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こたえのその先

「楓ね、かずくんのことだーいすき」
「おれも。楓ちゃんすき」


ふと甦った遠い記憶。晴れた日の公園の砂場で交わした会話。幼い頃の記憶なんてどれも曖昧なのに、この会話と情景だけは鮮明に残っている。記憶の中の無邪気に笑うかずくんと、手元の雑誌に載っている彼がどうも一致しなくて、「遠いなぁ……」と小さく呟いた。
今月のピックアップルーキー。名門青道の救世主となるか、一年生捕手。そんな見出しとともに紹介されているかずくんとついこの間まで肩を並べていたはずなのに、たったの半年かそこらで一気に距離が開いてしまった。


「……どうしよう」


雑誌の横に置いてあるスマホにはメールが表示されたままになっていて、返信しなきゃと思うのに、文面が思い浮かばず放置したままだ。少し前までは何の躊躇いもなく送っていたメールすら送れなくなっている事が私とかずくんの距離を表している気がする。まあ、私が一方的に感じてるだけでかずくんは気にも留めていないかもしれないけど。

近所に住んでいるかずくんと私は、お互いの親が仲が良かった事もあり、物心つく前からよく一緒に遊んでいた。同い年で同じ保育園。男女の違いはあったけど、気が合ったのかいつも仲良く過ごしていた。
そんな毎日に変化が訪れたのは小学生になった時。私のお兄ちゃんに誘われて野球を始めたかずくんは、一緒に遊んでくれなくなった。時間があればキャッチボールをしたりバットを振ったり、白いボールを追いかけるのに夢中で。目をキラキラさせながら、私と遊んでいる時よりもずっと楽しそうに笑っていたのをよく覚えている。
それを少し寂しいと思いながらも、練習がある度にお母さんにくっ付いて応援にいき、シニアに上がってからは一人でも見に行っていた。


「俺、青道に行くんだ」
「そっか……」
「寮に入ろうと思ってる」
「そうだね。ちょっと遠いし、通いで行くよりも集中できるもんね」


いつまでもこの日々が続く筈がないというのは分かっていた。一年の頃からかずくんがスカウトの人に声を掛けられていたのを知っているし、その高校にはかずくんの尊敬しているキャッチャーの人もいる。だから、いつかこんな日が来るんだろうなとは思っていた。
けど、いざその時がくると感情が追いつかなくて。無理矢理絞り出した言葉は冷たさを含んだものになってしまった。


「……ちゃんと連絡してよ?」
「ん?」
「試合! 応援に行くからさ」


これじゃあダメだ。かずくんの実力が認められたのはいい事なんだから、私の感情ひとつで暗い雰囲気にしてはいけない。そう思って笑顔を浮かべれば、かずくんも肩の力が抜けたのかふっ、と口元に弧を描く。


「来てくれるんだ?」
「流石に練習試合は行けないと思うけどね。頻繁にありそうだし」
「遠征も多いだろうしな」
「だから、公式試合だけだけど」
「はっは、まずはレギュラー取れるかどうかだけどなー」


あの時はそうやって笑い合っていたのに……。結局一度も見に行く事はなく夏も秋も終わってしまい、季節は既に冬へと変わっている。
春の大会の時、かずくんはまだレギュラーじゃなかったけど、夏大直前に正捕手の先輩が怪我をした事で急遽正捕手の座についた。諸手を挙げて喜ぶような状況じゃなかったし、かずくんも不本意だったんだろう。あの時はメールからでもピリピリしているのが分かって、何て声を掛けていいか迷った覚えがある。
結果的に甲子園への切符を手にすることは出来なかったが、一年にして活躍をしたかずくんは注目の的となり、今や雑誌に載る存在になってしまった。


『正月休み家帰るわ』


表示されたメールをもう一度ちらりと見てみるけど、何度見たところでメールの内容が変わるはずもない。はあっ、とお腹の底から重いため息を吐き出しながら机の上へ突っ伏した。
こうして悩むくらいなら、誘われるまま応援に行っていれば良かった。初めの頃は予定が合わなかっただけだけど、それ以降は誘われてものらりくらりと躱していたのだ。
今となってはかずくんに会うのが怖くて、尻込みしてしまう。どうして応援に来なかったのか? そう問いかけられた時の答えがまだ用意出来ていないから。
いや、正確には答えは既にある。でも、それをかずくんに告げる事は出来そうになかった。

そうして悩んでいる間も時間は待ってくれるはずもなく、結局メールは返せないままあっという間に冬休みに突入してしまった。ここまで放置してしまうともう今更感が拭えなくて、メールにはアプリみたく既読もつかないし、気付かなかったという体でこのままスルーしてしまおうかとズルイ考えが支配し始めた頃、見計らったようにスマホが震えだす。


「……もしもし」
「お、出た」
「かずくん、久しぶりだね」
「そーだな。誰かさん、メール返してくれねーからなぁ」


表示された名前に一瞬躊躇ったものの、意を決して通話ボタンをタップすれば鼓膜を震わせる懐かしい声。やはりかずくんはメールの件をスルーするつもりはないらしく、軽い相槌の後に嫌味ともとれる言葉が返ってくる。
メール返さなかったの、怒ってますよね。なんて自ら地雷を踏むような事を言えるはずもなく、はは……、と乾いた笑いで誤魔化せば「まあいいや」と意外にもすんなりと流してくれた。


「2日の日、予定空いてる?」
「空いてるけど……」
「じゃあ昼くらいに迎えに行くわ」
「え」
「逃げんなよ?」


微かに笑いを含んだ言葉にきょとんとしていれば、はいもいいえも聞く事なく切れた電話。どうやら流してくれたわけではなかったらしい。むしろ逆に追い詰められてしまったような気がする。
暗くなったスマホの画面を呆然と見つめながら、寒い季節にも関わらずじわりと汗が滲む想いがした。
逃げ出してしまいたいが、ああして先に釘をさされた手前逃げるわけにもいかない。もしかしたらかずくんは私の今の考えすらお見通しなんだろうか。
ああ、どうしよう。まだ答えは用意出来ていないというのに。本当の理由を告げることは、即ち長年の自分の想いを告げることになるから、その他の最もらしい答えが必要なのだ。

私がかずくんの応援に行かなくなった理由は、傍からみればとてもくだらないものかもしれない。
行けなかった地区予選をネットで見た時、今までと感じたことの無かった想いが私の胸の中に渦巻いた。誰一人知らないチームメイトの人たちと息の合うプレーを見せるかずくん。試合に勝って見せる笑顔。それに、疎外感と嫉妬心が湧き上がってきたのだ。
私が見に行かなくたって、いつもと同じ――いや、私が知っている以上のプレーを見せるかずくんに、私の応援なんて必要無いんじゃないかと。今まで彼を応援してきたのはただの自己満足だったのではないかと卑屈な考えが押し寄せてきて、誘われても直接球場に足を運ぶ事は無かった。
小さい頃、白いボール相手に覚えた嫉妬心。独占欲ともとれるこの想いは私が気付かない内にどんどんと育っていたらしい。そして、捨てきれないところまできてしまった。


「よし、逃げなかったみてーだな」
「逃げないよ」
「どーだか」
「っていうか、かずくん……大きくなったね」


電話で予告された通りに鳴らされた我が家のインターフォン。流石に無視するわけにもいかず、いつもよりも心なしか重く感じる玄関のドアを開け放つ。予想通りのその姿を、差し込む太陽に目を細めつつもジッと見つめた。
久しぶりだからだろうか。私が知っているかずくんより、体が一回り大きくなっていて逞しさがある。本人には言えないけど、雑誌じゃなく間近で見る顔は相変わらずかっこよくて、直視する事が出来ない。ちらちらとかずくんを視界に入れながらそっと横に並べば、肩の位置も違う事に気づいた。見上げる首の角度も違うし、どうやら随分と身長も伸びたみたいだ。その事実に益々距離を感じてしまう。


「何だよその久しぶりに会った近所の子みたいな感想」
「いや、間違ってないじゃん」
「ははっ、確かに」


なのに、口を開けばぽんぽんとテンポよく会話が弾んだ。悩んでも悩んでもメールは返せないのに、いざ会ってしまえば関係ないというように他愛もない話で盛り上がる。それでも野球の話題に触れれなかったのは私の弱さだろう。
どこに行くか知らされていなかったけど、なんとなく予想はついていた。毎年一緒に初詣へ行っている神社。きっと今日もそこに行くんだろう。私の予想を裏付けるように、神社へ向く私の足取りとかずくんが進む方はぴたりと合っていた。


「わあ、久しぶり」
「ここは変わんねぇな」
「だね」


予想に違わず到着した神社は賑わっていて、参拝の列が出来ている。最後尾に並ぶが、足を止めると冬特有の冷たい空気が晒されている部分を容赦なく冷やしていき、息をする度に鼻が痛む。
体を縮こませながら指先にはあっと息を吐きかけていると、隣から「いてて……」と微かな呟きが聞こえて視線を向ければ、肩を押さえるような仕草が目に入り、心臓がヒュッと悲鳴をあげた。


「かずくん、怪我……してるの?」
「いや? 合宿が想像以上で身体が悲鳴あげてるだけ。後半なんて立ち上がれなかったわ。情けねぇけど」
「そっか……良かった。やっぱり練習厳しいんだね」


胸をなで下ろしたところではたと気づく。かずくんと会ってからずっと避け続けていた野球の話題になってしまっていることを。
慌てて別の話題を探るけど、私よりもかずくんが口を開くほうが早かった。


「なあ、聞いていいか?」
「ダメ」
「はあ?」
「なにも聞かないで」


キュッと眉を寄せたかずくんが私を見下ろすのを確認した直後、パッと視線を地面へ逃がした。つやつやとした玉砂利を見ながらも、情けない顔になっているのが自分で分かる。
かずくんの聞きたいことというのは、多分今までのことだろう。応援に行くと言ったくせに一度として足を運ばなかったどころか、メールすらもまともに返さない。中学までかずくんにべったりだったくせに、ころりと態度を変えたのを疑問に思わないはずがないのだ。

じゃり、じゃり、と少しずつ進む参拝の列。並んでいるせいで逃げ場がなくて、俯いた顔を上げることができない。
早く順番が来てくれないだろうか。参拝が済んだら人混みにまぎれて逃げられないだろうかと考えてみるけれど、まだまだ先は長そうなのでそれは無理だ。


「楓」
「……っ」


落ち着いたトーンで呼ばれた名前は私の心を揺さぶるのに充分で、思わず顔を上げてしまう。必然的にばちりとかち合った視線を今度は逸らすことができなかった。
いつも見せるどこか気の抜けた表情とは違う神妙な顔付きに、ごくりと喉が鳴る。――ああ、もう逃げられない。


「どうして俺の事避けてるんだ?」


ほら、一番聞いて欲しくないことを直球で叩き込んでくる。聞いちゃダメって言ったじゃん。答えが用意できていないんだって。
いや、違う。答えは持っているけれど、それを口に出せないんだ。かずくんに言うということは、イコール長年の想いを伝えることになるのだから。


「高校に入って色々と変わって、楓も楽しんでるんだって分かってる。野球に割いてる時間ももったいないのかもしれねぇって」


私が答えあぐねている内にかずくんはどんどん言葉を紡いでいく。違う、そうじゃないと否定しようと思うのに、喉に張り付いてしまったように声にならなかった。


「でも俺は、やっぱり楓に見て欲しい」


わがままだって分かってるんだけどな。そう言ってニッと笑ったかずくんと、幼い頃の笑顔が重なった。
変わってない。あの頃も、今も。私が勝手に壁を作って距離を感じていただけで、本当は何も変わっていなかったのかもしれない。そう思うと、するりと言葉が舌を滑っていった。


「応援、行こうと思ってたよ」


ぽろりぽろりと当時の心境を振り返りながら言葉を落としていく。
かずくんが青道に行ってしまったのがショックだったこと。知らないチームで楽しそうに野球してるのが寂しかったこと。雑誌に載ってるのを見て、遠く感じたこと。
話せば話すほど自分の勝手さに呆れたし、こんなことをかずくんに言ったって困らせるだけだと分かっていた。けれど、一度開いた口は閉じれなくて、ずっと抱えていた想いが一つ、また一つとこぼれ落ちていく。


「かずくんのこと、好きなの」


とうとう一番の隠しごとまでも吐露して、漸くお喋りな口は閉ざされた。
人のざわめきや、鈴を鳴らす音。お賽銭を入れる音。遠くの方から聞こえる鐘の音。
私たちの会話が途絶えた事で一気に耳に入ってきたそれらの音に意識を向けたのは一種の現実逃避だったのかもしれない。


「俺だけだと思ってた」


だから、隣から降ってきた声に反応が遅れた。


「青道に行くって言った時、楓あっさりしてたし。応援来ねぇし、しまいには避けられてるし。好きなのは俺だけで、楓にとってはただの幼馴染なんだなって」


珍しく饒舌なのは、照れ隠しなんだろうか。マフラーに口元を埋めて話しているので、表情がよく見えない。
でも、かずくんの言葉の意味が鼓膜から心臓へと伝わり、じわじわと体温が上がっていく。氷点下に近い気温が嘘のように頬が火照って、ぎゅっと握った指先までもが熱かった。


「ん」
「あ……」
「少なくとも、今は遠くないだろ?」


する、と握りしめていた手を取られ、一回り大きな手に包まれる。小さな頃とはちがう、骨ばっていて硬い手を握り返した。
今はまだぎこちないかもしれないけど、それもきっと時間の問題だ。時間が許す限り、沢山話をしよう。今のチームメイトの話や、学校生活のこと。聞きたいことも話したいこともいっぱいある。

拝殿の前に立った時、頭に浮かんだのはたった一つの言葉。
――この先も、ずっとかずくんの隣にいれますように。





二年近く前に書き途中で保存してあったのを発見したんで続きを書いてみたんですが、当時の自分が何考えてたかよく分からずに(多分何も考えてない)微妙な終わり方になってしまいました……でも久しぶりの御幸楽しかったです……
write by 神無



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