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37.5℃の体温


「葵、お母さんどうしても仕事休めなくて…ごめんね」
「大丈夫だから…心配しないで」
「学校には連絡しておいたからね。お母さん今日遅くなるかもしれないけど・・・」


心配しすぎなくらい心配するお母さんにもう一度大丈夫、と告げて仕事に行く背中を見送った。キモチは嬉しいけど、さすがに高校生にもなって風邪の看病で親の仕事を休ませるなんてちょっと恥ずかしいし。
起こしていた身体をもう一度ベッドへ沈めると頭がいつも以上に重く感じて、暫く起き上がりたくない。

あぁ…どうしてこうなってしまったんだろう。
昨日の自分の行動を振り返ってみるけど、心当たりはクラスで流行っている風邪くらいのものだった。学校を休むほど体調が悪いのは久々だなぁ。はぁ…と体温が高い所為かいつもより熱い息を吐き出して、スマホを手に取った。


【風邪ひいたっぽいから今日学校休むね】


こういう時の連絡は、はじめから来る前に自分から。そうしないと何で言わなかったんだって言われちゃいそうだし。と、頭の中で彼にその台詞を言わせてみたら妙にしっくりきて笑ってしまった。

そういえば、はじめもあんまり風邪引かないよなぁ。やっぱり運動していると免疫力とか抵抗力とか上がるんだろうか。
鈍い思考の中でそんな仕様もないことを考えていると、耳元で振動するスマホ。


【大丈夫か?今日終わったら家行くわ】


文だけでも読み取れるはじめの性格。
時計を見ると丁度朝練が終わった時間だった。ロッカーから打ってるのかな・・・直ぐに返信くれて嬉しいな。たったコレだけの事で口許がニヤけちゃう。


【移しちゃうといけないからいいよ。気合で明日までに治すから】
【バーカ、こんな時に遠慮すんな。今日も仕事で親居ないんだろ?】
【そうだけど…】
【行くから。それまで寝てろよ】


ハーイ。なんて返事をしつつも、顔のニヤけが止まらない。はじめが来てくれる…それだけで頭の重さが少し軽減した気がするんだから不思議だ。
たまには風邪を引くのもいいかもしれないなぁ、なんてちょっと幸せな気分で居たら段々と瞼が落ちてきて。具合が悪いせいか直ぐに眠りに引き込まれていった。




◇ ◇ ◇




ヴーヴー、と耳元で振動する音で意識が浮上した。
開ききらない目をなんとかこじ開けて朦朧としながら手探りでスマホを手にする。
メールかと思いきや、鳴り止まない振動はどうやら電話のようだ。ディスプレイを確認すると【岩泉 一】の文字が見えて、何も考えずにタップして耳に充てる。


「もしもし…」
「あー、俺。具合どうだ?…ってか寝てた?悪ィ」
「大丈夫だよー。どうしたの?」
「どうしたって…着いたんだけど」
「えぇっ!?」


さっきまでの微睡みが嘘のように意識が覚醒する。慌てて時計に視線を移すと、確かにいつも部活が終わるくらいの時間だった。いくら具合が悪いからって…こんなにも眠れた自分が怖い。
軽く髪型を手櫛で整えてから玄関に向かいドアを開けるとはじめの姿が見えて、思わずふにゃりと笑ってしまった。


「わざわざありがとう」
「おー。まだ熱あんのか?」


玄関のドアが閉まると同時に、大きな手が伸びてきて私の額へと触れる。
熱を測る行為だと分かっていても、心臓は素直でドキッと脈打つ。

「んー・・・イマイチ分かんねぇ」と呟いた後、はじめの顔がドアップになった時には折角下がっていた体温もじわりと上がってくる気がした。


「まだちょっとあるっぽいな」


コツン、と充てられていた額が離れていっても私は硬直したままで。そんな私をみたはじめは「ぶはっ」と噴き出すように笑った。


「このくらいでそんな反応すんなよ」
「なっ・・・しょうがないじゃん!」
「今更だろ?もっとイロイロしてるべ」


ニヤリと、まるで及川みたいな笑みを浮かべながらリビングへと向かうその背中をベシッと叩いた。「イテッ」なんて、全く痛く無さそうに笑い混じりに言うはじめを見て私も笑う。
いつも通りのやり取りを交わすと、何だか少し元気が出てくるから不思議だ。


「そういえば、さっきまで寝てたって言ってたけど・・・何か食ったか?」
「んーん。ずっと寝てたから何にも食べてない。ちょっとお腹減ったかも」


いくら具合が悪くて食欲が無いとはいえ、朝にゼリー飲料を流し込んでから何も口にしていない。胃が空っぽで逆に気持ち悪いくらいだ。


「何か作ってやるから座って待ってろ」


エナメルバッグを床に置き、キッチンへと向かうはじめを呆然と見る。
えっ!?どういう事?まさかはじめが作ってくれるの!?・・・っていうか、作れるの?
ありえない台詞に混乱しつつ、おずおずとはじめの方へ近寄った。


「・・・作れるの?」
「まぁ、雑炊くらいなら作れるだろ。冷蔵庫の中の物使っていいか?」
「それは構わないけど・・・」


とりあえず土鍋・・・は無かったから雪平鍋を出して、冷凍してあったご飯も取り出したところで、ソファへと追いやられた。嬉しさ半分、怖さ半分でキッチンでカチャカチャと音を立てるはじめを見守る。
でも、折角はじめが作ってくれるんだから、何が出てきても絶対に食べるよ私!と、失礼な事を思ったところでハッとひらめいた。
キッチンに立つはじめとか、超レアじゃん!

これは永久保存しなければっ!とポケットに入れたままだったスマホの写真アプリを起動させ、忍び足で抜群の角度まで移動したあと素早くシャッターを押す。
カシャッと独特の音が鳴り、画面に映るはじめの姿をみて口許が緩む。うん。我ながら綺麗に撮れた。


「こら。何撮ってんだ、消せよ」
「無理、絶対消さない」
「消せって」
「いーやーでーすー」


このままでは力ずくで消されかねないと思った私は、少々ズルイけどゴホッと咳き込む真似をした。だけど、一回真似たら本当に次から次へと咳が出てきてしまって苦しくなる。


「ほら、座ってろって」
「ん。ごめん・・・」


ソファへと戻り、今度は大人しく座って待った。
はじめには申し訳ないけど、一連の流れで忘れられた写真をもう一度眺めてロックを掛ける。あー、やっぱ待ち受けにしよっと。
見つかったら怒られるのは確実なので、ひっそりこっそりと設定してポケットの中へと戻した。


「出来たぞ」
「うわぁ・・・おいしそう」


チラチラとはじめを見つつ待っているとキッチンから声が掛かり、お椀によそわれて目の前へ置かれる雑炊。卵がとじてあって控えめにネギがちらされているソレは想像以上の出来栄えで。匂いも見た目も本当においしそうだった。

看病中のアーン、に憧れもあるけれどそういう事は絶対にやってくれないのは分かっているので、自分でレンゲを手にして息を吹きかけて冷ます。控えめに一口食べると、絶妙な味が口の中へ広がった。


「んーっ、おいしい!」
「おー。いっぱい食えよ」
「え?はじめってまさかの料理男子なの?」
「何だソレ。雑炊くらいで料理男子って言わねぇだろ」
「だって、濃すぎず薄すぎずでバランスいいし・・・手際も良かったし」


作ってくれるのにそんなに時間掛からなかったよね。
知らなかったはじめの一面が知れて嬉しい半面、ちょっと複雑だ。
だって、はじめが料理上手かったら私はそれ以上に上手くならなきゃいけないじゃない?


「ネギくらいしか切ってねぇよ。味付けめんつゆだし」
「・・・めんつゆ?」
「ウチの母ちゃん手抜きだから、めんつゆ結構使うんだわ」


・・・へぇ、主婦って凄い。そしてそれを実践できるはじめも凄い。
もう一口食べてみるけど、まさかコレがめんつゆで味付けされてるなんて・・・言われなきゃ分からないや。


「じゃ、俺そろそろ行くけど」
「あ・・・うん。色々ありがとね」


半分ほど食べ終わった時、時計を見たはじめがそう言った。見送ろうと思い立つけど「ここで良いから」と、少し強引に座らされる。
仕方ないけど、はじめが帰っちゃうのがちょっと淋しい。病気の時って何でこんなに人恋しくなるんだろう。

そんな思いが顔に出てしまってしたのか、慰めるようにポンポン、と頭を撫でられて額にしっとりとした感触が降ってくる。
ちゅっ、と音を立てて離れたのははじめの唇で。普段そんなところにキスなんてされないから慣れてなくて、ジワリと熱が高まる。


「早く治せよ」
「・・・ん、ありがと」


はじめの背中を見送り、玄関の閉まる音が聞こえたところで、力が抜けたようにソファへ寝そべった。


「・・・あんなの反則だよー」


温かい雑炊と熱の籠った顔。
中からも外からもはじめに温められて、折角下がった体温もまた微熱を取り戻したように熱くなった。



◇ ◇ ◇



「はじめ、及川、おはよう!」


朝練終わりのバレー部を見つけて、後ろから声を掛ける。


「はじめ昨日はありがとね!おかげで復活しました」
「おぅ」


ピースサインを作ってアピールすると、ちょっとホッとしたように笑ってくれた。


「えー、岩ちゃん昨日ヤケに早く上がったと思ったら葵ちゃんのトコ行ってたんだ?」
「そーなの!看病してもらっちゃったー」


見て見てーと、及川にスマホの待ち受けを見せて自慢する。
さすがの及川でもはじめが料理する姿を見た事はないだろう。

すると、想定外にはじめまで覗き込んできてソレを目にすると一転、ムッとしたような表情になり睨みつけてくる。


「消せっていっただろーが」
「嫌だっていったもん」


スマホを取り上げられそうになったところで、シャツの襟を手前に引き、その隙間からスマホを服の中へ隠した。
ここは学校だし、及川も傍にいるからさすがのはじめでも取ることは出来ないだろう。


「わぁ、葵ちゃんスゴイ事するね」


及川の言葉を聞き、ふふんと勝ち誇った顔をした。…これがいけなかったらしい。
及川が他の人に声を掛けられてこちらから視線が逸れた瞬間。あろう事か下からシャツを捲りあげて、素早くスマホを取られてしまった。


「んなっ…」
「消さなくてもいいけど、待ち受けにすんのだけはヤメロ」


ぽん、とスマホを渡されても驚きすぎて声にならない。


「あれ?葵ちゃん顔赤いけど…まだ熱あるんじゃない?」
「だ、大丈夫」


横でクツクツと笑うはじめを叩いて、睨みつける。
全く…いとも容易く私の体温をあげてくれるから困りものだ。




一線を越えるまではウブい岩ちゃんだけど、超えた後は男らしさを突き抜けててほしい。
翻弄させる一言とか、サラッと言ってみてほしいです。
・・・でもウブいのも捨てがたい。
write by 神無


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