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幸福な日常は突然に

オフィス街などが静まり返るほど夜が深まってきても、誰かしらが慌ただしく働くこのオフィスに静けさが訪れる事は稀だ。
連日の激務で机に突っ伏したり床に転がっている者がいるのもよくある光景。そういう俺もきちんとした睡眠をとったのはいつだっただろうかと考えなければ思い出せない程。人のことを言えた義理ではない。
少ない時間でも今日こそは家のベッドで寝よう。そう決めたのは何時間前だったか。
寝不足の頭では作業効率が悪くなるのは重々承知しているが、思いのほか時間を取られてしまったことに自分の能力の低さを感じる。
自分なんかよりもよっぽどハードなスケジュールで動いているはずのあの上司の机の上はいつの間にか綺麗になっているというのに。

このまま続けるより、今日は休んで明日やった方が効率的か。
きりがいいタイミングで作業を切り上げ、屍の様な同僚たちに挨拶をして庁舎を出た。

本来なら今日は彼女と会う予定だったのだが。
直前になってキャンセルをしてしまった食事の約束を「気にしないで」と言ってくれる彼女に何度甘えているだろうか。プライベート携帯には彼女からの俺を心配するメールばかりが届く。
デートの約束すら滅多にしてやれない自分で彼女は本当にいいのだろうかと何度思ったことだろう。


「愛想をつかされないといいが」
「それは裕也さん次第かな」


つい口を突いて出てしまった独り言に返事が返ってきてハッと顔を上げた。まさか、と思いながらも声の主を確認する。薄暗い駐車場で今しがた考えていた彼女、茜さんの姿を見つけた瞬間、鈍かった思考が更に衰えた気がした。
待ってくれ。どうなっているんだ。こんな時間になぜ君が??
ココは職員用の駐車場だぞ。そう易々と入って来られる場所じゃないはず。いったいどうやって。


「あ、不法侵入じゃないよ!!色黒なイケメンの人が案内してくれたんだよ?裕也さんから私の事よく聞いてるって言ってたし」


降谷さんっ!!!!
以前に何度か急な呼出がかかった際にチラリと見られてはいたけれど、まさか声を掛けるなんて・・。何を考えているんだアノ人は。
俺がいつあなたに彼女の話をしたというのだ。


「裕也さん大丈夫?やっぱお疲れだよね?」


この出来事で余計に疲れたとは言えるわけもなく、問題ないと返答したが彼女の表情は険しいまま。俺の顔をジッと見つめて隈がヒドイとか顔色がよくないとか指摘してからガシッと俺の腕をつかんだ。


「ってことで、帰るよ。私の車コッチね」
「待ってくれ。俺は自分の車があるのだが・・」
「何言ってるの!こんな寝不足な人に運転させられません!大人しく私の愛車に乗ってくださーい」


ほらほらと腕を強引に引かれ、何度か乗せてもらった可愛らしい彼女の車へ押し込まれる。彼女の運転技術には何の心配もないが、寝不足の脳ではこの状況を理解するのが難しい様で未だ戸惑いを隠せない。
そんな俺を見て鼻歌を歌い出す彼女も、楽しんだ様子を隠すつもりはないらしい。
抗ったところで状況が変わるとは思えないし、振り回されるのには慣れている。諦めたようにシートへ体を預けきれば、溜まっていた疲労がどっと押し寄せたように沈んでいくのがわかった。


「寝ていいよ?」
「いや、大丈夫だ。大丈夫だが・・・どこへ向かっているんだ?」


明らかに自宅へと続く道とは違う方へ車を走らせる茜さんはやはり楽し気で、俺の質問に得意げに答えてみせた。


「もちろん私の家!」


何がもちろんなんだ。そんな話はしていないぞ。俺の家より近い?そんなものは説明になっていない。
恋人に会えたのは嬉しいが明日も早くから仕事だ。溜まりに溜まった疲労のおかげで今にも落ちそうな瞼を必死にこじ開けている状態でのんびりなんて過ごせないぞ。


「茜さん、すまないが・・」
「つべこべ言わなーい!私に任せなさい!」


悪い様にはしないからなんて逆に怖くなる言葉を残し、颯爽と駆け抜けた車は程なくして目的地へとたどり着いた。
どうやら俺には流されるという選択肢しかないらしい。
一度力を抜いてしまったせいでさらに重たく感じる体を引きずる様にして階段をのぼり、戸を開けて早く早くと手招きしている彼女の元へと向う。


「取り合えず先にお風呂入っちゃって!沸かしてあるから」


入るなり脱衣所へと連れて行かれ、鞄を没収された代わりにハンガーを渡される。籠の中にはすでにほとんど袖を通していない俺用のパジャマがしっかりと準備されていた。
これは今日のデート後の為に前もって準備しておいたという事なのだろうか。
いつもキャンセルの電話の時には明るく振舞ってくれていたが、やはりガッカリさせてしまっているのだろう。ならば、徹夜になろうとも今日一日とことん彼女に付き合おうじゃないか。
久しぶりの湯船だがゆっくり堪能せず、眠気を覚ますために最後に冷水をかぶってから浴室を出た。


「いいお湯だった。ありがとう」


髪もろくに乾かさずに戻ると、すぐにいい匂いが鼻を刺激し、ただでさえ空腹の腹を刺激する。一人暮らしの小さなテーブルいっぱいに並べられた温かな料理に、言葉もなく立ち尽くしてしまった。


「きっとちゃんと食べてないだろうと思って消化にいいものかつ、栄養のあるものにしてみたよ」


食べたら寝ちゃっていいよだと?何なんだこれは。まさしく至れり尽くせりというやつではないだろうか。
クッションを差し出しながら「まぁ座りなよ」なんて笑う彼女の優しさが疲れ切った身体に染みわたる様で体が温かくなっていく。


「裕也さんに会いたいけど無理はさせたくないし、って考えたらこうなりました!ビックリした?」
「君って人は・・」


仕事内容も伝えれないのに仕事ばかりでろくに相手もしてやれない俺を怒ってもいい立場だぞ?なのにこんなことされたら感情が溢れ出てしまうじゃないか。


「茜さん」


クッションに座ると同時に彼女の体を抱き寄せ、腕の中に収める。久しぶりに触れる彼女の温もりを逃すまいとしっかりと抱きしめながらその肩に顔を埋めた。
心遣いも、温もりも、彼女の匂いも、すべてが愛おしい。幸せ過ぎても人は泣けるのだと知ってはいたが、今初めて体験しているかもしれない。


「ありがとう、俺の恋人でいてくれて」
「フフ、どういたしまして」


落ち着いたらご飯食べてねと言いながら俺の頭を撫でてくれる手を離したくなくて、年甲斐もなく彼女に甘えてしまった。
あぁ、このまま彼女を離したくないな。せっかく用意してくれたご飯は食べたいけれど、その理性とは別で体が彼女を求める様に反応する。


「ちょ、裕也さん意外と元気だね」
「・・・・俺も驚いてるよ。だが先にご飯を頂かないとな」
「そーだよ!それにちゃんと寝てほしいから今日はお預けでーす」


添い寝だけだと拷問にも近いことを笑いながら言っているが、きっと無理に押しても流されてくれないだろう。俺を労わってくれる彼女の気持ちは十分過ぎるほど伝わっているのだから。
疲労の溜まり切った体はお腹と心が満たされればすぐに睡魔に襲われる。今日は大人しく言う事を聞いておくか。


「今度ちゃんと休みをもらうよ」


だからその時は存分に愛させてくれ。そんな願いを込めて贈ったキスを最後に、俺の意識は幸せの中へ溶けていった。

翌日、いつもよりも幾分か輝いた笑顔で俺を出迎える様に立ち尽くす降谷さんのおかげで一気に現実に引き戻されてしまったが。それくらいは甘んじて受け入れよう。



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