Piece19



 ギレイオは欠伸しながら立ち上がり、ゆっくりとした動作で外に出て行った。今や行動範囲は常態にまで回復し、食べる物も病人食から通常の食事へと切り替わっている。ただ、筋力だけはそう簡単には戻らず、こうして外を歩きながら体を元に戻していっているようだった。
「……それで」
 ワイズマンはカルテを書き終えてぱたんと閉じると、二階へ続く階段からこちらを窺うヤンケを見据えた。
「こちらはこちらの義務を果たしていますが、君は君の義務を果たすつもりがあるんですか?」
 ヤンケは暗がりからじっとりとした目を向けるだけで、反論しない。ギレイオのように考えずに、あるいはロマのように、考えたところで詰めの甘い反論しか出来ない種類の人間であれば楽なのだが、ヤンケはそのどちらでもない。
 ゴラティアスを師と仰いでいるために、脳まで機械油で一杯なのかと大いに穿った偏見を持っていたのだが、ヤンケがその偏見を覆して余りある頭脳の持ち主であることは、ここしばらくの付き合いでわかったことだった。
 カルテのデータ化にしても、筆記体で走り書きされた専門用語の連発にも音をあげず、書面の通りでいいというロマの指示に沿いつつ、第三者が見てわかりやすい見た目に仕上げていた。こうして書きまとめる時には相変わらずペンと紙を使用しているが、実際に情報として整理し、検索することを思えば、ヤンケの作り出した規格は極めて使い勝手のいいものだった。ショッキングピンクの髪の毛を、頭の左右から馬の尻尾のように結びあげている姿からは想像もつかない。
 時に言動が慌ただしく要領を得ないこともあるが、基本的に、ヤンケはロマやギレイオのような反論の仕方はしない。少なくとも、ワイズマンの前では端末に向かっている時と同じような思慮深さを見せた。
 頭脳を認めた相手を無碍にすることはしないというのが、ワイズマンの基準である。そんな相手と嫌味の応酬をしたところで不毛でしかない。ならば、実のある会話を成した方がワイズマンにとっては利がある。
──しかし。
 ヤンケのここしばらくの挙動は、さすがのワイズマンも苛立ちを隠せないものだった。
 ギレイオが目覚めた時は大泣きし、リハビリにも携わったかと思えば、ギレイオが普通に動き回れるようになった途端、避けるようになった。それでも極端に避けることは出来ないようで、今のように遠巻きに見つめていることが多い。ギレイオに声をかけられれば答えるし、邪険に扱うこともない。ただ、積極的に関わろうとしないだけで、傍目にはいくらか気味の悪い恋する少女に見える。もっとも、そういう少女をワイズマンは見たことがないので、これはロマの表現を借りたものだった。
 その様子はロマも気になっていたようで、ぽつぽつとワイズマンの前で心配の旨をこぼすことがあった。放っておけばいいとワイズマンは一蹴したが、ヤンケと交わした交換条件を思い出して、そうとばかりも言っていられないことに気付く。

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