三章

「……でさ、入野が運転したはいいけど今度は脱輪しちまって。雨ん中、皆して押したよなあ、あの時は」
 ようやくにして酒を飲む速度も遅くなり、山戸がほろ酔いの口調で空になったカップを傾ける。それに梓が相槌を打った。
「そうそう。しかも人通りの少ない道でさ、誰も通りやしないの。あの時は本気で野宿を覚悟したね」
「でも、梓なら野宿したところで大丈夫そうな気がしましたよ、私は」
「僕も僕も。だからまあ、大丈夫かなあと」
「馬鹿言え。それじゃあ、おれはどうなんだ」
 言い募る矢柄と入野へ、山戸が猛然と抗議する。それに対して二人が苦笑しながら謝ると、ふっと、静かな時間が訪れた。
 会話と会話の谷間に落ちたかのような、誰もが何を話していいのか探している僅かな時間。学生時代にも時折こんな時間はあったが、この場にしてそれを経験すると異様な空気すら感じられる。
 嵐は各々の表情をちらりと盗み見た。ちびちびと酒を口に運ぶ者、つまみを食べる者、手で遊びだす者、中空を見つめる者、とやってることは様々だが、頭の中ではどうやってこの沈黙を打破するか考えているようである。
 廊下に漂う寒さと共に静けさが室内へ手を伸ばし始めた時、入野がぽつりと呟く。
「……そういや高校の時だっけ、あの時もこんな感じで酒飲んでたよな。部室だったけど」
 ああ、と思い出したように相槌を打った梓と共に、一同の空気が固くなる。
 嵐は耳を澄まし、口を開いて話の続きを促した。
「高校の時に飲んでたんですか」
「あ、うん、まあな。今思えば若かりし頃の過ちというか、過ぎた行いというか。あまり責めないでくれよ」
 梓が自分の調子を取り戻したように嵐に向かって拝む仕草をしてみせると、固くなった空気が弛んだ。
 どうやら、空気の変化は高校の時の飲酒による、後ろめたさからくるものではないらしい。
 矢柄がにこやかに梓の言葉を継いだ。
「高校の時って、将来のこととか色々考えるでしょう。だから大人の振りして色々やってみたくなるんですよね」
「ああ、わかります。俺も煙草を一回だけやったことあるけど、まずくてすぐ止めました。でも一度覚えた味ってなかなか忘れられないんですよね。二、三年くらい前まではヘビースモーカーでしたから」
 これには山戸が口笛を吹いて感嘆を示す。
「こいつあ、負けたな。ただ、その年で煙草の吸いすぎはよくないぞ」
「今はそんなに吸ってないですよ。一週間に二本吸うかどうかぐらいで」
「じゃあ、引き止めちゃって悪かったかな。確か煙草を吸いに行くって言ってましたよね」
 矢柄の言に皆が思い出したように頷く中、嵐は苦笑して手を振った。

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