時、馳せりし夢 「二」



 ヘンデカは詰まりそうになる息をどうにか通し、体を起こしてあぐらをかき、もう主の戻らない寝床を見つめた。
 ドラゴンは死期を悟ると、姿を消すと言う。巨大な死体が周囲に与える影響を本能的に知っているからだとか、自らの死体を人であれ獣であれ利用されないためにだとか、諸説あるものの、真実はわからないでいた。当事者たちが静かに、それもあっさりと姿を消してしまうためであり、元気であるうちは彼らもその性質をよく理解していないからだった。
 故に、死期を悟ったドラゴンたちがどこへ行くのかも不明である。伝承よろしく、ドラゴンの墓場があるのだという者もいるが、そんな大量の巨大な骨がある場所など早々に見つかってもいいようなものなのに、未だに見つからないのが「答え」とも言えた。あるいは仲間にその死体を提供し、餌として食べさせているという説もあれば、ドラゴンは獣や動物というよりも超自然の存在に近く、それぞれの種族が属する属性へと回帰するのだ、という説もあり、ヘンデカは後者を推していた。
 だから、水龍のミュスタクスは水の側に終の棲家を構えたのに違いない。
 地底湖は静かに、昨日と変わらない水面をこちらに向ける。そこにあの我儘なドラゴンが眠っているのか、呼べばまだ聞こえるだろうか──様々な考えが頭を駆け巡り、最終的に残ったのは「もっと話したかった」という声だった。
 友達のように思っていた。それは自分だけだったかもしれないが、初めてヘンデカ一人で担当する患者であり、好きに言い合える友達であり、時に叱ってくれる師でもあった。
 なくしたくなかった、と意地を張らずに言ってしまえばすっきりしただろうか。
──いや。
 ミュスタクスのことである。プライドの高い彼はそれを嬉しそうに聞きはするだろうが、きっと彼は困る。ケルンの言う通りだった。彼は本来、とても繊細な性格のドラゴンなのだ。だから、困ってどうしようもなくなる。
 ヘンデカは涙ぐんだ目をこすり、震える喉に深呼吸で空気を通した。火照った顔が涼み、頭がゆっくりとだが冴えわたっていく。その時、敷き詰められた枝葉の中に輝くものが見え、ヘンデカは立ち上がって歩み寄った。
 さすがに、巨体のミュスタクスが持ち寄った木である。草薮の中を進むような簡単さではなく、枝の間をすり抜け、時に木登りの真似事もしつつ進んだヘンデカの目の前に現れたのは、瑞々しい葉の中に埋もれるようにしてある青い鱗だった。
「……旦那ってば、見た目に似合わないことを……」
 ミュスタクスがわざとやったことは明らかであった。
 寝床の葉は枯れたものも青いものも混在しているのに関わらず、鱗の周辺だけは青く茂った葉をかき集めたように集中していた。
 ヘンデカが必ず来ると信じて、それまで壊れないように。
 ヘンデカの顔ほどもある鱗は持ち上げると軽く、触感はガラスに似ていた。丸みを帯びたひし形で、手に持った部分から上に向かって裾を広げていく。大きさの変化に合わせて色味も変わり、薄い青から濃い青への変遷が美しかった。濃い部分は昨晩見た、夜空の色にも似ていた。
 何ものの混在も許さず、水を覗き見るような透明度を誇る鱗はひんやりと冷たかった。
「……」
 ヘンデカはしばらく鱗を見つめた後、それを手に寝床から降り、リュックの中に入れていた雨合羽で丁寧に包み込んでしまいこむ。
 そしてリュックを背負い、ヘンデカは寝床に向かって一礼した。踵を返してホールを出る間際、再び振り返って今度は深々と一礼する。静謐な水の匂いが、地上への道を辿るヘンデカの背中をそっと押した。
 来た時よりも落ち着いた足取りで洞窟を出る。涼しい空気に慣れた体を、陽光が瞬時にして焼く。まだまだ暑くなりそうであった。
 帰ったら、父に手紙を書こう。何があって、何をして、何を残したのか、あの父親は真摯に耳を傾けてくれるに違いない。
 ヘンデカは倒れている自転車を起こして乗った。そしてこぎ出す前に洞窟に向かって声を張り上げる。
「お元気で、旦那」
 ヘンデカは一息ついてから自転車をこぎ出した。
 坂道を下り、山を下る小さな人間の背中を、洞窟がひっそりと見送る。
 そして木々に紛れ、山の風景へと混じり、洞窟は古龍の終の棲家としての役目をそっと終えた。
 ドラゴンの医者を、新たな世界へと旅立たせるために。



終り


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