(腹、減ったのう)

階段を降りて台所を覗く。誰もおらん。朝飯食べ損ねたのう、なんて肩を落としテーブルの上を見ると、皿の上に四段重ねのホットケーキが乗っちょった。おかんが仕事に行く前に作って置いててくれたんじゃろうか。ありがと、おかん。焼きたてを冷たくしてしまった不出来な息子をお許しください、多分だけど!

そう思いながらテーブルに近付くと、ホットケーキにシュガーパウダーが振ってあるのに気がついた。おかんがこんな小洒落たことをするとは思えんぜよ……作ったの、きっと姉貴じゃな。上から見ると、ホットケーキの真ん中だけパウダーがのうて、ええと……リス?うん、リスが跳んじょる絵に見える。恐らくホットケーキの上にリスの形にくり抜いた紙を置いて、その上からパウダー振ったんじゃろ。何この女の子らしさアピール。

と、その横のホットケーキを見る。こちらは三段重ねで、その上には小さな小さなリスの置き物が飾ってある。暇人じゃのう、姉ちゃん。

ともあれ、俺は腹が減った。大事なことなので何度でも言うぜよ!ナイフとフォークを戸棚から取り出し、テーブルに再び近づいた、その時。

「私の名前は柳生比呂士です。宜しければ貴方のお名前を教えて頂けませんか?」

……リスが名乗った。

凄いぜよ、名字までついちょる――て、え、リス世界の共通語ってそもそも日本語だっけ?

置き物だと思っていたそのリスは、尻尾と耳をひょこひょこ動かしながら、もうひとつのホットケーキに向かって懸命に話しかけていた。もしかしてアレか、あのホットケーキに描かれたリスを自分の仲間じゃと思っちょるのか。

……ふむ。

「あの、」
「――俺の名前は仁王雅治じゃ」

すると柳生と名乗るリスはそのふわふわした尻尾を千切れんばかりにブンブンと振った。犬が嬉しいとやるじゃろう?あんなカンジ。

「あああ、あの!!」
「何じゃ?」
「私と友達になって下さいませんか?この辺りには仲間がいなくて寂しかったのです」

おーおー、可愛いこと言うのう――俺が絵のリスに声を当てちょるとも知らず、滑稽なことじゃ。

「いいぜよ」
「本当ですか?嬉しいです!」

柳生はピョンと一回跳ねると、これは失礼しました、と恥じ入り、手に持っていたどんぐりを差し出した。

「これ、お近づきの印です」
「ありがとさん。そこに置いててくんしゃい」
「貴方はこの家に住んでいるのですか?」
「おん」
「じゃあ、ちょくちょく遊びに来ても宜しいですか?」
「いいぜよ」
「……!感激です!!」

そしてそいつは目をうるうるさせて(多分じゃよ。こちらに背を向けちょるから判らんが、声から察するにきっとそうじゃ)、嬉しいです、有難うございますと繰り返した――








「雅治。アンタの為にホットケーキ作ってやったんだけど。食べたの?……って、何アンタ。何大量にホットケーキ作ってるの」
「練習じゃよ」
「は?」
「姉ちゃん。俺、明日から毎朝ホットケーキ作るナリ」
「はあああああ!?」













「御機嫌よう、仁王くん」
「おん。早かったのう、やーぎゅ」

――それから。
柳生は毎日のように家の台所に現れるようになった。

「あの……仁王くん。仁王くんは何故いつもそこで寝転がっていらっしゃるのですか?」
「修行じゃ」
「修行!?」
「おん。明鏡止水を取得する為に座禅しとるんじゃ」
「――すみません。座禅とは足を組み姿勢を正して座ることでは……」
「石破天驚拳撃ってみたいのう」
「言葉通じてます?」
「この家で飼われている俺が籠の外に出してもらえる時間は限られているんじゃ。その限られた時間で俺は此処で座禅を組み修行を積まねばならん。判るじゃろ?」
「判りません」
「だからお前さんはこっちの大きい座布団に近づくんじゃなか。座布団が崩れたら今までの修行が無駄になるからのう」
「はあ……」

柳生はそれ以上追求することを諦めたらしく、面白いひとだ、と溜め息混じりに呟くと、リスの絵のない方のホットケーキをよじよじと登り始めおった。多分自分に用意された座布団だと思っちょるのかのう。

「ひっくり返らないように気ぃつけんしゃい」
「有難うございます。大丈夫ですよ、私、こう見えても器用なんです」

よいしょ、とホットケーキの上に身体を乗り上げ、やっと仁王くんのお顔が見れました、とにっこり笑った。

「しかし仁王くん。外の世界は素晴らしいですよ。修行も大切なことですが、たまには出掛けてみませんか」
「ヤだめんどおくさい」
「面倒って……」
「じゃあ柳生さんが外の世界がどんなに素晴らしいか話してくんしゃい。心惹くもんがあったら出かけちゃるきに」

すると柳生は顔をパアアと輝かせた。

「本当ですか!私、一生懸命お話しします!」
「おん」

私、説明するの、得意なんですよ!と顔を綻ばせて、げに可愛いやつじゃ。








「――雅治。またホットケーキ作ってるの!?毎日毎日、よく飽きないわねえ」
「おん」













(寒くなったのう)

季節は冬になった。しかし柳生は飽きもせず、家に来ては絵に描かれたリスを連れ出そうと、外の世界の話をした。紅葉が美しい季節ですが一面のコスモス畑にも圧倒されます、とか、どんぐり拾いは楽しいですよ、とか、それはそれは楽しそうに。しかし未だ連れ出すことが出来ずにいた。当然じゃがのう。

「こんにちは、仁王くん」
「おん。いつもより少し遅かったのう。結構冷えてきたからそろそろ来んくなると思った」
「寒いから来ない?それは何故」
「冬眠じゃよ」
「冬眠……?」

柳生は不思議そうに首を傾げる。ふむ。リスは冬眠せんのかのう。なんか、ホッとした。

「何でもなかよ。それよりほら、早く座布団に上がってきんしゃい」
「……」

しかし奴はなかなか登って来ない。

「どうしたんじゃ?やーぎゅ」
「あの……仁王くん……」

すると柳生はもじもじしながら言い辛そうに口を開いた。

「来れないことはないのですが……此処に来る回数が少し減るかもしれません」

――へ?

「ど、どういう事じゃ、柳生!!」

俺は危うく柳生の身体を掴みそうになった。ハウスハウス!……て、え?

「すみません、仁王くん。実は、妻に日中殆ど家にいないのはどういう事だと叱られまして」

……つま?

「妻って……何?」
「ですから、私の奥さん」

なんじゃと―――!!!

「聞いてない!俺、聞いてないぜよ!!」
「わざわざ妻帯者であることを告げる必要もないかと思いまして。ほら、他人の惚気を聞いても楽しくないでしょう?」
「楽しい楽しくないの問題じゃなか!今すぐ別れんしゃい!!」
「別れるって……ご自分が何を言ってるか判っていますか!?」
「ああ、判っちょる!!別れて俺と……」
「……俺と?」

くるり。柳生は今まで振り向きもしなかった俺の方を見た。人間の、俺を。

「や、柳生さん……」
「無理ですよ、仁王くん。貴方と私を隔てる壁は思うより高く分厚い」

柳生がどんな表情でそれを俺に告げたか判らなかった。でも、俺は――









「――起きろ、仁王!授業始まったぜ、センセー超睨んでるだろぃ。寝言もデカいし、柳生がどうとか、比呂士の夢でも見てるのかよ。アイツもいい迷惑……」
「ねえ、ブンちゃん。リスと人間の恋に比べたら、男同士の恋なんて、障害があってないものだと思わない?」
「――は?お前、まだ夢の中……」
「起きちょるぜよ。俺は正気」

机に伏せていた顔を上げ立ち上がると、勢い余って椅子が倒れ、傍にいたブン太がわ!と小さく悲鳴を上げそれを避けた。その派手な音にクラスメート全員が一斉に顔を向け、教師が渋い顔でのしのしと歩いてきた。

「おい、仁王!いいから座れって!!」
「だけど時間が経っちゃうと又うだうだ悩むけぇ、今告白すべきだと思うんじゃ」
「――え、って仁王!!」

俺はブン太が押し付けてきた椅子を押し返し、教師の隣をすり抜け教室の扉へと走った。教壇の花瓶が目に入り、そうか、持って行くと成功率上がるのう柳生さんロマンティストじゃし、なんて思って花に手を伸ばした。ピンクのそれはコスモス。夢の中で柳生が好きとか何とか言ってなかったっけ、良い感じじゃ。花言葉知らんけど!

「ちょ、お前、どこ行くんだよ――!!」

俺は騒めく教室を出、そして隣の教室の扉を開いた。3-A、柳生のクラスじゃ!

「――仁王!?扉は静かに開けんか、たるんどる!!」
「真田……突っ込むべきところはそこじゃないだろぃ」

後ろからブン太の呆れた声がした。ついて来たんか、ブンちゃん。

「仁王くん。貴方の教室は隣ですよ」

柳生が席を立ってやれやれ、と苦笑しながら近づいてきた。多分俺が自分の教室を間違えたとでも思っているのだろう。

「貴方のクラスも授業が始まったのではありませんか?早く教室に――」
「柳生比呂士。3年A組20番。10月19日生まれ、性別男、でも人間。現在彼女なし、ちうか年齢と彼女いない歴が同じ」
「……わざわざ誹謗中傷しに来たんですか貴方は……」
「やーぎゅ、これ!」

俺は手に握り締めていた花を柳生に差し出した。

「やる!」
「あ、有難うございます……しかし何故今、」
「おん。今から結婚式しよう柳生さん。ギャラリー沢山おるし、先生は神父やってよ。この中で一番年長者じゃけぇ」

すると柳生はぽかーんと口を開けたまま凍りついた。まあ柳生だけでなくブン太も真田も、教室中がそんな感じじゃけどな。今まで皆を散々驚かせて呆気に取られた顔を見てきたけどコレ最強だわ。

「あ、そうか。普通は告白が先なんじゃな。まあいっか、行く行くはこうなるんじゃし」
「こうなるって………え?え?」

柳生は訳が判らないんですけど、と間抜け面のまま俺の顔を見る。俺はニンマリと笑って答えた。

「好いとうよ、やーぎゅ。俺の恋人になってくんしゃい」














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