010


トライバース・北の国イヴェールのタウ家付近

 すっかり日が暮れて気温は日中よりさらに低くなった。
 森を抜けて町に入り今は郊外を進んでいるところだ。
 ユベールが白い息を吐き出して見上げると、空には星が瞬いている。
 国境地点ビブリオテークほどではないが、戦火から遠く空気が澄んでいるためか
十分に綺麗で、それを眺めて寂しい気持ちになってしまう。
 進行方向に小さく目的の屋敷が見えたせいだ。
 ビブリオテークで星を眺めた時はあんなに遠かったのに別れが近いことを示しており、
想像よりも長くなってしまった旅路はもうすぐ終わろうとしていた。
 ふと、小さな震えを感じて背中の重みが和らぐ。
 コンウェイは絶妙な瞬間に目覚めた。
「もうすぐ着くぞ」
「……うん。ボク、重かった?」
 いや、とだけ返した。
 その後は双方に沈黙が流れ、風の音が二人を支配する。
 ほどなくしてタウ家の近くまでやって来た。
 ユベールは声をかけずに腰を屈めると、背中からコンウェイを下ろして真っ直ぐに向き合う。
 言いたいことは色々あるはずなのに、何を話せばいいのかわからず困惑してしまう。
 そんなユベールに対して微笑するコンウェイは出会った時のように可愛らしい。
「ありがとう、ユベールさん。お礼もしたいし、また…会えるかな?」
 飾らない言葉が素直に嬉しかった。
 それなのに思わず渋面になったのは拒絶の表れではなく、
自分にはその資格がないと考えたせいだ。
「………俺と会ったことは忘れろ。夢だったと、思えばいい」
 この科白は、コンウェイを納得させたかった訳ではない。
 納得させたかったのはユベール自身。
 最初は利用するつもりで‘屋敷まで送る’と約束した。
 そのはずだったのに一緒に過ごす内、いつの間にか見捨てられない
大事な存在になってしまったのを、もはや認めない訳にはいかなかった。
 けれど人間の心は簡単には変わらないからこそ、
やがてやってくるであろう大切な存在を傷つける日が怖くて仕方がないのだ。
 微笑していたコンウェイの表情が思いの外、悲しそうなものに変化してしまい心が軋む。
 自分の気持ちに気づかない振りをしたユベールは懐から書物を引き抜き、すっと差し出した。
「やるよ」
「これ……大切な物なんでしょ? それとも、ウソだったの?」
 光源が少ないため受け取って触り、
初めて何かを理解した浅紫の瞳が責めるような視線を送ってくる。
「どうだろうな」
 わざと、曖昧な微笑みを浮かべるユベール。
 心を繋ぐ物語を咄嗟に‘約束’として使えたのは嘘ではなかったからこそ。
 これはエリーがユベールのために原本から書き写してくれた神話の一つだ。
 この神話は民間人の間でも多少知られているので
コンウェイも何となく気づいているかもしれない。
 一年以上前、‘黄金の救世主’になるべく神話の内容をきっちり理解するように、
とトライバース言語のものを国王に渡されたが頑なに拒否した。
 されど、しつこく強制しようとしてきて、鬱陶しかったユベールは言ってのけたのだ。
 『エリーが同じものを書き写してくれたら読んでやる』と。
 当然、冗談だったのだが、本気にしたらしいエリーは百ページを超える物語を
本当に書き取り、自身の魔力を込め武器として魔導書にしてくれた。
 もしかすると、異世界に興味を示さないユベールに
業を煮やしていた国王からの命令だったのかもしれない。
 しかし、嬉しかったという思いは本物だった。
 結局、魔導書として利用しているだけで未だに少しも読んではいないのだが。
「ボクはあの時の言葉、ウソだと思いたくないから、」
 コンウェイが言いかけると本の隙間からするり、と何かが落下した。
「ああ…それ、親御さんに渡してくれ」
 拾い上げたコンウェイが見つめている物はユベールが昨日の夜に書いた手紙だ。
 コンウェイが二度とこんな目に遭わないよう、神隠しについて存知の知識を書き上げた。
 時空の歪みの強い場所にさえ行かなければ大丈夫なので、
逆にコンウェイはそんな場所にいたはずだ。
 そのため、原因になりそうな所には近寄らないように促してある。
「ボクは読んじゃいけないってこと?」
「いや、別にいいけど…」
 ただ読んでも楽しい内容ではないのは確かだ。
 けれども、なぜか顔を綻ばせたコンウェイは、ぎゅっと物語を抱きしめる。
 どうやら、それごと受け取ってくれる気になったようで安心した。
 中身が知りたいと言われたが、もう決して会うつもりはないのだから。
 ユベールは空の瞳を伏せる。
「……………もっと、優しくしてやればよかった………、ごめんな」
 今さら過ぎるが後悔から出た言葉だった。
 生意気だとしか思っていなかった、自分より年下の少年は強がりで
素直ではないけれど、わかりづらい優しさを持っていて。
 たった数日、傍にいただけなのにユベールの凍えそうな心を溶かしてくれた。
 コンウェイ――その名の意味は‘心を導く者’。
 言い得て妙だと苦笑いした後、無意識に紫黒の髪へと手を伸ばしかけて。
「――コンウェイ様!!?」
 それが中途半端に止まる。
 遠方に薄ら見えた陰は声音からして男だと思われる。
 おそらく、タウ家に仕えている執事だろう。
 段々とはっきりしてくる人陰にユベールは苦渋の表情で逃げる選択をした。
「待って、ユベールさん!」
 コンウェイの手がコートの端を掴んだものの振り切って、前だけを目指し全力で走り続ける。
「コンウェイ様! そこの少年、待て!!」
「ダメ! 追わないでっ」
 引き止めるのを諦め、逆に執事を必死で止(とど)めようとくれるコンウェイの声。
 それを後方に聞きながらユベールは闇夜に紛れて姿を消した。
 もしも、第三者が現れなければコンウェイは何と答えたのだろうか。
 それを知る機会はきっと永遠に訪れない。
(それでいいんだ。俺達は、出会うべきじゃなかった……)
 何かの悪戯で出会ってしまったけれど自分で言葉にした通り、
早く夢だったと忘れてしまえばいい、と再度言い聞かせた。
 ユベールはタウ家から随分離れた夜道をゆっくりと歩く。
 もう背中に感じない重みが、より一層彼の寂しさを助長させる。
 大切なものを得たと思ったら、自覚した時(しゅんかん)に失った。
 いや、‘手放した’と表現した方が正しい。
 それが、お互いのためだと考えたのだ。
(忘れろ。早く……早く………)
 その場でしゃがみ込んで膝を抱える。
 涙を流したのは久しぶりだ。
 来た時と逆の道を辿り、ユベールが駐屯地に帰還したのは二日後のことだった。
 イヴェール城の門が見えてきた頃、待機していた特殊部隊数人に発見された。
 別に抵抗する気はなかったため、あっさり捕まったまでは構わなかった。
 だが、この待遇はあんまりである。
 ユベールが問答無用で放り込まれたのは十三階に存在する捕虜を収容する牢屋。
 まるで罪人扱いだ。
 実際、軍の機密事項をもらしていたりするため間違いではないのだが。
 洞窟や森よりも暗く、じめじめとした空間はそれだけで気分が滅入り、何より寒い。
(散々‘救世主’扱いしといて、このあしらいかよっ)
 駐屯地を脱走した罰として、普通なら除隊の処分が下った後は解放されて終わりだろう。
 しかし軍が、正確には最高司令官がユベールを自由にするとは考えられず、
最悪の場合は黄金の救世主になるその時まで軟禁もあり得そうだ。
「くそ、ふっざけんなッ」
 考えれば考えるほど鬱憤が溜まるばかりで感情に任せて叫び、
鉄格子を蹴り上げ、辺りに鈍い音が響く。
 そんな時、人の気配を感じ取って二つ分の足音が聞こえ始める。
 現れた内の一人は先日再会したアレクシス。
 もう一人はコンウェイと同じ髪色を持つ中年男性で
軍の最高司令官兼国王のズマナ・ゾラだった。
 この男の姿を見るのは久しい。
「ゾラ…!」
 ユベールは射殺す勢いでねめつける。
「‘様’をつけないか」
 アレクシスが静かな怒りを見せて一歩前に出ると、ズマナが片手でそれを制す。
 ユベールが反抗的な態度なのは入隊した時からずっとであるため、構わないという意味だろう。
 今度はズマナが数歩近づいて目の前までやって来た。
「自らの使命を放り出したこと、多少は反省しておるのか?」
「勝手に決めつけといて、反省も何もねぇよ! 俺はあんたを、絶対に許さない…!!」
 憎悪を剥き剥き出しにするユベールに対して、
ズマナは実に淡白な素振りで眉一つすら動かさなかった。
 それが余計に彼の負の感情を煽り刹那、ズマナの真下に白の魔法陣が出現する。
 が、アレクシスが素早い動きで庇ったせいで標的には命中せず舌打ちした。
 おまけにマジックハンドリングで防御されて大した負傷もなかったようだ。
「あまり反抗的だと早死にするぞ」
「やってみろよ」
 剣の柄に手をかけたアレクシスをユベールは鼻であざ笑う。
 幾ら非情なアレクシスでも殺しはしないと確信しているのだ。国王が望まない限りは。
「相変わらず…か。だが、二度も脱走したことは不問にしてやろう。
その代わり、ひと月後から正式に軍人として働いてもらう」
「!! ……どうせ戦闘部隊だろ? 人殺しなんてまっぴらだ!
すぐに死んでやるよ。それに俺は、救世主なんかにはならないッ!!」
 力の限り怒鳴ることでアレクシスの発言を拒絶した。
 魔術師の能力が一番活かされるのは戦闘部隊。
 けれど、国のためだとしてもユベールは人殺しにはなりたくない。
 何より、ズマナの思い通りに動かされる人生が嫌で嫌で堪らないのだ。
 無垢なる絆でのスパーダとの出会いによって、守りたい者のためなら
救世主になってもいいかもしれない、なんて考えたが、
ズマナ本人を目の前にすると否応なしに憎しみは膨れ上がっていく。
 強くなりたいと願った‘想い’は決して嘘ではなくても、その感情は抑えられなかった。
 しかし、アレクシスに告げられたのは諜報部隊行きという意外な辞令だった。
「は…? 冗談、だろ?」
「私は冗談が嫌いだと言っている」
 二度言わすな、と言わんばかりに眉間に皺を寄せるアレクシス。
 そんな隊長が好むのは強者。
 ユベールが幾ら‘最強の魔術師’と呼ばれるに値する存在でも、
精神的に弱ければお呼びではないのかもしれない。
 元々、戦闘部隊には所属したくないし、黄金の救世主にもならないと
常に逆らってはいたものの、同情しないこの男が国王以外に配慮するなど有り得ないから。
(いっそ、除隊してくれりゃよかったのに……。けど、エリーと同じ部隊なら悪くない、か)
 ほんの少しは期待していたのだ。
 部下の反抗的態度を許さないアレクシスが除隊してくれたら、と。
 見事に甘い夢で終わったが。
 こうしてユベールの配属先が決まり、暗い牢屋から解放されたのは翌日の朝だった。


To be continued.

2015.02.21.



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