003


無垢なる絆・憂いの森内の中間付近

 時空の歪みが、酷い。
 憂いの森に踏み入ってから感じていた肌を刺すような不快な痛みと違和感が強まってきている。
 魔力の保有値が高い者はそれを顕著に感じ取り畏怖する。
 この森は地元の人でもあまり近寄らないらしい。
 ‘神隠し’に遭う危険があると言われており、
子供の悪行などを戒めるうたい文句にされているくらいだ。
 ユベールが行きにラストゲートを開いて辿り着いた場所がこの辺りだった。
 一度扉を開けたために歪みが増してしまったのだろう。
 そもそもこの森は異質で、そのためか魔物に特殊な能力を持っているものも多く凶暴だ。
 空間が安定していない故に、いつ自然にゲートが開いてもおかしくはない状態で気が抜けない。
 地面に散らばっている黄色や赤の葉を踏み鳴らしながら慎重に進んで行く。
(? ……人が…いる?)
 敏感に気配を感じ取ったユベールは一度立ち止まる。
 幸い近くに魔物はいないようだ。
(…………一人…だな。子供…? こんなところに?)
 もしかして隣町から来てしまったのだろうか、と考える。
 しかし、距離にするとかなり遠いはずだ。
 子供が、それもたった一人で来られるとは思えない。
 不信感が増していつでも抜刀出来るよう、柄に手を添える。
 かさり、と葉擦れの音がして現れたのは、赤系統のぶ厚いローブを身につけた可愛らしい少女。
 肩まで届かない紫黒の髪に、浅紫の瞳から受ける印象はどことなく気品がある。
 少女の方はユベールの存在にはまったく気づいていなかったようで、
いきなり現れた形で驚いたのだろう、瞬きを繰り返している。
 ユベールは一先ず警戒を解くと、ゆっくり近づいて少女の前にしゃがみ込んだ。
 少女の方はまるで警戒していないようだ。
 なぜか手を伸ばしてきて、そっとユベールの金髪に触れる。
「きれいだね。まるで、‘黄金の救世主’みたいだ」
 そうこぼして、少女は嬉しそうにやんわり微笑んだ。
 言語が無垢なる絆のものではなかった。
 ユベールは反射で僅かに眉をひそめて、それから問いかける。
『……お前、イヴェールの人間か?』
 少女は理解出来なかったようで小首を傾げる。
 ユベールは確信した。
「お前、イヴェールの人間か」
「そうだよ」
 故郷の言葉で言い直すと、少女が微笑したまま答えた。
 ユベールは顔をしかめる。非常に面倒な事態になった、と。
 彼は今ここで選択しなければならない。
 少女を連れて一緒にトラーバース世界に帰るか、
それとも何も見なかったことにして見捨てるか。
 数秒悩んだ結果、無言で立ち上がる。
 見捨てると決断したユベールは足早に進み始めた。
 人道には反するが、今はまだ帰りたくないから仕方ないと割り切って。
 ――魔物ではない足音が一定の距離を保ちながら追いかけてくる。
 少女がユベールの後をついて来ているのだ。
(ま、普通はついて来るよなぁ。あー、面倒くさい……)
 ここまでに数回、魔物と遭遇したものの特に問題は起きなかった。
 普通なら泣き喚きそうだが、少女は常に平然としている。
 故郷にも魔物が出没するとはいえ、肝が据わっているのだろうか。
 明らかにユベールより年下なのだが。
顔は大変可愛らしいのに精神はちっとも可愛らしくない。
 その方がユベールにとっては都合がいいので文句はなかった。
 けれど、いつまでも後をついて来られるのは困る。
「ついて来るな」
「屋敷に帰りたいんだ。ここがどこかわからないし、道を知ってるなら一緒につれてって」
 ユベールが睨みを利かしても怯まないくせに、思考は意外と常識的らしい。
 少女はどうやら‘神隠し’に遭ったと推測出来た。
 トライバース世界から異世界に移動するには、
ファーストゲートを通過しラストゲートを開錠して、最後に門番を倒さなければいけない。
 けれど少女からはその過程を経て異世界に来られるだけの魔力は感じないし、
先ほどの発言からも間違いないだろう。
 神隠しは魔力の才能に恵まれた者に発生する現象。
 詳しい構造は解明されていないが、
時空の歪みが酷い場所にいると体内の魔力に反応して稀に起こるのだ。
 少女は見た目の歳に反して微弱ではあるものの魔力がある。
 ユベールは運の悪さに同情した。
 しかし面倒を看るかは別問題で、そんな気は毛頭ない。
「いいか、俺があんたを家に帰してやる義理も、メリットもないんだよ」
 わざと冷たく突き放すと、少女は考え込む素振りを見せた。
「………何が望みなの?」
「あんたに望むことなんか、何もない。強いて言うなら、今すぐ俺の前から消えてくれ」
 眉をひそめて言えば流石に泣くだろうか、と思ったのだが、
不快そうに顔を歪めただけだった。
「血も涙もない人だね」
「あんた…顔に似合わず、ホンットに可愛くねぇな」
「失礼だね。それに顔が‘可愛い’なんて言われても嬉しくないよ」
 先ほどよりも不快感をあらわにしている少女を見て、ユベールは首を捻る。
 そして、少女だと思っていたのは間違いで実は性別が男だという、
どうでもいい事実に気づいた。
「とにかく――」
 言いかけて、気配を感じ取ったユベールは空を見上げる。魔物だ。
「伏せろッ」
 少年の頭を抑え込んで舌打ちする。鞘から剣を引き抜いて魔物に一撃を与えた。
 だが、決定打にはならず魔物が旋回してくる。
 狙われているのは少年の方だ。
 ユベールは少年と魔物の間にぎりぎり滑り込んで盾となった。
「くっ…!」
 魔物の鋭利な爪がユベールの腕に食い込むが、臆せず逆襲の一撃でとどめを刺した。
 ユベールは軽く息を吐いて腕を見る。
 幸い、傷は深くなかった。
 あまり血を流すと後で自分の首を絞める羽目になるので早めに止血を施しながら後ろを見る。
「怪我は?」
「…大丈夫」
 地面に座り込んでいた少年が立ち上がって近寄って来る。
「さっきの言葉、訂正するよ」
(…え、実は‘可愛い’って言われると嬉しいって?)
「あなたは優しい人だ。助けてくれて、ありがとう」
 意外な科白ときれいな笑みに面食らって言葉を失った。
 固まっているユベールに少年がさらに一歩近づき愛らしく首を傾ける。
「ねぇ、あなたの名前…知りたいな」
「……名前が知りたきゃ自分から」
「ボクの名はコンウェイ」
 ユベールは言い切る前に先手を取られて嫌な顔をした後、驚愕する。
「……今、何て言った…?」
「だから、コンウェイだってば。コンウェイ・タウ。
ああ、もしかして…ボクが王族だから驚いた、とか?」
 年齢からは不相応な笑みを浮かべるコンウェイを見て、
ユベールはどこまでも可愛くないな、と思いながらも思考は打算的な方向に流れていた。
 彼は密かにほくそ笑む。
「…………いいよ。あんたが望むなら、家まで送ってやっても」
 コンウェイが目を丸くする。
「ホントに? ……どうして? さっきは義理なんかない、とか言ってたのに」
 訝しげなコンウェイに対して、ユベールは答えずにさっさと歩き出した。
 少し間を置いてからコンウェイが後ろについて来る。
「言っておくけど、ボクの家に継承権はないよ」
 変な気の使い方をされた。
 おそらくコンウェイは、王族だからユベールが恐れをなしたと勘違いしているのだろう。
 王座の継承権があろうがなかろうが平家から見れば王族には変わりない。
 だが恐れている訳ではなく、ましてや優しさから考えを一変した訳でもなかった。
 ただ、ユベールにとって‘コンウェイ・タウ’という少年は多少の利用価値がある。
 それだけの話だ。
 ユベールが無視し続けると、やがてコンウェイは諦めたらしく大人しくなった。
 しばらく歩き通して一層、時空の歪みが酷い位置までやって来た。
 ユベールは懐から書物を取り出して高らかに詠唱を始める。
「――過去、現在、未来が混在する汚れなき白の世界よ、我の魂(こん)はここに在り。
世界を越えるための、新たな心を断ち切る門を今ここに開錠せよ」
 空間を、徐々にねじ曲げていく。
 魔力操作が苦手なユベールには時間のかかる難儀な作業を膨大な魔力保有値で補う。
 まもなく、ぽっかりと人が通れるほどの黒い穴が開いた。
「ほら、行け」
 早くしないと強引に開けたファーストゲートが閉じてしまうので、
若干尻込みしているコンウェイの背を無理やり押して中に入らせた。
 当然、睨まれたが知らぬふりをして再び歩き始める。
 中は大した光源もなく不気味で薄暗い空間だ。
 床には緑の模様が仄かに浮かび上がっており進むのに問題はない。
 時折、襲ってくる凶悪な魔物を倒しながらラストゲートを目指す。
「ねぇ…ここ、どこ……?」
 辺りをしきりに見渡しながら、浅紫の瞳が心許なく揺れている。
 あまりにも不可解過ぎて流石に不安に駆られたのだろう。
「トライバースゲート」
「‘トライバース…ゲート’……ってなに?」
 ユベールを見上げる瞳は曇りのない真っ直ぐしたものだった。
 やはりコンウェイは何も知らずに無垢なる絆に来たのだ。
「神隠しだな」
「…‘かみかくし’?」
「‘トライバースゲート’はトラーバース世界と異世界を繋ぐ扉。
‘神隠し’はその扉を通らずに異世界に行くことだ」
 説明を終えたところでコンウェイが突然立ち止まって動かなくなったので、
ユベールはやむをえず振り返る。
「異世界って……ここ、イヴェールじゃ…ないの?」
 泣いてはいないが明らかに声が震えていた。
 魔物に襲われてもずっと澄まし顔をしていたため、正直この反応は予想外だった。
 もしかしたら、今までも強がっていただけなのかもしれない。
 年齢からして動揺している今こそが一般的な反応なのだ。
「ふーん、少しは可愛げあるじゃん」
「え?」
 ユベールは瞠目しているコンウェイの側に寄って目の前で片膝をつく。
「約束通り、ちゃんと家まで送ってやるから……安心しろ」
「…うん」
 ユベールの真直な言葉が伝わったのだろう、コンウェイがほんの少し微笑した。
 そして、再び歩き出した二人はトライバース世界に帰還するため、
ラストゲートを目指して進むのだった。


To be continued.

2015.02.21.



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