008


トライバース・北の国イヴェールの駐屯地内七階

 前触れなく開いた扉からは、綺麗な漆黒の髪を背中まで流した少年が出てきた。
 その少年に数十人いる特殊部隊の視線が一斉に注がれる。
 少年は臆せず俯き加減で螺旋階段へと急いだ。
 七階から六階、六階から五階、五階から四階へ。
 途中、どの階段付近にも特殊部隊が待機しており警戒したものの、偽物だとはばれなかった。
 ユベールの信頼する人が考え出した作戦とは別人として外に脱出するというもの。
 そう、部屋から出て来た髪の長い少年はエリーではない。
(何だ、案外チョロいな)
 黒髪の少年、ユベールは密かにほくそ笑んだ。
 上手く事が運びそうで、このまま一気に外まで行きたいところだ。
 三階へ続く階段を下りている時、灰茶の髪をした外跳ねの青年とすれ違う。
「お、エリー。遅めだが朝飯でも一緒に…」
 ユベールはあえて無視した。
 なぜなら、正体が知られたらまずい相手だからだ。
 研究部隊所属隊長ベルトラン・バルザック。
 この男に対してエリーはいつもこんな態度なので、別段不自然ではないはずだった。
「! おい、待たんか!」
 危険と判断したユベールが走り出すより先に腕を掴まれる。
 勢いのままに壁に押しつけられて乱暴に掻き上げられる前髪。
「お前…エリュシオンか」
 暴かれた空の瞳がエリーではないと告げていた。
 ユベールは舌打ちする。
 ベルトランはエリーを目に入れても痛くないほど可愛がっており、それはもはや執着に近い。
 相手が違ったなら偽物だとはばれずに誤魔化せただろうに。
「やっと帰って来たと思ったら、早速脱走かぁ? しかも、エリーに化けるとは食えん奴だな」
「さっすが、エリー馬鹿は伊達じゃねぇよなぁ」
 ユベールは軽い調子でを返すものの内心は酷く焦っている。
 もう少しでコンウェイの元に辿り着けると思ったのに、自分の運の悪さを呪いたくなった。
「お褒めに与り光栄だ」
「褒めてねーよ」
 軽口を叩き合ってはいるが、ここで逃がしてくれるほど甘い人間ではない。
 ベルトランが甘いのはエリーにだけ。
 義理とはいえ弟のシリルにすら容赦しないような男なのだ。
「肩の傷、治してやったのはオレなんだがなぁ?」
「そりゃどうも」
 形だけの礼を述べるユベール。
 ベルトランは魔術師であると同時に治癒術師でもあり、その腕はどちらも優秀だ。
 マジックハンドリングも使用出来るので、闘えばまずユベールに勝ち目はない。
 勝機があるとすれば心理戦。
 ユベールは表情を隠すために俯き加減になる。
「いいのか? 俺がここにいるってことはさ、本物は…」
 途端、ベルトランの顔色が変わり、銀朱の瞳が明らかに揺らいだ。
 もうユベールには見向きもせず数段飛ばしで階段を駆け上がっていく。
 面白いほどすんなり引き下がってくれて、彼は安堵の息を吐いた。
(バーカ。俺がエリーのこと、傷つける訳ないじゃん)
 脱走に加担させたとは思わせたくなかったため、問答無用で気絶はさせたが。
 危機を回避したユベールは足早に階段を下りていき、
この後は問題も起きずに駐屯地の門まで辿り着いた。
 門番二人にも怪しまれず、記録帳に名前を記した。
 もちろん、‘エリー・ルヴィエ’と。
 外ではちらちら、と雪が降り始めておりユベールは顔をしかめる。
 コンウェイは大丈夫だろうか、と急に心配が募り始めて。
 門が見えなくなるまで国境地点ビブリオテークの方向に早足で歩き、かつらを脱ぎ捨てた。
 どうせ脱走はすぐばれてしまうだろうから、もう必要ない。
 ユベールは走り出す。
 息を切らせて約束の場所まで戻って来たが、どこにもコンウェイの姿はなかった。
(やっぱ、先に……)
 乱れた呼吸を整えながら街道の方角を見つめる。
 しかし、屋敷までの道のりに続くそこは魔物がはびこっている。
 とても力ない少年一人で通り抜けられるものではなく、最悪の想像が頭を過(よ)ぎった。
「くそッ! メタスタスッ」
 数歩踏み込んで転移魔術を発動させる。
 一旦ビブリオテークまで戻り転移魔術で最寄り町まで移動した後、
街道を通ってここまで逆走しようと考えた。
 もしコンウェイが運よく先に進んでいるのなら中間地点で落ち合える奇跡を願って。
 瞬間的に国境地点まで移動して、もう一度転移魔術を発動させようとした時。
「――コンウェイッ!!」
 遠くにうずくまっているような影が見えたのだ。
 ユベールの呼びかけに薄ら反応を示して動き出したかと思うと、こちらに向かって駆け出す影。
 ユベールもほぼ同時に走り出して、抱き止めた小さな身体は予想より遥かに冷たい。
 一度冷えた身体はなかなか温まるものではないし、
ここに移動してからの時間の方が短いのだろう。
「遅いよ……」
 責めるようにこぼされた言葉には覇気がなく、今にも泣きそうに聞こえた。
 心細くて仕方なかったに違いない。
 それでも、約束通りに待っていてくれた。
 ユベールは顔を歪めて抱きしめる腕に力を込める。
「ごめん…! ホントに、ごめんな……」
 機密事項である転移魔術の構造が知られてしまった事実など、どうでもよかった。
 そもそも、約束を破ったユベールが悪いのだからコンウェイに非はない。
 とりあえず自分の上着を脱いでかけてやろうとしたが、その前に小さな身体が傾いだ。
「おいっ」
 慌てて受け止めて、偶然触れた頬は明らかに熱を持っており戦慄する。
 氷点下の中、まだ幼い少年がずっと待っていたのだ。
 それだけではなく、神隠しに遭ったこの数日間でたまった疲労と心労が限界を超えたのだろう。
 ユベールはコンウェイを抱き上げて入り口まで戻ると、最寄り町までの転移魔術を発動させた。
 魔法陣が黄色に光りくるくると回って移動するまでの短い間すら長く感じられて苛々が募る。
(早く、早くっ…!)
 瞬間、想いが通じたかのようにユベールとコンウェイの姿が消え失せた。
 ――辺りは静かだが、遠くの方から微かにざわめきが聞こえる。
 狭く長い路地裏から急いで大通りに出て、
宿屋に助けを求めて落ち着いたのは四半時が経った頃。
 現在はベッドで意識が朦朧としているコンウェイの世話をしながら、
ユベールは心底自分の行動を悔やんで落ち込んでいる。
 あの時、駐屯地に戻る必要性はなかったけれど、あえて戻ったのはコンウェイのためだった。
 休憩を挟みながらの道中でも、幼い少年には厳しく無理をしていると感じていたから
グレイシャーを使って移動しようと考えたのだ。
 グレイシャーはイヴェール特有の生き物で、軍と王族が所有しており長距離の移動に使われる。
 それを無許可で借りてようとしていたが、結果的に全て裏目に出てしまった。
 せめて、あそこで出会ったのがアレクシスでなければ違う未来があったのかもしれないが。
 そこまで考えてユベールは自嘲をもらした。
(いや……俺が、もっともっと強かったら……。
スパーダ、やっぱ強くなきゃ駄目なんだよ。強くなきゃ、何も守れないんだ………)
 ‘想い’だけではどうにもならない現実があるのだと、痛いくらいに思い知った。
 このままでは思考が暗く沈んでいくだけだ。
 ユベールは頭を振り、気を取り直してシャワーを浴びるために椅子から立ち上がる。
 浴室にいる間もコンウェイのことを考えた。
 体調が回復するまでは何日もかかるだろう。
 けれど、コンウェイとしてはもう一秒でも早く屋敷に帰りたいはず。
 それなら、あまり身体に負担をかけないように注意しながら出発するべきなのかもしれない。
(俺としては休ませた方がいいと思うけど、とりあえず本人に訊いて……)
「ユベールさんッッ!!」
 脱衣所でタオルを使って髪を乾かしていると金切り声が聞こえた。
 次いで大きめの物音がする。
「どうした?!」
 駆けつけてみればコンウェイがベッドから落ちていた。
 慌てて近づいて抱き起こす。
「だ、大丈夫か…?」
「………よかった。会えたのは、夢だったのかと思ったから……」
 呟くような声が、ユベールの服を握りしめる手が、小刻みに震えている。
 目覚めた時に彼がいなくて不安が押し寄せてしまったのだろう。
 珍しく素直にこぼされた本音が胸を締めつける。
「………大丈夫だ。夢なんかじゃない。ちゃんと、傍にいる」
 ユベールは緩く紫黒の髪を撫ぜながらコンウェイが落ち着くのを待った。
 しばらく静寂が流れて、お腹が空いた、と言い出したので宿屋の人に食事を用意してもらった。
 といっても、ここ数日はチョコレートしか口にしておらず熱もあるため、消化によい病人食だ。
「熱下がったらさ、どうする?」
「…‘どうする’って?」
 問いかけ返した後、
ベッドの上で食べ物を口に運んで咀嚼しながらコンウェイが目を丸くしている。
「すぐに出発するか、それとも…」
「すぐ出発しようよ」
 あっさり言って、コンウェイはまた一口、食べ物を口に入れた。
 同じものしか食べていなかったためか、その表情は嬉しそうだ。
「けど、あんま無理するのはよくな」
「ボク、早く帰りたい。ユベールさんも、そのほうがいいでしょ?」
 浅紫の瞳が肯定を促すように真っ直ぐ見つめてくる。
「……俺はどっちでも。けど、無理はするな。気持ちはわかるけどさ」
「うん。きっと、明日には下がってるよ」
 熱によりほんのり蒸気した顔でにっこりするコンウェイ。
 どこか嘘くさい言葉と笑顔で、だから気づいてしまった。
 コンウェイの‘早く家に帰りたい’という発言は嘘ではないかもしれないが、
一番はユベールに気を遣っているのだと。
(やっぱ、無理やりにでも休ませるべきかな…)
 無茶をさせて悪化してしまったら元も子もない。
 軍人であるユベールと違って、ほんの少し魔力の才能を持っているだけの子供なのだから。
 コンウェイの気持ちと家族の気持ちを優先するなら、早々に出発するべきだが。
 腕組みしながら真剣に悩むユベールをよそに、
コンウェイはおいしそうに食事を続けているのだった。


To be continued.

2015.02.21.



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