「ごめん、待った?」
「いや? 時間ぴったりやん」
「いつも達人くん早いから、早く来ようと思ってるんだけど」
「ええよそんなん。俺が好きで来とるんやし」
いつもの待ち合わせ場所。何分前から待っているのか分からないけれど、わたしが着く時には絶対に待っている達人くん。今日こそは達人くんよりも早く来ようと思って出てきたのに、途中でスマホを忘れたことに気づいて慌てて戻ったので、結局ギリギリになってしまった。
それにしても、今日もカッコイイな。Tシャツから覗く腕は逞しくて、思わず抱きつきたくなる。背中だって肩甲骨がちょっと浮いて見えるのとか、広くてしっかりしたところとか、一歩後ろからずっと眺めていたくなるくらいかっこいい。
手を伸ばして達人くんの手をするりと握れば、一瞬ぴくって固まったあと、ぎゅって握り返してくれた。そのことに少しホッとする。
「とりあえずご飯かな?」
「せやな。なんか食べたいのある?」
「うーん、この前パスタだったから……お寿司とか? 混んでるかな?」
「前一緒に行ったとこならアプリで予約しとけば待たんでも入れるやろ」
「そっか、じゃあ決まりでいい?」
「ええよ」
達人くんは優しい。付き合う時「大事にする」といったその言葉どおり、とても大事にしてくれる。いつもわたしの意見を優先してくれるし、怒らせるようなことだって言わない。
でも、大事にされすぎて最近ちょっと困っている。というのは贅沢な話だろうか。たとえば、今みたいにわたしから手を繋いだり腕を組んだりすると、一瞬固まるのが伝わってくる。嫌だったかな? 拒まれるかな? って不安になるけど、その後にはちゃんとこたえてくれて大丈夫だったと安心するの繰り返しだ。
キスはした。ちゅっ、て軽いやつだけど。今日が付き合って一ヶ月の記念日だからもしかしてっていう期待もあるし、達人くん的にはまだかもなって予想もしてる。新しく買った下着をつけてきたのは、どちらかと言えば期待のほうが大きいからだ。
「今日の服、かわええな」
「えっ!? あ、これ、この前友達と行った時に選んでもらったの」
「友達ナイスやん。めっちゃ似合っとるし」
「へへ、ありがと」
よこしまなことを考えていたのを見透かされたのかとドキッとしたけど、違ったらしい。こうやって、髪とか服とかネイルとかわたしが頑張ってるところに気づいて褒めてくれるの、ほんと好き。大好き。だから、優しくされるだけじゃ少しだけ物足りなくなってて、もっと求められたいなって思ってるんだよ。達人くん、気づいてよ。
「この後どうする?」
一緒に過ごしていたら時間が過ぎるのはあっという間だ。晩ご飯を食べたあと、いつもならちょっとだけおしゃべりをして家まで送ってもらう。でも今日は、そうしたくなかった。
「わたし、行きたいとこあるんだけど」
「ん? どこ?」
「達人くんのお家」
前に聞いたことがある。京都からボーダーのスカウトで上京してきた達人くんは、高校の時までは基地内の施設で暮らしていたらしい。でも、大学にあがると同時にボーダーと提携してるアパートに引っ越したそうで。――つまりは、ひとり暮らしだ。
だからこそ、いつ誘ってくれるのかといつもそわそわしてたんだけど、今の今までそんな話になることは一切なく、結局耐えきれなくなったのはわたしの方だった。
別に、なにもしなくたっていい。ただ、いつもよりも長く一緒にいたい。いや、少しくらいはいちゃいちゃしたいけど。
「ダメ……かなあ?」
「いや、あかんやろ」
ほとんど即答で返ってきた言葉に、パッと視線を下へ逃がした。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。やっぱり、そういうことを考えてたのはわたしだけだったんだ。はしたないって思われたかもしれない。いきなり何を言い出すんだって、幻滅されたかも。達人くんの顔が見れなくて、俯いた顔はしばらく上げられなさそうだ。
「あかんあかん、俺一人暮らしやで? そこに葵ちゃんが来るとか……あかんやろ」
「なにがあかんの?」
「俺の部屋に葵ちゃんがおるとか、やばない?」
「やばないよ」
達人くんの言葉のイントネーションを真似しながら返してるのは、もう考える気力が無かったからだ。「変なこと言ってごめんね、忘れて!」って今にも逃げ出したい気持ちをなんとか抑えている。
「そんなん、俺絶対我慢できんし……」
「え?!」
「えっ、てなんなん? 当たり前やろ」
予想だにしない一言に思わず顔をあげたら、両手で顔を覆う達人くんの姿が映る。ちらりと見える頬や耳がほんのりと赤く染まっていて、わたしも同じように顔を覆った。
なにその反応、かわいすぎるんですけど。見た目も体格も男らしいのにピュアなところも持ち合わせてるってずるくない?
なんか今ので一気に毒気が抜かれたというか、いい意味でどうでもよくなってしまった。こんなに大事にしてくれる人なんてそうそういないだろうし、もうしばらくはそれに甘えることにしよう。
「ごめん。やっぱりいいや」
「え?」
「困らせてごめんね、もう言わない。……帰ろっか!」
「え? 帰るん?!」
努めて明るく言い放ち、笑顔を浮かべながら立ち上がったが、大層驚いた様子の達人くんに首を傾げた。だって、ダメだって言ったのは達人くんじゃん。ああ、帰るんじゃなくてどこかに行こうってことだったのかな。達人くんの部屋以外で。
なんて、頭の中で考えているわたしは多分間抜けな顔をしていたことだろう。達人くんはああ、とかうーんとか唸りながら言葉を捻りだそうとしているが、なにをそんなに言いづらそうにしているのか全然分からなかった。
「どうしたの?」
「いや……あかんけど、嫌やないっちゅーか」
「うん?」
「葵ちゃんと二人になりたいし、俺の部屋に来たいって言うてくれたんはめっちゃ嬉しくて……」
「うん」
「…………来る?」
チラッとわたしを見る仕草は上目遣いになっていて――わたしが立っているから当然なのだが――無意識なあざとさにズドンとなにかが刺さったかのような衝撃が胸の中心に走った。まだどこか迷いを含んで揺れている瞳。達人くんの気が変わらないうちに、と思うや否や、ほぼ衝動的にその逞しい腕に抱きついた。
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write by 神無
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