「誰が何を言っても、もう忘れられそうにありません」
 きょとんとして三人が見つめる中、葛は目を地面に向ける。
「ど、どういうお顔をしてお会いすればいいのか、どういうお話をすればいいのか、何もわからないのです。……もう何かの期待なしには、あの方を見ることが出来なさそうで、それが恥ずかしくて」
 狐々はおそるおそる、葛の前に膝をつき、その顔を覗き込んだ。
 恥ずかしいのと嬉しいのと、それらをどうやって自分の中で整理すればいいのかわからないでいる。しかし、多分、今一番強いのは嬉しい感情なのだろうか。
 それはそれで成功か、と思う狐々の前で、屈み込んで吐露する葛は何とも可愛らしかった。いつもの姿も好きだが、こっちの姿も好きだな、と気持ちが暖かくなるのを少しだけ噛み締めていたが、隣で様子を見つめる男二人と猫一匹に気付き、慌てて葛の手を取る。
「狐々?」
「姫様、戻りましょう。そこの無頼漢どもにこれ以上、姫様のお姿をお見せすることはなりません」
 そう言って、労わるように葛を立たせ、手早く着物についた土埃を払い落とす。
「お話はわかりました。狐々と蓮華が必ずやお役に立ってみせますので、今はお早く」
 葛もそこでようやく、自分の様子を見ている観客二人と一匹の存在に気付いたようで、一瞬、あまりの恥ずかしさで身を引く。しかも、嵐とは一度会っているため、恥ずかしさはより一層大きなものになった。
「し、醜態を失礼いたしました……あなた様には一度ならず、二度までも」
「ああ……いや、別に」
 大丈夫です、と嵐が答えるのを遮るようにして、狐々は葛の手を引いた。
 狐々に連れられて歩き出しながら、葛は一礼を返す。そしてその向こうで手を引く狐々はといえば、あらん限りの感情を込めて二人を睨みつけていた。
──他言無用。
 辺りは一気に静かになり、去っていく二人に引きつった笑いで手を振りながら、嵐は低い声で法昇に言う。
「……言わないでくださいね。報復は俺の所にくると思うので」
「来たら、特別料金で追い返してやるぞ」
「来る前提で話をしないでください」
 嵐には構わず、法昇は大きく息を吐いた。
「しかしまあ、あの息子のどこがいいのか……」
「めとってもおかしくないと言ったのは、おじさんでしょう」
「まあな」
 息を吐きながら相槌を打ち、法昇は藍色に変わっていく空を仰いだ。
「ま、わからんくらいが色恋には丁度いい」



 この時は他人事と構えていた嵐だったが、後日、唐突に嵐の家を訪れた明良が、嵐の母親に向けた質問で、法昇が「わからん」と称した事の進み具合を知ることとなる。
 明良は「このへんで、葛さんという着物の似合う美人を知りませんか」と聞いたのだった。
 どうやら、わからないことは更にわからない方向へと、ほんの少し進み始めたらしい。



終り

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