっと私は零の支えになれている。

「その代わり、コーヒー淹れてよ」

すると、零はくしゃりと顔を歪めて笑った。

「うん」

うちのキッチンで、手慣れた様子でコーヒーを淹れる零を見ながら、私はふと気になっていたことを聞いてみた。

「ねぇ、零ってコーヒー淹れるのやたら上手いよね?」
「あー…まあね」
「えっ、何その反応、もしかしてこれも聞いちゃいけないことなの」

それには零は何も答えず、ただ笑っているだけだった。
本当に、秘密ばっかりの恋人だ。

「なあ、なまえ。今度早起きして出かけないか?」
「いいけど。何するの?」
「一緒に朝日を見たい」
「何それ〜零ってば意外とロマンチックなこと言うね?」

茶化すように言ったつもりだったが、零はいつもの不敵な笑みを浮かべて言った。

「俺がなまえにあげられるものはその位だからな」
「…ごめん、意味わかんないわ」
「いいんだ、わからなくて」
「はあ?何なの。夏目漱石か」
「"月が綺麗ですね"って?まあ、近いものはあるかも」

一緒に朝日を見ましょう。
言われてみれば、ロマンチックな愛の言葉に思えないこともない。

「…で、いつ行く?零はゴールデンウィーク休みなの?」
「……ごめん、仕事」
「は!?公務員のくせにブラックすぎない?」
「お、コーヒーとかけまして俺の仕事と解きます?」
「やかましいわ」

ねえ。怪しい公務員の降谷零くん。
余計な詮索しないから、ボロボロでもまた私に会いに来て。
こんな傷だらけになってって、私はまた怒るかもしれないけど。
説明の代わりに、コーヒーを一杯淹れてよね。


 

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