時、馳せりし夢 「一」



 意識を集中させるまでもなく、右手の中のサイコロが動き出す。互いに回転しながら速度を高め、それぞれの形もわからないほどの速さと回転を得たサイコロは掌から離れた。
 ぼんやりと緑色の光をサイコロがまとうと、同心円も呼応するように光りだし、その光は便箋を中心とした同心円を地面に作りだした。久々に見る光ではあるが、綺麗だとこの時、ヘンデカは心の底から思った。
 浮かびながら回転を高めていくサイコロを見つめ、ヘンデカは手首を返して同心円に向かって投げる。サイコロが地面に接地した途端、二つは大きく離れて回転運動を続け、やがてある一定の場所でぴたりと止まった。すると、同心円から同じ緑色の光を持つ線が矢のように真西に向かって放たれ、多数の円と線を増殖させ、経由し、そしてそれらの軌跡を空に描きながら凄まじい勢いで走り去っていく。
 ヘンデカはじっと、その行方を見つめていた。
 寒風に吹かれるまま、緑色の軌跡を見つめること数分後、音もなくそれらに亀裂が走り、薄氷が割れて落ちるようにぱらぱらと欠片をまき散らして轍を消していく。ヘンデカは溜め息をつき、すっかり軌跡が消えたことを確認してから、未だ地面で光り続ける同心円の中を覗き込んだ。
 あの女性が倒れている。異常に気付いた病院の職員らしき人間が部屋に入り、慌ただしく何かを叫んでいた。更に数人の職員が医療器具と共に駆けつけ、彼女の周囲を固める。心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し、頬を叩いて大きな声で彼女の名を呼んでいる。
 そうだ、起こしてやれ。
 もう悪夢にとらわれることもない。そこから、目覚めさせてやれ。
 あんたは「人」なんだ。
 ヘンデカの願いが届いたのではないだろうが、同じ動きを繰り返すだけだった職員たちの動きが変わり、ほっとしたような空気が流れた。
 彼らの間から、うっすらと目を開き、口を動かす彼女の姿が垣間見える。
 その頭に、黒い針はもうなかった。



 非常階段を下りた先で見知った顔を見つけ、ヘンデカは顔をしかめた。
「……お前、ちょっと見ねえ間に遊びにでも行ってたのかよ」
 きちんとスーツを着た体格のいい男が、日焼けした顔に笑顔を浮かべた。
「お前がまともに見えないうちに行っとこうと思って、ハワイに」
「……」
「四六時中、真面目にお前の相手してたら胃に突貫工事しかけるところだ。だから視力がアホなことになってる間に遊びに行っといた。わかんなかったろ」
 確かに、花だ岩だ結晶だと様々な姿で表されていた同僚の肌の色など、わかるはずもない。生真面目にやって来るからとからかい、適当にあしらっていたつもりが逆に足下をすくわれていたようで、ヘンデカは腹立ち紛れにトリアーコンタの足を蹴った。
「生真面目だけが取り柄みたいな奴が変な知恵つけやがって」
「お前みたいな不良に付き合うとこっちがもたねえってわかったんだよ」
「そのまま胃に穴でも開けてりゃ良かったんだ。そしたらちったあ女も寄ってくる」
「万年独り身のお前に言われるとびっくりするくらい説得力がねえな」
「たくましいんだよ。俺は」
「らしいな」
 そう言い、トリアーコンタは笑う。そして歩き出す彼の横に並んだヘンデカへ、手を差し出す。
「随分、遅いお帰りで、十一番目」
「おう」
 差し出された手をぱしんと叩き、それを挨拶とした。
 ヘンデカはポケットに手をつっこみ、視線を上げて歩く。
 数多の針が人々の頭上に浮いて見える。まち針、縫い針、布団針、様々な「魔」が様々な様子で人の心の隙を狙って浮いている。持てる者の仕事は少なくはない。例えそれが天秤の分銅を移動するような仕事でも、分銅を持つ手は、同じ人間の手でなければならなかった。
 夕飯に何を食べるかの相談をしながら二人の男は歩いて行き、雑踏に紛れていく。
 そうして彼らは、噂の中で存在し続ける。針の行方を眺めている。
 今も。



終り

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