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赤くて、あまい

大嫌いな季節が来た。じっとりと肌に纏わりつく湿気は不快で、髪の毛もうまく纏まらない。セミの鳴き声はうるさいし、色々な虫が飛び回っていて外を歩くのも躊躇われる。
だけど、大嫌いな季節の中に大好きな行事もある。昨日ダイニングテーブルの上にあった一枚の広告を見つけた時には、思わずニヤけてしまった。
三門市納涼祭。毎年開催される市内のお祭りで、沢山の屋台などが並び、メインの花火も打ちあがる。ボーダーも協賛しているから、隊員であれば特等席で花火が見れるという特典つきだ。
去年まではボーダーの非番の子達で集まって行っていたけど、昨日これを見た瞬間に思い浮かんだのはたった一人だった。付き合って半年になる彼、同じボーダー隊員でもある穂刈篤。
普段はお互いにボーダーを優先しているから、ちゃんとしたデートというものをあまりしていない。だからこそ今年は篤と一緒に行きたいと思っていて、早速こうして誘いに来ているというわけだ。
一緒に行きたいと思う人が居るだけで、大好きな行事が更に楽しみになる。メールで誘っても良かったけど、どうせなら直接話したいし、会う口実も作れるからね。


「高宮さん、ちょっといいかな?」
「え、私?」


C組の前へ着いて、篤を呼ぼうと教室の中を覗いた時、背後から声を掛けられてびくりと肩が震えた。
驚いたのは突然声を掛けられたからだけじゃない。振り向いた先にいた男の子が、去年一緒のクラスだったけれどそんなに話した記憶も無い人で、なんで私? と思わざるを得なかったからだ。


「今、時間いいかな?」
「えっと……今はちょっと」
「少しでいいんだけど」


二限と三限の間の休み時間。二十分程しかないその時間で私は篤を誘おうと来たのだから、正直言って時間はない。でもこれは私がただ篤に会いたいだけで、今じゃなきゃいけない理由は無いんだから、この人に合わせるべきなんだろう。
そう分かってはいるけど、朝から楽しみにしていた時間を奪われてしまったような気分になってちょっと落ち込む。「分かった」と口に出したものの、耳に入ってきた自分の声があからさまに残念がっているのに気付いて、これでは失礼かと心持ち口角を上げてみたが上手く笑えなかった。


「じゃあ、あっちで……」
「何か用か? コイツに」
「穂刈」
「篤」


またもや背後、というよりもほぼ頭の上から降ってきた声に振り向けば、上手く笑えなかったのが嘘のように勝手に顔がほころんだ。口に出した名前は無意識に声が弾んで、さっきとはまるで違う。
嘘をつけない自分の性格は長所でもあり短所でもあるけれど、これは流石にあからさますぎるな、と思ったが許してほしい。だって、今日ずっと会いたかった人がすぐ傍にいるんだから。


「邪魔すんなよ」
「邪魔だったか?」
「え? 邪魔じゃないよ」
「だってよ」


けれど、この人もさっき私に話し掛けたのとはまるで違う態度で篤へ言葉を放った。目付きは鋭く、私に向けられているわけじゃないのに敵意剥き出しの視線に怯んでしまう。でも、直接それを向けられている篤は、表情筋を一つも動かさずに敢えて私へと問いかけてきた。流石、荒船隊で日々揉まれているだけのことはある。
結局、それ以上は何も言わず、大きな舌打ちだけを残して去って行った元クラスメイトくん。篤への態度といい、今の舌打ちといい、感じ悪いなあ。あんな人だっけ? と彼の事を思い出そうとしたけれど「葵」と名前を呼ばれた瞬間、直ぐに思考が切り替わった。


「どうした?」
「あのね、篤に用があって」
「オレ?」
「うん。これなんだけど」


ちょうどいいし、当初の目的を果たしてしまおうと予めスマホに表示していた画面を見せようとした時、良すぎるタイミングで鳴り響いた予鈴にがっくりと肩を落とす。どうやら随分と時間をロスしてしまっていたらしい。


「お昼休み、また来るね……」
「ああ。待ってる」


誘えなかった事に落ち込んだ私だけど、それを見越したみたいに頭に置かれた手。ポンポン、と宥めるように軽く叩かれればそれだけで気分が浮上するんだから、やっぱり私は単純な女なのかもしれない。



◇ ◇ ◇



「あのね、これ。一緒に行きたいなって」


漸く当初の目的を果たせたのは、昼休みも半分が過ぎてから。蒸し暑い中庭の木陰で二人並んで座り、体を寄せ合って私のスマホを一緒に見ている。
正直言って、何でこの場所なんだろうという疑問はあった。日差しは木で遮られているとはいえ、暑い事には変わりないし、微かに吹き付ける風は生温くて気持ち悪い。二人でご飯を食べる時はいつも教室か食堂だったから、動いていなくても体力がじわじわと削られていくこの現状は少し辛い。けれど、折角篤が外で食べようと誘ってくれたし、二人きりならではの距離は当たり前に近くて、暑さよりも嬉しさの方が勝っていた。


「祭り?」
「うん。三門市でやってるやつ。お祭り好きだったよね?」
「オレ、祭り好きって言ったか?」
「え? 違った?」
「いや、好きだけど」


篤の口から発せられた好き、という一言に心臓が大きく跳ねた。自分に向けられた言葉じゃないと分かっているのに、勝手に反応してしまう。しかも、こんなに近い距離で言われたら尚更だ。
今篤の方を見たら確実に動揺しているのがバレる。表情に出やすいのを自覚しているからこそ、手元のスマホから顔を動かす事なく会話を続けた。


「私も、お祭り好きなんだ。だから篤と一緒に行きたくて」
「いいよ。シフト調整しとく」
「本当? やったぁ!」


そのままカレンダーアプリを開いてスケジュール登録をするが、右半身にぴったりとくっ付いている篤を意識してしまって上手く文字が打てない。夏服という事もあり、剥き出しの腕がどうしたって触れてしまうのに、篤は気にならないんだろうか。
私は逞しい腕とか、浮き出た血管とか、大きな手とか、私よりもずっと長い足とか。視界に入ってくるもの全てに目を奪われてしまうというのに。


「りんご飴食べよーっと」
「もう食うもん考えてるのか。早すぎだろ」
「いいの。花火も近くで見れるんだよ」
「祈っとけ。雨が降らないように」


気を逸らす為に他愛の無い事を口に出してみても、やはり近くで響く篤の声が鼓膜を揺らす度に意識せざるを得ない。暑さだけじゃなく、違う理由からも汗が出てきそうだ。
部屋で二人きりの時ならまだしも、ここは学校なわけで。いくら周りに人気が無くたってそこら中から生徒の声が聞こえてくる。篤はどちらかと言えば淡白な方だし、今まで校内でこんな風に過ごした事なんて無いから、この状況に戸惑いを隠せなかった。


「あの、さ」
「ん?」
「ちょっと……近くない?」
「ああ。牽制」


意を決して聞いてみれば、思いもよらなかった答えが返ってきて首を傾げる。牽制って、何に? どうして? と、一気に疑問が生まれたが、ふと上に向けられた篤の視線を辿ってみれば、成程そういう事かと直ぐに理解した。
二階の窓から私達を見ていたのは、さっき話し掛けてきた元クラスメイトくんだ。柱の影に隠れて窓から覗き込むようにこちらを見ている姿はちょっと怖い。むしろ彼があそこから見ているのに気付いた篤が凄すぎる。狙撃手は視野も広いんだろうか。


「何であんなに見てるんだろう」
「隙でも窺ってんだろ」
「隙? 何の?」
「付け入る隙」


チラリと横目で私を見た篤の視線は咎めているようにも見えて、そこで漸く朝からの一連の出来事が腹に落ちる。自惚れと笑われるかもしれないけど、朝の篤と彼の会話や威嚇するような視線を思えばそうとしか考えられなくて。同時に、彼が話しかけてきた理由も納得出来た。


「男の間では有名だからな。アイツがお前狙いだって」
「でも私、あの人と話した記憶もないよ?」
「へぇ」
「それに……好きなのは篤だけだから」


興味があるのか無いのかよく分からない相槌を打った後、もう一度上を見上げた篤。私が告げた想いには答えず、視線を上げたまま「面倒だな」とポツリと呟いたかと思えば、少し体をずらして私へと向き直ってきた。
黒の双眸にジッと見られるだけで、体温がじわじわと上昇してくるようだ。あまり変化のない表情からは何を考えているのか読み取れなくて、私もただ見つめ返すことしか出来ない。長いように思えたその時間は、ほんの僅かに上げられた口角によって終わりを告げた。


「先手必勝」
「なっ……」


目を閉じる時間すら与えられず、掠めるように触れた唇。しっかりと重なったわけでもないのに、触れたところがジンジンと痺れているような感覚がして口元を手で押さえた。周りに人が居ないから良かったけれど、窓から覗いていた彼にはしっかりと見えただろう。これこそ正に牽制だ。


「こんなところで……」
「嫌だったか?」
「嫌じゃない、けど」
「なら良いだろ」


抑揚なく発せられた言葉からは信じられないくらいの熱い唇が今度はしっかりと重ねられる。まさか篤がこういう事をするタイプだとは思わなかったけど、私にとっては嬉しい誤算だ。
ドクドクと煩く鳴る心臓が体中に過剰に血液を送っているのか、全身が熱くて逆上せそう。上へ上へと上がってくる熱のせいで、きっと頬は真っ赤に染まってしまっているのが何となく分かる。今なら気温に負けないくらい体温も上昇していそうだ。


「りんご飴みたいになってるぞ」
「……篤のせいだよ」


相変わらず肌を撫でていく風は生温い。大嫌いな季節は毎日が憂鬱だったけれど、篤が隣に居るだけで少しだけ好きになれそうな気がした。

write by 神無


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