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10 明日への扉

ああ、もうこんな時間だ。時計に目を落として時間を確認すれば自然と足早になる。
昨日休んだ分の仕事が溜まっていた上に、先輩に昨日の事について探りを入れられたせいで随分と遅くなってしまった。一也がご飯作ってくれるって言ってたし、メールしといた方が良かったかな。でも、もう家はすぐそこだから今更か。

いつも残業した時は肩に何かが乗っているんじゃないかってくらい気持ちも体も重いのに、今日は鼻歌でも歌いたくなるくらい気分がいいし、足取りも軽い。
帰る家に誰かが待っていてくれて、しかもご飯まで用意してくれている。それを思うだけで重い気分なんて瞬時に吹き飛ぶんだから不思議だ。


「あれ?」


慣れた道を進み、自分のアパートが目に入った瞬間違和感を感じた。いつも点いているリビングの電気がついていない。大体一也はリビングに居るし、電気が点いていないという事はどこかに出かけているんだろうか。
こんな時間に珍しいな。首を傾げながらも鞄の中から鍵を取り出して、鍵穴に差込み回せば手に伝わってくるのは軽い感触。・・・鍵が、かかっていない。


「ただいまー」


ドクンドクンと自分の心臓の音が聞こえ始める。速く打つ心音に急かされるようにドアを開ければ、そこにはいつもの光景があった。

「おかえり。お疲れ」玄関を開けたら聞こえてくるはずの声は聞こえてこなくて、部屋の中のどこも電気は点いておらず、真っ暗。一也が家に来る前までの、当たり前の自宅の光景。


「・・・一也?」


さっきまでの浮かれた気分なんてもうない。彼の名前を声に出してみたけれど、不安げに揺れる響きが自分の耳に返ってくるだけ。
ゆっくりとした足取りで中に入り、玄関の明かりを点けた時。チャリ、と微かな金属音がして足元へ視線を落とせば鍵が一つ落ちていた。

拾い上げて手の平に乗せてみたけれど、間違いない。これは一也に渡していた鍵だ。どうして、こんなところに置いてあるんだろう。


「一也、居ないの?」


嫌な予感が胸を渦巻く。手の中の鍵をギュッと握り締めながら乱雑に靴を脱ぎ捨てた。
まさか、そんな。嘘でしょ。だって、いきなりすぎる。
パチンパチンと家中にある全ての電気を付けながら、部屋の中やお風呂にトイレ。人が入れそうな収納場所まで見てみたけれど、家中が明るくなっただけで一也の姿はどこにも見当たらなかった。

日曜日の朝みたいに、玄関からひょっこり現れたりするんじゃない?
私の慌てる姿をどこかで見てからかおうとしてるでしょ。そんな事したって引っかからないんだから。
心の中でそう思ってみるけれど、心臓の騒めきが止むことはなかった。


「そうだ・・・電話」


玄関に置きっぱなしになっていた鞄を膝の上に置いてスマホを取り出す。こういう時に限って中々指紋認証をしてくれず、解除パスワードも上手く打ち込むことが出来ない。大丈夫、落ち着こう。そう言い聞かせてみるけれど、焦りは募るばかりだ。

やっとホーム画面に切り替わると直ぐに電話帳を開く。下へ下へとスクロールすれば表れた「御幸一也」の名前に安堵の息を漏らした。きっと、どこかで走っているだけ。電話すれば帰ってくるよね。
グラタン作ってくれるって言ってたし、明日バッティングセンターにいって打ち方教えてくれるって、約束したもんね。
震える指先を誤魔化すようにグッと強く通話ボタンをタップして耳に押し当てた。
プッと機械音が途切れた瞬間。


「もしもし一也?ねぇ、今どこに」


捲し立てるように電話の向こうに話しかけたけれど、「お掛けになった電話番号は・・・」と無情なアナウンスが流れてきて、思考が停止する。
絶望に似た気持ちで終話ボタンを押すとともに強張っていた体の力が抜け、手からスマホが滑り落ちていった。



◇ ◇ ◇



ジンと足の痺れを感じて、固まっていた体をゆっくりと動かす。電話を切ってからどのくらいの時間が経ったんだろう。空腹はとうに感じなくなっていたし、楽しみにしていたグラタンも自分で作って食べようなんていう気は微塵も起こらなかった。

スマホを前に待っていても一也から電話が掛かってくる事も無ければ、玄関の扉が開くこともない。つまりは、そういう事だろう。

帰ったんだ。
大好きな野球が出来る場所に。自分の居場所に・・・一也は、帰ったんだね。
これで良かったんだ。だって、一也はまだ高校生だし私がずっと面倒を見れる訳じゃない。きっとこのまま一緒に暮らしていたら上手く噛み合わない事が出てきたはず。
そう自分に言い聞かせても、ジクジクと心が締め付けられるように痛む。帰った事を認めただけで、込み上げてきた涙がぼろりと零れ落ちた。


「っ・・・」


たった一週間なのに。こんなにも焼き付いて離れない。
年下とは思えない言動や、時折見せる年相応なところ。バッティングセンターでは見たことのない真剣な表情。そして楽しそうな笑顔を浮かべながらボールを打っていた。

一也の新しい一面をもう知ることは出来ない。もう、会う事もできない。
心にブレーキをかけて好きになる気持ちを抑えていたというのに、離れてしまえばこんなにも彼の事が好きだったんだと思い知らされた。

あのキッチンで一緒に料理を作ったのがまるで昨日のように鮮明に思い出せる。食卓の椅子だって、座る場所が決まっていた。そういえば、いつもこの場所に座っていたっけ。
リビングには一也を思い出すものが多すぎて、逃げるように自分の部屋へと向かう。帰り道とは真逆の重い足取りだったけれど、部屋の中に入ればやっと少し落ち着いて呼吸が出来る気がした。

ズッ、と鼻を啜りながら机の上のティッシュを手に取ると、ふと目に入ったメモ。そこには一也に関連するものを見つけるために、彼から聞き出したキーワードが連ねられてる。
勝手にやってきたことだけど、これももう必要ないんだよね。


「・・・え、何・・・これ」


何気ない、本当に何気ない行動だった。
スマホの検索に、一番上にあった青道高校と検索してみたらヒットしたのだ。あれだけ色々と探しても掠りもしなかったのに。なぜ、今・・・。


「っ、嘘・・・」


恐る恐るスライドさせてみると、トップに出て来たのはある漫画の題名。
関連しているのかその漫画の表紙もいくつか出てきて、そこに一也が見た事のない野球のユニフォームを着て写っていたのだ。信じられない気持ちから色々なページを開いてみるけれど、目に飛び込んでくる情報は混乱させるばかりで、考えることすらままならない。


「ははっ」


漫画って何。だって、一也はここに居て笑ってた。確かに目の前に存在していたんだ。
私は夢でも見ていたというのだろうか。
でも、夢だったのなら・・・このまま覚めてほしくなんて無かった。ぬるま湯に浸かっているような微睡みのまま、覚めなければよかったのに。


呆然と眺めていたスマホに映し出されている一也は、まるで知らない人のように生き生きしていた。本当に野球、好きだったんだなぁ。そう思った時、ふと頭を過ぎった一也との会話。
そうだ、確かあの時。

勢いよく自分の部屋を飛び出してもう一度リビングへと戻れば、隅の方に立てかけられていたバットが目に入った。一也がここに来た時に手にしていたもの。物騒なものを持っていたから随分と警戒したっけ。

ずしりと重いバットを手にして指先でグリップ部分をそっと撫でる。
やっぱり、一也はここにいたんだ。夢じゃない。

奇妙な出来事は、どうして起こったのか。何が彼をここに呼び寄せたのか。そんなのは想像したところで分からない。
ただ、一也は確かに退屈だった私の日常に色を付けてくれて。忘れかけていた想いも引き出してくれた。


「・・・ありがとう」


一也の事を忘れるなんてきっと出来ない。
もしかしたらいつかまた会えるかもしれない。そんなゼロに近い望みをこれから持ち続けてしまうだろう。でも、願う事は無駄じゃないから。

一也と過ごしたこの一週間を胸に、またいつか会える事を願い続けるよ。


to be continued...?




これにて七日間の奇跡は完結となります!亀更新だったにも関わらず読んでくれた方、拍手などで応援してくださった方、ありがとうございました。

一番最後の一文を見ていただいて分かるかと思いますが・・・続きます(笑)
ハッピーエンド主義の管理人が一番終わり方に納得してません!というか、このお話の構想を考えついた時点で二部編成だったわけですが。

続編も既に何話か書き上げていますので、近々始めたいと思います。二人のこれからをまた見守って頂けたら嬉しいです。


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