Woo Baby!


「大当たり〜!おめでとうございます!」

赤いはっぴを着たオジサンが、ガランガランと手に持った鐘を鳴らす。
頭の上でくす玉がぱかんと割れて、中から「大当たり」と書かれた垂れ幕が落ちてきた。
…ような気がした。
我ながらあほくさい発想に、くらくらと目眩がしそうだ。

トイレのなかで深く溜め息をつく。
手に持った妊娠検査薬は、はっきりと「陽性」の結果を示していた。




「…珍しいな、なまえから呼び出すなんて」

練習が終わったばかりの克朗が、ジャージ姿のまま私のマンションにいるのは不思議な光景だ。
いつも身だしなみに気を使う彼は、こんな姿で私の前に現れたりはしない。
けれど、今日ばかりは私も動転していた。
「着替えとかいいからすぐ来て!マッハで!!」と彼を呼び出した。


「……あのさあ……」
「なんだ?」
「できちゃった、っぽいんだ、よ、ねー…みたいな?」


語尾がどんどん弱くなる。
どうしようどうしよう。
さっきからそればっかり考えていた。
克朗は最近も日本代表に選ばれた大事な時期だし、私も社会人としてようやく仕事に慣れてきたころだし、このタイミングで妊娠!?
どうしようどうしよう。


「できた、って…子供が?」
「こどもが」


克朗もさすがに驚いているらしい。
普段冷静な彼が、ぽかんとしている。
しかし、その後の反応は予想外のものだった。


「……これで、なまえも結婚せざるを得なくなったな」
「は??」


いまなんていったのこのひと。


「いいタイミングだろう。俺もそろそろ安定して稼げるようになってきたし、結婚しよう」


克朗が真剣なまなざしで私の手をとる。
…けれど、


「え、……やだよ」


思わず口をついて出たのは、多分本心だったんだろう。


「……さすがに今のは俺でも傷ついたぞ」
「だって、あんた今大事な時期でしょ!?この前だってちゃっかりフライデーされてたくせに」
「なんだ、妬いてるのか?あれは誤解だって言っただろう。それに、フライデーじゃなくてフォーカスだ」
「フライデーでもフォーカスでも女性セブンでもスポーツ報知でも一緒だよ!とにかく、私はそんな人が旦那なんていやよ」
「じゃあ子供はどうするんだ?」


ぐ、と言葉につまる。

たしかに、私一人で子供を産むわけにはいかない。
かといって、中絶はもっといやだ。
しかし、克朗と結婚するのは…


「だいたい、なんでそんなに結婚を嫌がるんだ?俺と付き合っているのに、結婚は嫌なのか?」
「だって、今の会社がんばって入ったし、最近仕事面白いんだもん……」
「なまえのそういうところは嫌いじゃないがな」


そう言って克朗はため息をついた。


「確かに、俺と一緒になったらいろいろ苦労はさせると思うが…」
「克朗、海外でプレーしてみたいって言ってたよね。その時、私は自分の人生を懸けて克朗についていけるか自信がないの」


きっぱりと言った。
多分、彼にとっても残酷な言葉であろうことは自覚している。
それでも、彼は静かに私の言葉を受け止めてくれた。


「……わかった。お互いに少し考えてみよう。けど、覚えておいてくれ。俺は、なまえと結婚したいと真剣に思ってるよ」


…こんなにも真摯に向き合ってくれる彼に、どうして直ぐにイエスと言えないんだろう。
自己嫌悪で、胸が痛んだ。



*********



腹の底からじわじわと湧きあがってくる感情に、名前をつけられずにいた。

喜び?悲しみ?怒り?
何に対しての?
間違いなく言えるのは「驚き」だけだ。
しかし、それでも…

――私は、自分の人生を懸けて克朗について行けるか自信がないの。

あの言葉に、自分は確かにショックを受けた。


彼女は確かに自立した女性だった。
そういう彼女だったから、学生時代から忙しかったけれど長く付き合ってこられた。
「サッカー選手なんて、一生涯の職業をいうには綱渡り過ぎる」と彼女は言った。
冗談半分に「いざとなったら私が克朗を養ってあげる」と言って堅実な会社に就職した。
けれど「夢は一生追い続けなければだめ」といって事あるごとに俺の背中を押してくれたのもまた彼女だった。
プロになってから一度、「俺が再起不能の怪我をしたらどうする」と言ってみたことがある。
すると彼女は冷静に「克朗は頭がいいから、コーチでも解説者でも何にでもなれるでしょ」と言った。
その時、一生彼女にそばにいてほしいと思った。

けれど、やっぱり彼女の方がずっとずっと大人で、
ずっとずっと先のことまで考えて、悩んでいたのだということを思い知らされた。
俺は、彼女にそばにいて「ほしい」と願うだけで、彼女に何をして「やれる」かなど考えたこともなかったのだ。


「――珍しく荒れてんな」


バーカウンターの隣で、三上がグラスに口をつけながら言った。

サッカーの道にさっさと見切りをつけて今は有名商社の営業として活躍する三上は、違う道を歩んでいても今でも友人だ。
…まあ、俺をダシにして何度合コンさせられたかは数え切れないが。


「なんだ、まだ例のフライデー事件でなまえちゃんに怒られてんのか?」
「…フライデーじゃなくてフォーカスだ…」
「どっちでもいーだろそこは」


すでに酔いが回った俺が力なく答えると、三上が俺の頭を小突いた。


「…なあ、三上。俺は結婚相手としてそんなに頼りないか…」
「は!?なにお前、もしかして振られたとか、そーいう」


三上の声が一気に浮足立ったものになる。
この野郎、ちょっと面白がってるだろう。


「違う。…なまえが妊娠した」
「………マジかよ」


さすがに予想外の答えだったらしい、三上は目を丸くしてゆっくりとグラスを置いた。


「お前、避妊しなかったの?」
「したよ。でもあるだろ…空気に流されて、ってことが」
「あーまあな。しかし意外だな。慎重派のお前が」


…もしかしたら、自分はどこかで狙っていたのかもしれない。
なまえが自分と結婚してくれるタイミングを。
できてもいい、と思っていたのかもしれない。
子供ができたらきっと結婚してくれるだろうと。
それが、彼女の人生をどれだけ狂わせるかも考えないで。


「…で?」
「結婚しようと言ったよ。断られたけど」
「はああ!?なんで!」
「……こっちが聞きたい」


うなだれた俺の背中を、三上がポンポンと撫でる。


「…まーしかし、抱かれたい有名人ランキング常連の渋沢克朗が大本命に振られるとはねえ。やっぱタダ者じゃねーな、なまえちゃん」
「まだ振られてない!」


縁起でもないことを言うな。
…いや、でも振られたも同然かな…
彼女の手前、冷静に振る舞ったし余裕ぶって「お互いに少し考えよう」なんて言ったけれど、本当に時間が欲しかったのは俺の方だ。
あのままあの場できっぱりお断りされていたら、再起不能になっていたかもしれない。

…しかし、本当に彼女に「お断り」されたら自分はどうすればいいんだろう。
あまり考えたくない。というか、全然考えたくない。

……とりあえず、出産にはいろいろ出費がかさむと聞く。
帰ったら預金通帳を確認してみよう。



*********



夢を見た。
初めて克朗に出会ったころの。
あの頃、私も克朗も高校生で、向こうは入学した時から有名人だった。
生徒会役員をやっていた私は、サッカー部キャプテンの彼と何かと顔を合わせる機会が多く、初めて話しかけてきたのは向こうからだった。
高校3年の文化祭、だったかな。
告白されて、少し躊躇いながらもOKして、ぎこちなく付き合いが始まったのは。
でも、そのころはこんなに長く続くと思わなかった。
それに、有名になるのに比例してどんどん忙しくなっていく彼を遠くに感じて、学生時代は別れようと思ったこともあった。

…それでも、ずっと彼の傍にいようと決意したのはいつだったか。

夢は、高校の卒業式で終わっていた。
目覚めてから、夢の続きをぼんやりとたどる。

…ああそうだ。
学生の身でA代表に選ばれて、そのルックスから女性雑誌にも登場するようになって、いよいよ私じゃ釣り合わないなと思っていたころだった。
私の21歳の誕生日に、克朗が言ったんだ。


「俺と一緒にいて、不自由を感じることもあると思う。不満もあると思う。でも、…マスコミとか、ファンとか、余計なものからは全部守るから。だから、これからも一緒にいてほしい」


その言葉を聞いて、素直に思えた。
――ずっと、彼と一緒にいたい。

突きつめれば、それが一番シンプルな気持ちだった。


のそりと起き出してカーテンを開ける。
空はすで明るくなっていた。
8時になったら、会社に電話しよう。
半休をもらって、産婦人科に行こう。
…そして、克朗に連絡しよう。
今日、会いたいと。



私の部屋に呼び出した克朗は、珍しく緊張して見えた。
お茶を淹れにキッチンへ行って、部屋に戻るとテーブルの前に彼が正座していた。


「…どうしたの?」


訝しげに聞くと、克朗はガラステーブルの上に何かを置いた。


「――これ!」
「……通帳?」
「調べたんだ。出産にいくらかかるか。定期健診とか出産費用とか、たぶん足りると思う。助成金も下りるみたいだし…あと、病院はどうする?実家に近い方がいいか?」
「…克朗」
「わかってる!でも、結婚は別にしても、俺にも何か携わらせてくれ。なまえの子供は、俺にとっても大事な子供なんだし」
「…克朗、あのね、……ごめん」


すると、克朗の動きがぴたりと止まった。
ぎこちない表情で、私を見つめる。
ごくり、と喉が動くのが見えた。


「…ごめん、今日産婦人科に行ったの。……陰性だった」
「………、は?」
「市販の検査薬だと、ストレスとか生理不順とかで、稀に陽性って出ることがあるんだって。ごめん、ちゃんと病院行ってから言えばよかった」


最後の方は、あまりの申し訳なさに彼の顔を見られなかった。
ちらりと覗き見た表情は、今日私も病院であんな顔をしていたんだろうなあと思うような、間抜けなものだった。


「…子供は?」
「できてない」
「……本当に?」
「うん。ごめん」


克朗はテーブルに肘をついて自分の顔を覆い、深く深くため息をついた。


「……正直」
「うん」
「ホッとしたのが半分、残念なのが半分」
「うん」


多分その言葉に偽りはない。
むしろ、半分も残念と言ってもらえてありがたいくらいだ。


「…で、結婚の話はどうする」
「え、そこ!?」


急にしゃきっとした克朗が目の色を変える。


「そことはなんだ。まさか、妊娠してないから結婚の話も立ち消えるなんて思ってたわけじゃないだろう」
「…いや、だって…切り替え早すぎ…」
「それに、今日俺を呼び出したってことは、ひとまず自分の中で結論が出たんだろう?」


ずい、と顔を寄せられて思わず視線を泳がせる。
…それはその、その通りなんだけど!


「なまえ」


克朗が私の頬を両手で包んで、額を合わせる。
至近距離に彼の瞳があった。


「俺と結婚してくれますか」
「……はい」
「仕事を辞めろなんて言わない。そのうち海外のチームに移籍するかもしれないけど、なまえが嫌なら単身赴任してもいいし、絶対浮気はしない」
「うん」
「再起不能の怪我するかもしれないけど、ちゃんと養うから」
「…うん」
「子作りも…その、計画的に、だな」
「…もういいよ、わかった」


最後のはさすがに吹き出した。


「それじゃあ、誓いのキスだ」


そうして、やさしく唇が重ねられる。

そういえば、昔から彼は用意周到で、先回りしていろいろ考える割に空回りするようなところがあったっけ。
それでも、その細やかな気遣いとか優しさとか、そういうものを一つ見つけるたびにどんどん彼を好きになったんだった。

重なった唇から彼の温もりを感じながら、ずっとこの人と一緒にいたい、と何度目かわからない想いを噛み締めた。



 

[back]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -