「いいよ、後はやっておくから部活に行っても」
「ん？今日月曜日だから部活ないんだよねー」
「あぁ、そうだっけ」


今日一日、何かと時間を取られていた日直の仕事もこの日誌を書ききれば終える。最後のコメントだけ日直二人でコメントを書かなければいけない。という担任の変な拘りのせいでこうして向かい合わせになって残ってるわけだが、コメント欄以外は二人で書く必要がない為に私が代表して書いていた。

「俺身長高いから、こういう時に役立てなきゃね」そう言って、毎時間黒板を消してくれた及川くん。
手伝おうとしても、汚れるから。の一点張りでさせてはくれなかったので、せめて日誌くらいは私が書こうと思ったのだ。
ああいう事をサラッと出来てしまうあたり、女子の扱い方に長けているなぁ。と感心はすれど、まかり間違っても自分が特別なんて勘違いはしない。
及川くんは女子皆に同じような対応をしているから。

でも、実際に自分に向けてやられるとドキドキしてしまうのが悔しいところだ。本当、イケメンはズルいってこういう時思う。


「５時限目の体育って男子は何やったの？」
「体育館でバスケ。あ、そうそうその時にね」


無言にならないように気を遣って話しかけてくれるのも流石だよね。及川くんと日直のペアになるのは初めてだけど、今までの誰よりもやりやすいなぁ。そう思いながら授業内容を最後まで書ききった時、ブレザーのポケットに入れていたスマホが震えた。
ディスプレイに映し出された通知を見ると、自然に眉間に力が入る。またか、いい加減にしてくれ。というのが正直なところであり、それを表すかのように重い溜息が出てしまった。


「彼氏？」
「え？あぁ、とっくに別れてるんだけど･･･っ」


いけない。今は目の前に及川くんがいるんだった。
慌ててスマホを元に戻して誤魔化すように笑いながらそう言ったけれど、及川くんの顔を見た瞬間、わざと上げていた口角が引き攣った。
だって、及川くんがさっきまで浮かべていたヘラリとした緩い表情は鳴りを潜めて、真剣な眼差しが私へと向いていたから。急に変えられたその空気に、ドクドクと心臓が警鐘を鳴らす。


「わ、悪いんだけどここに一言書いて、提出してもらってもいいかな？」


耐えがたいこの空気に、自分の分のコメントを適当に走り書きして及川くんに渡すと、逃げるように席を立つ。


「行くの？別れたのに？」


だけど、掛けられた声に反射的に動きが止まり、タイミングを逃してしまった。
私だって、行きたくない。どうせまた同じ事を繰り返すだけなんだから。
彼氏の方から別れを切り出してきて終わったというのに、今更ヨリを戻そうなんて。私の方はもう彼に対する気持ちはなくなっているから何度も断っているけど、なぜか粘られているのが現状だ。
面倒ごとになるのは分かってる。それでも、今のこの空気の中にいるよりはマシなような気がする。
だから「ごめんね」そう告げて今度こそ踵を返して教室を出ようと思ったのに、今度は物理的に阻まれた事でそれ以上進めなくなってしまった。


「行かないでほしいって言ったら？」
「え、」


前に進めないのは、及川くんが私の手首を掴んでいるから。
視線を移せば、大きな手が簡単に私の手首を覆ってしまっているのが見えて、振りほどけそうにもない。
いや、例え力が入っていなくても振りほどけなかったと思う。この、熱いくらいの温もりを。

どうすればいいんだろう。及川くんの言葉の真意を図りかねていると、徐に及川くんが距離を詰めてきたので、つい足を一歩後ろへと踏み出した。
そうするとまた一歩詰められて、また一歩後ずさる。
縮まらないけど広がらない距離が何度か続いたが、それでも狭い教室ではすぐに足は壁へと当たり、逃げ場を失ってしまう。
及川くんが近づいてくるのに、もう逃げられない。


「俺を断る理由にして欲しい。そう言ったら、どうする？」


背中は最早壁についてしまっているが、及川くんは逃がさないと言わんばかりに壁に手をついて私を閉じ込めるような体勢をとった。
どうやら肘まで壁につけているようで、あまりの近さに呼吸すら止まってしまいそうだ。
ふわりと及川くんの匂いが鼻腔を擽って、温もりまで届いてしまうんじゃないかと錯覚してしまいそうなこの距離に、どんどん心音が加速していく。

この状況にいっぱいいっぱいで、及川くんの言葉の意味を理解するまでに至らなくて。混乱する頭の中そろりと視線だけで見上げた及川くんの顔。でも、見るんじゃなかったとすぐに逸らす。
だって･･･分かってしまった。揶揄いなんて一切含んでいない及川くんの真剣な瞳が、私の問いかけの答えを全て持っていたから。


「お、及川くん」
「好きなんだ」


兎に角、まずはこの距離をどうにかしてほしい。その意味を込めて名前を呼んだのに、返ってきた言葉に今度こそ呼吸が止まった。
耳元で囁かれた直球な台詞が、頭の中で何度もリフレインする。
今まで聞いたことのない声で、こんな体勢で。その言葉を告げてくるなんて、ずるいとしか言いようがない。だってこんなの、及川くんを異性だと意識しずにはいられないじゃないか。


「葵ちゃんは知らなかったと思うけどね」


そう言って軽く及川くんが笑った事で空気が軽くなったような気がして、やっと呼吸が出来た。
それでもこの体勢は解かれずに、そのままだ。多分私が答えるまで及川くんが退く事はしないんだろう。
目の前で微かに揺れるネクタイを見ながら、まとまらない思考のままゆっくりと口を開く。


「あの･･･そういう風に考えた事、なくて」
「うん」
「だけど、これから･･･考える、から」
「ん、ありがとう。･･･で？この後、行くの？」
「･･･行かないよ」


行ける筈ないじゃないか。ただでさえ乗り気でなんかなかったのに、今のこの気持ちのまま元カレと話す気なんて起きないよ。
後で返信しておけばそれでいいだろう。ついでに、もう連絡もしないで欲しいと付け加えておこう。


「そっか」


良くできました、というように頭の上に手を置かれてポンポンと軽く叩かれる。ここで漸く、及川くんの囲いから解放されて距離が出来た。
それでも未だに心臓は鳴りやまないのだけど。


「じゃあさっさとコレ提出して、この後どこか行こうよ」


ポンっと日誌を叩き、さっきとは打って変わって無邪気な笑みを浮かべた及川くんから目を逸らせない。
あぁ、何だか想像出来てしまった。
きっと明日からこうやって及川くんに翻弄される日々が続くんだろう。
無意識に視線で追ってしまって、及川くんと話す女の子たちに黒い感情を抱いてしまうような、目まぐるしい毎日が。

でも、それを全然嫌だと思わないあたり、近いうち本当に及川くんに捕まってしまう日がくるのかもしれない。

---

友達と壁ドン書こうよ！という事で生まれたお話。
肘まで付いちゃうところとか、耳元で告白するところとか自分で書いてて最高に楽しかったです。やっぱり及川さん好き･･･

write by 神無