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帰りたくない、帰らせたくない 前編

駅までの道を歩きながら、風を受けて乱れる髪を手で押さえる。いつもよりも丁寧に施したメイクと、毛先を少しだけ巻いた髪の毛。今日が待ち遠しかったせいか、目覚ましが鳴るよりも早く起きてしまったのでたっぷりの時間を掛けてチェックした。
駅が近づくにつれてドキドキと心地いい緊張感が全身を取り巻いて、なのに足取りだけは浮かれたようにふわふわと軽い。そういえば、あの日もこうだったっけ。
忘れもしない一日。まだ彼と付き合う前、初めて一緒に出掛けた日。思いもよらない告白を受けて、逃げて、悩んで、それでも最後には想いを通じ合わせる事が出来た。

嵐山さん――もとい准くんと出かけるのはあの日以来、二回目だ。朝の散歩ではほぼ毎日顔を合わせていたけれど、それだけじゃ足りなくて。意を決してお誘いのメールを送ったのが先週だった。
あの日と同じように早起きして準備を済ませて、同じ待ち合わせ場所へ向かう。違っているのは、彼と私の関係性だけ。


「准くん、お待たせ」


待ち合わせの時間よりも早く着いたのにも関わらず、あの日と同じようにすでに准くんはそこに居た。慌てて駆け寄ったせいで乱れてしまった髪の毛を優しく梳かれて、嬉しいような恥ずかしいようなむずむずとした感覚が背中を駆け抜ける。


「可愛いな」
「……准くんも、かっこいいよ」


これも、同じだ。まるであの日の繰り返しのような会話に思わず笑ってしまいそうになった。でも、あの時は思う事しかできなかった言葉も今はちゃんと口に出せるし、恥ずかしくて下ばかり見ていた視線だって、准くんのきれいな瞳に合わせられる。
ふ、と柔らかく笑った顔を見ると、まとまった時間が取れなくても毎日の積み重ねで確実に距離が縮まっているのだと感じられて嬉しかった。


「行こうか」
「うん」


自然と差し出された手を取れば、自分よりも温かい体温に包まれる。お互いの近況について話すのはいつもの事だけれど、全然違う環境に身を置いているからかいくら話しても話題が尽きない。私からすればボーダーという機関は近いようで遠くて、どういう仕事をしているのか知っていることはごく一部だ。准くんを好きになる前は興味もなくてもっと無知だった。
話せないことだってたくさんあるだろうけど、准くんが話してくれるボーダーのことはどれも新鮮で面白い。特にボーダーに所属している人たちのことを話す准くんは楽しそうで、実は今日も任務のシフトを代わってもらったんだと笑顔で言う彼に胸がきゅうっとあまく痛んだ。


「ここ、だよね」
「ああ。思ってたよりも近かったな」


話していれば目的地に着くのはあっという間で、チケット売り場の列に並ぶ。今日の目的地は少し前に話題になったプラネタリウム。子供っぽいかな、とも思ったがそれこそ子供の頃以来行っていないので話題になった時から気になっていたのだ。准くんに提案したら快諾してくれて、今日の予定が決まった時からずっと楽しみにしていた。


「色んな席があるんだな……葵はどこがいい?」
「えっと……この辺りの席でいいんじゃないかな」


ディスプレイに映し出された座席一覧を見たとき、一番最初に視界に飛び込んできたのは普通の席から少し離れた場所にあるカップルシートだった。准くんの言う通り他にも色々な席があったけれど、目が釘付けになったみたいにそこから動かすことができない。デートだし、こういう場合はカップルシートを選ぶべきなんだろうか。でも多分、映画と違って肩を並べて見るわけじゃない。天井付近を眺めるんだから、ほぼ寝転がるような体勢になるって聞くし。
一瞬の間でぐるぐると色々な想像を巡らせたけれど、結局指でさしたのは通路側の無難な席だった。やっぱり、まだ無理だ。准くんと二人でくっついて寝転がるとか。しかも暗闇。考えただけで恥ずかしくて体温が上がりそう。


「まだ時間あるな。先に何か食べようか」
「そうだね」


私がこんな妄想をしているなんて全く考えてないであろう准くんはあっさりと席を決めて予定を組んでくれる。二人でスマホを取り出して近くのお店を検索するけれど、私の指はただ画面を滑るだけで用をなさなかった。


「あのね、さっきの事なんだけど」
「うん?」
「座席が、あの……」


なんて言えばいいんだろう。言葉が見つからなくて濁してしまうが、そうすると当たり前に伝わらない。首を傾げる准くんを見て、頭の中で整理しながらゆっくりと話していく。本当はすこしカップルシートが気になったけど選ばなかったことを。もしかしたら准くんはそんなこと気にしていないかもしれないけど、ちゃんと自分の思ったことを言いたかったから。


「カップルシートだと、星どころじゃなくなっちゃうから」
「っ、はは!」
「違う、間違えた! いや、違わないけど……えっと、」


でも、弾けるような准くんの笑い声に、言わなくていいことまで口走ってしまったことに気づく。慌てて取り繕おうとしたけれど、私から視線を逸らして肩を震わせている准くんをみるともう何も言えなくて。代わりに彼の腕を力なく叩いた。


「確かに、俺も葵が隣にいたら星どころじゃないかもな」
「……からかってるでしょ」
「まさか。本心だよ」
「笑いながら言われても……」


ぽす、と優しく頭に乗せられた手に言葉が詰まる。何だかうまくごまかされた気がするけれど、准くんの笑顔を見るとそれでもいいかと思ってしまう。惚れたもの負けというやつだろうか。付き合う前よりももっともっと好きになっている自分がいて、抱えきれなくなった気持ちが不意に溢れだしそうになる。一緒に食べるご飯はいつもよりも美味しく感じるし、会話が途切れても気まずくなんてならない。一緒にいるときの穏やかな空気が好きで、目が合うとやわらかく笑ってくれるのが好き。
プラネタリウムで椅子に座ったとき、想像以上に背もたれが後ろに倒れたことに驚いて二人で顔を見合わせて笑った。星の説明を聞きながらそっと絡ませた手。すぐ傍に准くんがいることにドキドキして、カップルシートじゃなくても星に集中できそうにないと一人笑った。

一緒にいる時間がすごく楽しいから、欲張りになってしまう。もっと一緒にいたい。この時間を終わらせたくないって、わがままな自分が顔を出す。いつの間にか日が沈み、街並みが夜に包まれれば一層その想いは強くなった。
待ち合わせの時間は決めていても、解散の時間を決めているわけじゃない。それでも晩ご飯を食べ終えたら何となく帰る流れになるわけで。なるべくゆっくり歩いたって電車は一定のスピードで走っていくし、最寄り駅に着くのなんてすぐだった。


「どうした?」


改札を通り抜けてすぐのわき道。ぴたりと私が足を止めれば、手を繋いでいる准くんの足も止まる。不思議そうに問いかける准くんに対する答えは持っているのに、言葉にすることができない。


「葵?」


けれど、ずっとこのままでいる訳にもいかない。繋いでいた手にぎゅっと力を込めたあと、意を決して口を開いた。


「もう少し一緒にいたい、って言ったら……困る?」
「嬉しいけど……少し困る、かな?」


かあっと一瞬で体温が上がる感覚がした。眉を下げて笑う准くんは言葉の通り困っているようで、そんな顔をさせてしまった事に泣き出したくなる。
やっぱり、言わなければ良かった。


「そ、だよね……ごめ――」


パッと視線を地面に逃がして震えそうになるのを堪えながら言葉を紡ぎ出せば、最後まで言い切る前にグンッと勢いよく腕を引かれた。
街灯も届かないような暗いわき道。その陰に紛れるように抱きしめられる。


「これ以上一緒に居たら、帰したくなくなる」
「……え?」
「そう言ったら、困るのは葵だろう?」


耳元で囁かれる声はちいさく、低い響きで鼓膜を揺るがす。そして背中や腰に回される腕は逃がさないと言わんばかりに強い。直接的な言葉は言われていないのになにを示しているのかはっきりと分かって、私も彼の背中にそっと腕を回す。


「困らないよ……」
「……本当に?」


腕の力が緩むと同時に離れる体。光が届かないからか、私へと向けられている双眸がいつもと違う色に映る。夜に溶けて深い色に変化した瞳は彼の欲を秘めているようにも見えて、心臓を撫でられたみたいに胸が疼いた。


「うん。私も、帰りたくないから」


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*注* 次の話は性描写を含みますので、注意喚起としてパスワード入力になります。



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