あなたに聞いてほしいことがある。
 これを「惚気」なんて表現する人もいるかもしれない。だが、私は困っているのだ。頭だって抱えている。まるで三十七度の微熱を抱いているときみたいに。

 二宮匡貴と恋人になったのは、およそ一週間前のことだ。
 きっかけはボーダーでの飲み会だった。よく知る人物に囲まれていたせいか、私はだいぶ羽目を外してしまった。
「お前そんなんじゃモテねぇぞ」
 様々な人にだる絡みする私を見た諏訪さんは、そう言ってため息をついた。私は少しも罪悪感を持つことなく、バカ丸出しの笑みを返した。それから何故か(本当に何故?)近くにいた二宮の腕を引き「彼が私を好きなんで大丈夫です〜」と言った、らしい。
 らしい、と表現するのも無理はない。何故ならこれは私の記憶ではないからだ。そのとき私は、彼が二宮だったことすら認識していなかったと思う。とにかく誰かに迷惑をかけたかったように見えた、とレイジさんは語っていた。
 みんなが呆れ返る中、私の発言を真実と捉える男がいた。風間さんである。彼もひどく酔っていたみたいだ。
「お前ら付き合ってるのか」
 風間さんは私たちを見て、真っ赤な顔でそう尋ねた。私は相変わらずへらへらと笑っていた。そして二宮は「はい」と答えた。私はゆるみきった頬を紅潮させたまま「やった〜彼氏ゲット〜」などと喜んでいたらしい。

 翌日になって目を覚ますと、スマホの通知がすごいことになっていた。数えきれないほどのメッセージを一つずつ確認すると、そのどれもに「おめでとう」という文章が入っていた。ちなみに次に多かったのは「意外」という言葉であった。
 当然、私は顔を真っ青にした。鏡を見なくても自分の顔色がわかるって、結構便利だ。

 私は慌てて大学で二宮を捕まえて、懸命に謝罪をした。彼は私のだらしなさにブチ切れ、さぞ困っているのだと、そう解釈したのだ。
 だが返ってきた二宮の反応は、予想していたものとはまるで違った。
 彼は少しも怒ってなどいなかった。代わりに「そんなに謝らなくていい。だがもうあまり飲みすぎるな」と肩を撫でてきた。このまま抱きしめられるんじゃないかと思うほど、実に親しげな接し方であった。

 それから一週間が経過して理解したことなのだが、どうやら二宮は本気で私を好きだったようだ。いつからかは知らないが、とにかく彼はあれを公開告白だと勘違いしたらしい。
 私の脳みそは、ふやけてふにゃふにゃになってしまうんじゃないかと思った。ほら、気が動転すると、頭って働かなくなってしまうから。
 しかし、いつまでもふにゃふにゃしていても仕方がない。私の体内からは、もうアルコールはさっぱり消えたのだ。ビールの泡みたいに、さっぱりと。
 さすがにこのままでいるのはおかしいだろう。
 私は二宮に真実を告げることを決意した。
 
 本部をうろついていると、ちょうど二宮の姿を見つけた。彼の横には加古ちゃんがいた。仲がいい印象はないけれど、彼らは元チームメイトだ。二人が話している姿に違和感は覚えない。
 加古ちゃんなら聞かれてもいいかと、私は早速その中に入っていこうとした。だが一歩踏み出した瞬間、何を言うかまるで考えていなかったことに気づく。私は顎に手をあてながら、うまい日本語を脳内で探し、組み立てる作業を始めた。
 すると、二宮が突然こちらを振り返った。彼は私の存在に気づくと、ずかずかと距離を詰めてきた。その姿は、ライオンがゆっくり歩いてくる姿によく似ていた。私は思わず肩を震わせ、背すじを正した。
「あ、あの、二宮くん……」
「落ち着け」
「は?」
「この程度で騒ぐな」
「はい?」
 私は意を決して口を開いたつもりだった。しかし彼が不可解な説得を始めたので、痛むくらい首を傾げることとなった。老人のような目つきさえしていたと思う。だって私は至って落ち着いていたし、少しも騒いでいなかった。これから暴れる予定もない。
「向こうが話しかけてきただけだ。会話の内容もくだらない。九割が嫌味と自慢話だ」
「え、あの、ごめん。何の話?」
「これくらいで嫉妬するな、と言っている」
「はい?」
 もしも椅子に座っていたら、私はその椅子から転げ落ちていたと思う。「ここで驚く」などという抽象的なカンペを出されていたならば、全世界から拍手を送られる自信もある。それくらい、呆気にとられていた。
「いや、いや……何言ってんの? 話してるだけで嫉妬するとか、ないから。あり得ないから」
「そんなことはない。東さんは、以前付き合っていた女が他の女と話していただけで首を絞めてきたから気をつけろ、と言っていた」
「東さんは一体どんな女の子と付き合っていたんですか?」
 私の問いに、彼はふんと鼻を鳴らしただけであった。東さんの言うことに間違いはないと確信しているような顔だった。私は長いため息を漏らす。目の前の彼も、彼を育成した男も、全くどちらも手に負えない。
「あのさ、よく考えてみて。例えば、私が他の男の子と何かしら喋ってるとします。二宮は、それだけで落ち着かなくなったり騒ぎたくなったりする?」
 腕を組みながら、私はそう尋ねる。「しないでしょ?」と追い打ちもかけてみる。二宮は上品なまばたきを一度して、それから口を開いた。
「落ち着かなくなることもないし、騒ぐこともない。だがそいつのことは嫌いになる」
 彼ははっきりと、微塵も照れずにそう告げた。銅像のような表情だった。私は思考を停止させた。やはり脳はふやけていく。
 私は押し黙り、うつむいた。そして彼に話す真実とやらを、とうとう忘れてしまった。
 さすがにこのままでいるのはおかしい。なんて言葉が浮かんだのだけれど、何がおかしいのかが思い出せない。
 二宮は私が他の男と話していたら、たったそれだけで、その人を嫌いになるのか。
 そんな事実だけが、頭の中を駆け巡っている。
 私は困っていた。彼にどんな言葉を返せばいいのかわからなかったからだ。唇を噛みしめると、次第に体が火照っていく。まるで三十七度の微熱を抱いているときみたいに。
 だけどこれは、微熱なんかが招いた火照りじゃない。素面なのだ。それくらいわかる。

22.1002

22.9/18「吾が手に引き金を29」にて無配として頒布したものです。
参加させて頂きありがとうございます!
- ナノ -