053.休肝日


 ねえ、知ってる?と少女の甲高い声が問うた。

「イーレイリオったら、処女とお婆さんを間違えて連れ込んだんですって。それで、その後どうしたと思う?」

 一旦、言葉を切り、グラスに入ったアイスを頬張る。

「そのお婆さんとしばらく話し込んで、それでそのまま帰しちゃったんですって。呆れちゃう、それでも三番目に強い吸血鬼なのかしら。あたしなら絶対帰さないわ」

「アルフィーリアは寂しがりやだからね」

「そうかしら。あたし寂しいなんて思ったことないわよ。寂しいっていうのは人間の持つものじゃない?あたしにはアルファリオがいるからいいわ」

「それを寂しいって人は言うんだよ」

 声変わりをもうすぐ迎えようかという少年の声に苦笑が混じる。

 アルフィーリアはアイスを口に運んだスプーンを口にくわえたまま、体を乗り出す。

「違うわよ、わかってないわね。寂しいっていうのは理解者の有無を指すのよ。人間はとっても脆弱で不完全な生き物でしょう?だから自分の不完全さを見ないようにする為に、他人の不完全さを覗き見たいのよね。それで安心するの。「ああ自分はまだ平気だ」って。でも、そんなもので自分の不完全は満たされるわけないじゃない。それは単なる自己満足で、自分がより優位に立てることが嬉しいだけよ」

「そうかなあ」

「人間の不完全っていうのはね、死ぬこともそうなのよ。人間には寿命があるの。どれだけ生きたくたって、神様が「はいここまでね」って切符切っちゃったらそれでお終い。過去にどれだけの偉人が不老長寿を望んだと思ってるのよ。それだって一つの「寂しい」だわ」

「長く生きることがそんなに嬉しい?それこそ自然の摂理から離れた寂しさだと思うけど」

「人間の寂しいとは本質が違うわよ」

 スプーンをアイスにさしこんでアルフィーリアは独白のように呟く。

「一人が寂しい、生きているのが寂しい、夜は寂しい、死ぬのは寂しい……こんなに寂しがって、人間って忙しい生き物よね。それだけ寂しい寂しい言ってれば充分忙しくて、寂しさなんて考えてる暇はないと思うんだけど。よっぽど頭が暇なのね」

「暇だから寂しさが募るんじゃないのかな」

「なに、それ。そしたらアルファリオが言ってる「あたしが寂しがりや」って、相当、嫌味じゃない」

「違う、違う。そうじゃなくてね、人間にとっての寂しいって一つの記号だと思うんだよ。好きと同じでね」

 アルフィーリアは頬杖をつき、アルファリオの話を聞くことにしたようだ。

 意志の強い瞳はまだ何かを言いたそうにしている。

「誰かが寂しいと言ってると、それを聞いた他の寂しい誰かが「一緒にいたら平気かもしれませんね」って言います。すると寂しいって言葉はただそれだけで、傍に来てくれる誰かを探す記号になり得ると思うんだ。それって好きと同じ意味で、でも「誰かに来て欲しいな、傍に誰かいて欲しい」って気持ちは心に余裕のある人でないと考えられないでしょう?アルフィーリアの言う「頭が暇」ってことだね。好き、ってとってもふわふわしたものだもの。生きてるだけで精一杯の人は、多分、寂しいなんて言っている暇もないと思うよ」

「何だか上手いこと丸め込まれている気がするんだけど」

「どうかなあ。アルフィーリアはぼくの意見には真っ向から反対するものね」

「それじゃあ、ご期待にお応えして反論するけど、いい?」

 どうぞ、とアルファリオが手で促す。

「あたしはアルファリオと寄り添って、ただ寂しさを紛らわすだけなんて真っ平御免だわ。あたしにとってアルファリオは絶対だもの。寂しいなんて感情だけで寄り添うのはあたしが許さない。だから話は戻るけど、あたしは寂しがりやなんかじゃないわ」

「どうして?」

「だって、あたしの頭には暇なんてないもの。やって御覧なさい、どこを叩いてもきっとアルファリオのことしか出てこないから。それ以外のことを考えてる暇なんて、実は無いんだけどね」

「それって誉められてるの?何か遠まわしに「この会話をやめたい」って言われてるような気がするんだけど」

「被害妄想甚だしいったらありゃしない。誉めてるわよ、一応ね」

「一応って……」

「大丈夫よ。何があってもあたしだけはあなたの傍にいるわ。あなたが死んだらあたしも死ぬし、あなたが生きている限りあたしも生きる。何としてもね」

 何としても、の部分に力を込めてアルフィーリアは言った。

 アルファリオは困ったように微笑む。

「下手なことは言わないでおくれよ。人の不完全さを一番にわかっているのは君だろう」

「あら、自分のことは自分が一番わかってるつもりよ。要はアルファリオが少し制限すればいいだけの話じゃない」

「……僕に我慢しろって言うの?」

「当然でしょ。レディファーストって言葉を知らないの?」

 さも当然とばかりに胸を張る。アルファリオは泣きたい気分になった。今でさえ喉が渇いて仕方ないのに、これを今度から我慢せねばならないということか。

「泣きそうな顔をしたって駄目。我慢を覚えるのも大人へのステップよ」

「僕はアルフィーリアより充分大人だけど」

「たかだか百三十歳程度で威張らない!吸血鬼の中ではひよっこだって聞いたんだから」

「ガルベリオのやつ……」

「違うわよ、ナーティオの方」

「あいつだって僕と変わらないぐらいなのに」

「ともかく、あなたの我慢は今日からね」

「ええ?もう?」

 泣きそうな顔からは本当に涙が零れそうだ。アルフィーリアはくすりと笑った。こんな状態でガルベリオのことは笑えない。

 獲物と捕食者の関係が全く逆転してるのは自分達ぐらいだ。

──あんな人間の世界から連れ出してくれたアルファリオには何をしてでも付いていく。

 どんなことをしても、何を犠牲にしても、自分の心はアルファリオと共に生きる。

 それが自分の全て。

「そうよ。今日から食事は二日に一度。それも量はしっかり守ってもらいますからね。血を飲まれすぎて死んだなんて洒落になんないわ、ほんと」

「足りないよ」

「じゃあワインでも飲んでなさい」

「美味しくないから嫌なんだけどなあ……」

「ミルクにする?」

「いいよ、ワインで。……だったらアルフィーリアもアイスをやめてよね。僕だけ我慢は不公平だ」

「あたしはあなたと違って脆弱な生き物なの。これが無ければ生きていけないわ」

「……そうなの?」

「そんなわけないでしょ。あたしにはあなたがいればいいって言ったの覚えてないの」

「……」

 黙り込んだアルファリオに向かって少女とは思えぬ妖艶な笑みを浮かべ、アルフィーリアはその白い額に口付けを落とした。

 途端に首筋まで真っ赤になるアルファリオは目を白黒させて彼女を見上げる。

「どうしたの」

「ううん、なんでもない」

「それだけ?」

「それ以上に何があるっていうのよ。今日は特別にあたしも道連れになってあげる」

「今まで食べてたくせに……」

「それはそれ」

「都合がいいなあ……まあいいけどさ。何だっけ、こういう休む日って」

「休む日?」

「そう。体の」

「……休肝日?」

 アルファリオはぱっと顔を輝かせた。

「そう、それ!」

 腰に手を当てて、アルフィーリアは怪訝そうな顔をしてみせる。

「……あなたにとって血はワインみたいなものだから?」

「そうかな。そうかもしれないけど。一つの欲を抑える為の日ってことには違いないでしょう?」

「それだったら禁欲の日でも何でもいいじゃない」

「それだと意味が広すぎるじゃないか……君は人間だということを忘れたくないんだよ」

 言いながら耳を赤くするアルファリオが無性に愛しく思え、アルフィーリアはその肩に腕を回して抱きしめた。

「いいわ。それならそれで。あたしはあなたに従う」

 ふ、とアルファリオが微かに笑うのが聞こえる。

「……君は僕の獲物だもの」

「やっとわかってくれた?」

 アルフィーリアはいたずらっぽく笑う。

 共犯めいた笑い声が、深い暗闇の中に飲み込まれていった。



終り

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