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陽炎にキス 12


ここからコンビニまでの道を頭の中で割り出してみたが、往復したところでそう時間は掛からないだろう。このままここに立っていたら意味が無くなってしまう。そう思って服に手を掛けるが、一枚脱ぐごとに羞恥が増していき、段々と動作が緩慢になっていった。だって、本当なら今日告白して諦めるつもりだったんだ。黒尾さんの家でシャワーを浴びるために服を脱いでいるだなんて、今朝までは想像だにしていなかった。下着だって至って普通のものだし、ちょっと草臥れている。上下揃いだったのがせめてもの救いだろうか。

いつもの三倍くらいの時間をかけて全て脱ぎ終えると、そろりとお風呂場へ足を踏み入れる。当たり前だけど、置いてあるもの全てが自分の家と違って落ち着かない。とりあえずボディソープを手の平で泡立てて体を洗っていくが、一人の空間だからかどんどん冷静さを取り戻していって、今日が月曜日で明日も当たり前に仕事があることを思い出した時には頭を抱えた。その場の勢いって怖い。


「おーい」
「は、はい」
「あ、まだ入ってた?シャツここ置いとくから」
「あっ、すみません」


扉越しに掛けられた声にいち早く反応したのは心臓で。もう帰ってきたのかと焦ったけれど、黒尾さんが出ていった時間を考えれば妥当なのかもしれない。
早くしないと、と髪の毛を濡らさないように気をつけながら体の泡を洗い流してシャワーを止める。すると、当たり前に訪れた無音にまた緊張がぶり返してきた。さっきの黒尾さんの一言が不意に蘇って、それが現実になるのかと思うと落ち着かない。
本当は髪の毛も洗いたいけど、化粧もしたままだし。その化粧だってもうぐちゃぐちゃだろうけど、きっと直す時間なんて与えてもらえない。緊張を逃がすように一つ息を吐き出した後、入った時と同じくそろりと音を立てないように浴室から出て、置いてあったバスタオルで丁寧に水気を取り、シャツを頭から被る。ピッと裾を伸ばして自分の姿を見下ろした時、恥ずかしいような照れくさいような、何ともくすぐったい気持ちになった。
黒尾さんとの身長差を考えれば当然なのだけれど、シャツの肩の位置は大幅にずれて、肘のあたりまである袖。お尻が完全に隠れるくらい長い裾。シャツを着ているというよりも、シャツに着られていると言った方が正しいような着方だ。何だか黒尾さんに包まれているみたい。なんて思うのは流石にアウトだろうか。


「楽しそうじゃん」
「ひゃっ」
「なーんか、余裕ですね?」
「そんな、」
「覚悟、出来た?」


緩む口元を隠す事もせず脱衣所の扉を開けた瞬間、横から掛けられた声。まさかそんなところに立っているだなんて思いもよらなかったのでびくりと大袈裟に肩を揺らしてしまった。黒尾さんはそれに笑うでもなく、壁に預けていた背中を離して私へと向き直ると、挑発するような笑みを携えて揶揄い気味に言葉を投げてくる。
その黒の双眸に今の自分の姿が映し出されていると思うと酷く恥ずかしくて、一歩後ろへと下がりながら、俯く事で視線から逃げた。


「あの、なんか、まだ信じられなくて・・・」
「ん?」
「都合のいい夢でも見てるんじゃないかって」
「ふはっ、そうなの?」
「だって・・・本当に、ずっと好きだったから」


ぽろりと零れた想いに、はあーっと大きなため息が返される。呆れさせてしまったんだろうかと不安を感じたのも束の間、強く腕が引かれて足が勝手に前へと進む。視界の端で向かいの扉が開かれて、暗い部屋の中をぐいぐいと引かれるままに進んでいくと、突如ぐるりと視界が反転した。
電気の付いていない暗闇の中、黒尾さんの顔だけが微かに認識できる。背中に感じるのは柔らかな感触で。――ああ、私、押し倒されてるんだ。と、遅ればせながら現実を理解した。


「マジで勘弁して」
「え、ごめんなさい・・・」
「いやいやそうじゃなくて」
「うん?」
「さっきから、煽りすぎ」


ふ、と唇に吐息がかかったと同時に柔らかな感触が唇へと重ねられ、優しく食まれた後に隙間から挿し込まれた舌。今度は私も自分のものをちゅくりと絡ませて黒尾さんに応えた。舌を擦り合わせて口の中を舐めるだけ行為なのに、酷く気持ちいいのは何故だろう。微かに感じる黒尾さんの重みが心地良くて、与えられる感覚に夢中になる。
ちゅっと音を立てながら唇が離されても痺れるような感覚はまだ残っていて、もっとして欲しいと強請ってしまいそうになる。そんな私に気付いたのかは分からないけど、宥めるような軽いキスを頬に、瞼に、耳に落とすと、もう一度唇へ戻ってきて、同時に胸に手が置かれた。いち早く反応した心臓がどくりと音を立てて、ついに、と覚悟を決めた瞬間。「ナァ」と小さな鳴き声を耳が拾う。
薄目を開けて声の方を確認すると、暗闇の中で黄金色の瞳だけが妖しく浮いているように見えて。軽い動作で枕元へ上ってきたかと思えば、何をしているんだとばかりに私たちを見下ろしてくる。光っているようにも見える瞳は瞬きひとつせず、少しだけ怯んでしまった。
でもそれは私だけだったようで、黒尾さんはすぐに手の動きを再開させ、微かな刺激にぴくりと体が跳ねる。


「あっ、待って。リンちゃんが」
「遊んでもらえると思ってんだろ」
「ん、だから」
「そのうち出てくって」
「でも」
「葵」


今はコッチ。窘めるようにそう言うと、キスで唇を塞がれた。ずるい。ずるいずるいずるい。今このタイミングで名前を呼ぶなんて、キスで言葉を奪うなんて、そんなの従うしかないじゃないか。
黒尾さんの声で呼ばれる自分の名前は特別な響きを持っているかのように甘くとろりと全身に溶けていって、胸の奥がじわりと熱くなる。

長い指で触れられる度、舌先で擽られる度に声が漏れて息が乱れる。いつの間に出て行ったのか、気づいた時には黄金色に輝く瞳はもう無くて。黒尾さんが買ってきたものを使う頃にはもう全身に力が入らず、それでもひとつになった瞬間には強く抱き締めあった。
黒尾さんに恋をしてから今までの自分に教えてあげたい。迷わなくてもいい、諦めなくても大丈夫だって。


「あ、黒尾さんっ」


名前を呼べば応えるように優しくキスをくれる。


「葵」


甘い真綿で包むような声で名前を呼んでくれる。
黒尾さんの腕の中で、これ以上ないくらいの幸せを感じられるから――。






「あ、忘れてたわ。ハイ、これ」


倦怠感でくたりとベッドに身を預ける私に、ガサガサとコンビニの袋から何かを取り出しで差し出してくる。少しだけ身を起こして受け取ったそれは、冷やりとした感覚を伝えてきて指先を少し湿らせた。暗闇に多少目が慣れたとはいえそれが何なのかは分からず近付けて見てみれば、コンビニ独自ブランドのカフェオレだった。


「・・・これ」
「好きでしょ?」
「やっぱり、知ってたんですね・・・」


何度か黒尾さんから貰ったカフェオレ。最初は偶然だと思っていたけれど、前に客先から厳しい言葉を浴びせられて落ち込んでいた時にはもしかしてと思った。でも、今やっと分かった。私のこと、見ててくれていたんだ。
今更ながらに気づいた事実が擽ったくて、嬉しくて。手にしたカフェオレをついきゅっと握ると、柔いカッブは簡単にぺこりと潰れてしまい慌てて元に戻す。


「あとこれも」
「え?」
「泊まってくだろ?」
「でも、明日・・・」
「今帰るのと明日早起きするのとどっちがいい?」


そんなの、決まってる。明日の朝を黒尾さんと迎えられるのならば、何を天秤に掛けたところで答えは一つだ。渡された一泊用のトラベルセットを使わないという選択肢は存在しない。
ぐちゃぐちゃな化粧も、髪についた居酒屋の匂いも全部落としてしまおう。でも、肌に残っている黒尾さんの感覚が薄れてしまうのは少し残念だから、あともう少しこのままでもいいだろうか。


「あ、リンちゃん」


いつから居たのか、猫用のクッションの上で丸くなっている姿に思わず顔が綻ぶ。私が呼んだ名前に反応したのかこちらへ目を向けると、フィッとそっぽを向いて億劫そうな足取りで出ていってしまった。


「嫌われちゃったのかな?」
「それは困るな」
「ん?どうして黒尾さんが困るんですか?」


黒尾さんが大事にしている子だから出来れば懐いてもらいたいし、嫌われたら困るのは私だ。どうして黒尾さんが?そう思って聞いてみれば、少し考えるような素振りをした後に、ニヤリと口角を上げた。


「リンも葵もどっちも手放す気はないしな」
「それって・・・」
「そういうこと」


――ずっと、不毛な恋だと思っていた。幸せな未来なんてちっとも想像出来ないし、消してしまいたい想いは消えてくれず、ゆらゆらと揺らめいているだけ。誰かに向けられているその想いに醜く嫉妬していたのに、それがまさか自分へ向けられていただなんて思いもよらなくて、夢だったらどうしようかと寝るのが少し怖いと言ったら笑うかな?

目が覚めたら確かめるように名前を呼んで、キスをして。少しの間独占しちゃうかもしれないけど、どうか許してね。


fin.




陽炎にキス、これにて完結です。途中で更新期間が空いてしまった事もあり、完結までに随分と時間が掛かってしまいました。
誤解から始まり、兎に角夢主が悶々するというお話だったので、読んでいる方は進まない展開にもどかしさを感じるところも多かったかもしれません。逆に、誤解が解けてからは凄い速さで進みましたが、そこはまあ、大人ですから。こういう展開があってもいいんじゃないかと思います。笑
初めて黒尾の長編を書きましたが、途中で黒尾鉄朗が迷子になり捜索の日々・・・それでも、やっぱり黒尾鉄朗好きだな!と書き終わった今そう思います。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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