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馥郁たる香りにむせて 14

いつもよりも玄関の扉を開ける手に力が入る。
両親にはもうすぐ着くと連絡してあるし驚くことはないのだが、ただいまの声が自然と大きくなった。


「お帰り。それと、いらっしゃい」


玄関を開けた先で待っていたのか、優しい笑みを浮かべる母に妙にドキドキしてしまう。私よりも隣に居る結城君の方がドキドキしているだろうけど。父さんは中だから上がってという母の言葉に、緊張した面持ちで家へと上がる結城君を横目にリビングへと進む。


「お父さん、いらっしゃったわよ」


母の言葉にダイニングテーブルに座ったままの父は眼だけをこちらに向け、いらっしゃいと小さくつぶやいた。予想はしていたが、その雰囲気はとても歓迎しているとはいいがたい。事前にそれとなく伝えた時にもまだ早いと散々愚痴っていたし。娘離れできていないのだろう。
もう、っと呆れたため息をつく母の困った顔に苦笑いで返し、結城君と一緒に私たちも席に着く。あえて父の正面に座った結城君は不機嫌そうな父を真っすぐ見つめていた。そんな結城君に相変わらずだなと内心微笑んで父を見れば、父はいささか居心地が悪そうだった。

結城君が手土産で買ってきた父の大好物のロールケーキを母がカットしてコーヒーと共にダイニングテーブルへと並べる。大好物がきたからか、はたまた結城君の視線に耐えられなかったのか。父はロールケーキに落とした視線をしばらく上げることはなかった。


「もうお父さんってば」
「あなた?ちゃんと話聞いてあげてくれませんか?」
「別に……。ちゃんと聞いているぞ」


私と母から叱られてバツが悪いのだろう。目を泳がせながら顔を上げた父はコーヒーを一口飲んでから咳ばらいをしてごまかした。やはり少しでも威厳を出したいらしい。
父が話を聞いてくれる姿勢になった瞬間、結城君も真っすぐに背筋を伸ばす。


「初めてお目にかかります。楓さんと交際しております、結城哲也と申します」
「あぁ、娘から話は聞いているよ」
「本日はお時間を頂き、感謝しております。この度は楓さんとの結婚をお許しいただきたく参りました」


そう言って深々と頭を下げた結城君の驚くほど硬い挨拶に、父も少しあっけに取られているようだ。私も驚きはしたがすぐに結城君らしいと納得できたけど、父は今どきの若者の軽いノリでくることを想像していたのかもしれない。だとすればかなり出鼻を挫かれたことだろう。
軽い感じだったら反論しようとでも思っていたのか、結城君の態度に少し困ったように咳払いをした父は言葉に迷いながら泳がせた視線をリビングの端で止めた。


「君は将棋はできるか?」
「はい」
「よし。では私と一局交えて勝つことができれば認めよう」


そう言うや否や席を立った父について行く結城君の後ろ姿に一抹の不安を感じた。確かに何度か将棋を指したりしていると聞いたことはあったが、強いという話は聞いたことがない。正直、弱いという噂を聞くくらいだ。父の強さはわからないけれど、将棋歴は長い。


「そんな顔しなくても大丈夫よ。それより洗い物手伝って」


不安そうなのが母に気付かれたのだろう。笑いながら食器を下げる母を手伝いながら、何が大丈夫なのかと問いただした。勝敗で結婚を認めるかどうか、なんて、時代錯誤もいいところだ。


「お父さんだってちゃんと考えてるわよ。少しだけ時間をあげて」


優しいけど不器用な人だからと母は笑った。パチンと駒を指す音だけが響くリビングでは、二人が真剣な面持ちで向かい合っている。もしかしたら父は勝負がしたかったのではなく、考えるために話をしなくてもいい環境が作りたかったのかもしれない。


「お父さんは誰を連れてきても反対すると思ってた」
「相手が誰であっても、楓がお嫁に行くのは寂しいし複雑なのは当り前よ。私だって寂しいわよ」


そういった母の視線は食器を洗う手元に向けられたまま。親の気持ちなんてあまり考えていなかったけれど、やっぱり運命だったのねとあんなに盛り上がっていた母でさえ、寂しいと思うものなのかと驚いた。


「ふふ。でも楽しみもたくさんあるから」


こんな時間も増えるかもしれないしねと母は茶化してみせたが、そういえば母と並んでキッチンに立つなんて初めてだ。今までは母がキッチンに立っているのは当たり前で、食器を洗うのなんて嫌々やってあげるって感覚だったけれど、結婚してしまえば日々暮らす家じゃなくなるのだ。自分が使った食器を洗ってもらってると認識するようになれば自然とやらなくてはと思うようになる、のかもしれない。今はまだ分からないけれど。


「結婚してもちょくちょく顔出すようにするよ」
「是非そうして。でも結城君のご両親とも仲良くやるのよ」
「うん、ありがと」


まだ結婚の挨拶をしているだけで入籍したわけでもないし、明日から別々に暮らすわけでもないのだけれど、なぜだが目頭が熱くなった。今からこんなんでは結婚式のときには号泣しているんじゃないだろうか。嗅覚の事で人一倍苦労を掛けた自覚があるから尚更だ。
感慨に浸っているのを気付かれるのが気恥ずかしくてそれとなく話題を変えたけれど、クスクスと笑っている母にはバレているのだろう。いたたまれない。
洗い物が終わってからも台所で私と母が話を咲かせているうちにどうやら勝負がついたらしく、いつの間にかリビングから駒を指す音が消えていた。


「参りました」


やはりというかなんというか。敗北を告げて頭を下げたのは結城君で、父はじっと盤面を見つめた後、深いため息をついた。


「君は真っすぐすぎるな」


自分が攻めるばかりで相手を陥れる手がないから次の手が分かってしまうと指摘する父に、だから結城君が弱いという噂があるのかと理解した。野球について詳しいわけではないから断言はできないけれど、普段から勝負事以外でも真っすぐぶつかっていく印象がある。駆け引きや足の引っ張り合いがものをいう勝負事は不向きなのかもしれない。


「君は将棋に向いていないようだ」
「そうかもしれません。ですが、結婚を認めて頂けるまで何度でも挑みます」


もう一局お願いしますと力強く頭を下げた結城君の姿に、母が隣で小さな拍手を送っている。ハラハラとドキドキが入り混じる私はどうしたらいいのか分からず、ただ二人を見つめるしかできない。
頭を下げたままの結城君に対し、父がふっと小さく笑った。


「君の性格では私には勝てないよ。だが、婿としてはそのくらい真っすぐの方がいいのかもしれないな」


そういいながら立ち上がった父は、結城君が顔を上げるころには将棋盤に背を向けていたが、その顔はどこか優しいものだった。その瞬間、再び目頭が熱くなり微かに視界がゆがむ。立ち上がってありがとうございますと深々と頭を下げる結城君に合わせ、私も父に向って頭を下げた。


「幸せになりなさい」


その言葉を残し自室へと去っていく父の背中が見えなくなっても、しばらく涙は止まらなかった。こんなはずじゃなかった。もっと軽くサラッと挨拶して、ぎこちないながらもお互いこれから宜しくと笑って終わると思っていたのに。感動しすぎで自分自身にびっくりしている。


「よかったわね。さっ、今日はもうお暇して、二人でデートしてきたら?」


二人で話したいこともあるでしょという母の提案にのり、結城君と二人外へ出る。熱くなった顔を冷ます外の空気に当てられ少し落ち着いたのか、ようやく涙が止まりクリアになった視界の先では、結城君もふぅっと肩の力を抜いている様だった。


「お疲れ様」
「いや。すまない、負けてしまった。勝って堂々と楓を幸せにすると宣言したかったのだが」


まだ先ほどまでの余韻が残っているせいだろうか。いつもは松浦と呼んでいたのに、急に名前で呼ばれて心臓が驚いて大きく飛び跳ねる。私の親に向かって楓さんと言っていた時もくすぐったかったが、直接言われると比じゃないほど照れ臭い。言った本人は全く気が付いていないのか、私の反応に不思議そうにしている。


「結城君、あの……呼び方が……」
「ん?あぁ、楓と呼んでしまったな。すまない」
「いやいや!いいんだよ!なんか照れるけど嬉しいし」
「そうか。ならば俺のことも名前で呼ばないか?結婚したらお前も結城になるんだしな」


結城になる。今しがた結婚の挨拶に行ったのだしそれは当たり前の流れで、驚くことではないはずなのに。結城楓と口に出さず思い浮かべただけでカーッと顔中が熱くなった。


「楓?」
「あ、そうだね!そうだよね。いつまでも結城君じゃ変だよね」


結城君って響きが名前っぽかったせいでいつまでも気にしていなかったけど、恋人……いや、近い将来夫となる人なのだから名前で呼びたいと私も思う。が、今更感もあり気恥ずかしさが喉を詰まらせる。
結城君は先程から簡単に名前で呼んでくれるけど、なんとも思わなかったのだろうか。
躊躇してしまうが、名を呼ばれるのを待っているのかじっと見つめてくる結城君の期待に応えない訳にもいかない。


「哲也、くん。えっと、これからもよろしくお願いします」


名前だけ呼ぶのも落ち着かなくて変なことを言った気がする。ご近所の方がいつ通るかも分からないこんな住宅街の脇道で告白でもした気分だ。
さっさとデートでもしようと歩き出そうとした私の足は、自分の意思とは裏腹にその場からピクリとも動かなくなる。足だけじゃない。強く、だけど優しく締め付けられた体はその温もりに驚きながらも、幸福感に満たされる。これだけ近くで触れても取り乱さなくなるほど共に過ごしたニオイが私を包み込む。


「あぁ、俺の方こそ。必ず、必ず俺が幸せにする」


背中に感じる熱がいつもよりも熱い。宣言のような誓いのような、深く響く声は、私だけでなく自分自身にも向けているのだろう。そんな彼の想いに私も答え続けていきたい。


「私も。哲也くんを幸せにしてみせるから。だから、二人で幸せになろうね」


この先もずっと。ずっと。


fin.



長い間お付き合い頂きありがとうございました。
本誌で世代が代わって長くなったので哲さんファンが減っている中、読んでくださった方に感謝です。感激です。
読んでくださった方が少しでも幸せな気分になれることを願いながら書かせていただきました。いかがでしたかね??楽しんで頂けたら幸いです。

皆さんも幸せあれー!



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