051.オレンジが笑う


 予想外に大きな丸だ。なんてことだ。あんなのと一緒のものが自分の顔に二つも埋まってるなんて。虫唾が走る。

 袖を大きく広げて、慈愛よろしく大地を包む姿に人は「神」を見るのだろう。そんなものに意味はありはしないのに、人はそこに何がしかの偶像を抱かずにはいられない。

 要は姿形に神々しさがあればいいのだ。そして表情が無ければいいのだ。そうすれば人々は個々の妄想にのっとった「神」の姿を自由に思い描くことが出来、その「神」は常に彼らに微笑みかける。それすらも、「神」ではなく己が望んだ姿であるにも関わらず。

 それはもう「神」ではない。

 「神」に形は無い。意味もない、表情などありはしない。声もあってたまるものか。

 ただ、人々がどうしようもなく救いを求めた時に現れる何者かの手が、その時の彼らにとっての「神」なのである。

 だから川に落ちた時に求める「神」は友人の手かもしれないし、場合によっては木々、最悪ワラもありうるだろう。動物に襲われそうになった時の「神」など、この世界では決まりきったことだ。力が「神」となるのである。

 だが、人々はそれでは満足しない。自分達の妄想に意味を付け、「どうだ素晴らしいだろう。おれが考えたんだ。だからお前も信じろ」という半ば暴力に近い、思考の押し付けを図る。個々が妄想する「神」は美しく、神々しく、慈愛に満ちた微笑をふりまき──更に下衆の勘繰りをすれば、男からすれば非常に美しい女、女からすれば非常に美しい男が彼らにとっての「神」の姿を模すのだろう。

 そしてそれが人々の間で共有されて始めて、「神」は形と名を得るのである。

──ハレルヤ。

 そんなものにどんな意味があるという。

 「神」の名を唱えたところで貧しい食卓に柔らかなパンが現れるわけでもない。麻の衣服が絹に変わるわけでもない。まさか、井戸からワインが湧いて出るとでも思っているのだろうか。滑稽すぎて涙が出る。

 人間の可哀想な頭にならって俺の「神」とやらを考えてはみたが、なかなか理解し難い妄想だ。

 無意味なことがわかっているからこそ、そこまで想像の余地を働かせることが出来ないのだろうか。そんな俺の頭は貧相なのだろうか、彼らからしたら。

──幸いなるかなキリスト。

 名前を呟いてみたが何ら影響はない。その名を口にしただけで体が灰になるという奴もいるらしいが、自分には影響ないだろう。

 あろうはずがない。俺はそれが偽者だと知っている。

 偶像に実像を覆すだけの力はない。自分が「神」とは思いたくもないが、人々が人々にとっての「神」を真に理解し得ない限り、彼らの刃がこの首をかくことは一生ありえない。

「……一生?」

 自分の考えながら笑えてくる。これほどまで自分に似合わない言葉があろうとは。

 俺は俺の「神」を──いや、俺の誇りを示せるものを知っている。

 舌先で軽くつつくと僅かに鉄臭い香りが口から鼻に抜け、ほのかな酩酊感を味わうことが出来た。さて、何百年ぶりの感覚か。

 これが俺の誇り、俺の命、人間の泥臭い言葉を借りて言えば「神」。

 偶像が実像を覆すことは出来ないが、実像は偶像を払拭するだけの命がある。

 丸は地平線の彼方へ消えた。振りまいていた袖も遠い山陰に引っ込めている。

──さて、おはよう。

 暗闇の中でオレンジが笑う。

 燭を灯したような瞳に映る夜の世界が、俺の世界だ。



終り


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