033.すみれ


「今日は目玉一つ」

 一ヵ月前は肝臓の一部だったっけ、と口に出してぼやく。この年ごろの少女が口にすることではない物騒な内容を、不幸にも聞いてしまった患者や医者たちは、彼女を避けるようにして歩いていく。

 病院の庭だった。晴れているとあって日光浴を楽しむ患者で一杯である。

 だが、庭の真ん中に植わっている巨木の根元に座り込む少女の周りだけは、見えない壁でもあるかのように誰もいない。

 実際、壁はある。それは人間側のみが持つ壁なのだが、こうも見事に避けられては、こちら側としても積極的にお付き合いしたいとも思わない。

 脱色だけではここまで美しくならない銀髪、澄んだ黄色の瞳。明らかに人間が持ちうる特徴から脱線している彼女は、医療用のクローンだった。

 メディカルタイプと製品名のように言われることもあるが、ドナークローンと言われることの方が圧倒的に多い。

 そのままだ。

 彼女の体は全て、誰かの命を繋ぐために存在する。今日も左目を六歳くらいの男の子に提供してきた。

 一昔前まで失明の危機は、そのまま危機として患者に与えられてきたが、医療の進歩には目覚ましいものがある。メディカルタイプのクローンから移植された臓器や器官は、決して拒絶反応を起こさせない。

 だから命の危機も然り。それは誰もが踏むべき段階になりつつあった。

 けれど時代の流れとは面白いもので、クローンが出来た当初は、男であるオリジナルの染色体を操作して女のクローンが生まれただけでお祭り騒ぎし、それから様々なタイプのクローンが誕生した時など国をあげての大騒ぎだった。

 特に医療用クローンの誕生は誰もが喜び、そして医療用クローンには特に人権というものが与えられなかった。人権などが認められれば、人間は自身の生のために生み出した狂気の沙汰へ目を向けなければならないからである。

 ところが最近になって医療用だけでなく、全てのクローンに人権を認めようという動きが見れた。

 それは技術の進歩により、今までクローンに頼らざるを得なかった部分を補えるようになったからだが、実際のところは罪悪だろう。

「やだなぁ……」

 彼女は膝を抱え、顔をうずめた。

 人権が認められたところで何がある。今までいけないとされてきたことに、いきなり放り出されても辛いだけだ。私が今まであげてきた臓器や器官が戻ってくるわけでもない。

「きみは一つの泡沫か」

 クローンの誰もが知り、人間の誰もが知らない本能のような質問がなされる。よりによって今。

 うたかたって何だっけ。仲間から聞いた気もするけど忘れた。

「きみは一つの泡沫か」

「うたかたって何よ」

「泡のことだよ」

 知らず呟いていた彼女の声に応じる声がある。どこの奇特な人間だ。顔をあげると、まだ幼い少女が車椅子に乗ったまま彼女を見ている。可愛らしい、親の愛情を一身に受けて育ったのだろう。

「泡沫ってね、泡のことなんだって。本で読んだことあるけど、それを言う人がいるなんて初めて見た」

「人じゃないわ」

「どうして?」

「髪の毛白いじゃない。目も黄色い」

 病院生活が長いのか、それともただ単に世間知らずのお姫様か。少女は真剣な顔で返した。

「なんで?うちのおじいちゃんもおばあちゃんも髪の毛白いよ。目の色だって今は自由に変えられるもの」

「……なにそれ」

 どちらでもなさそうだ。彼女は苦笑しようと思ったが出来ず、小さく笑う形になってしまった。

 初めてだ。初めてこんなことを言われた。もっとこの子と話してみたい。

「わたしリイザ。お姉さんは?」

 少女も同じように思ってくれたのだろうか。私と話をしてくれるのだろうか。答えようとして彼女は思い当たった。

 名前がない。彼女には認識番号しかなかった。

 車椅子、は名前としてはあまりに不適当。ドクターなんてもってのほか。花園はありえない。あそこ、あの花壇の端っこに咲いている紫の小さな花。なんていうんだっけ。

 じっと花壇の端を凝視している彼女の視線を追い、少女がその花に目を止める。

「すみれ?」

 ああそうだ、それよ、それ。やっと胸のつかえがとれたとばかりに、彼女は今度こそ苦笑した。

「うん、すみれ。私の名前」

 私の名前。そう言えることが誇らしい。すみれさん、すみれちゃん、すみれ。人権とやらは私を名前で呼んでくれるのだろうか。ならば喜んで迎えようと、彼女は決めた。

「きみは一つの泡沫か」

 残念でした。私はすみれ。

 うたかたなんて名前、つまらないわ。



終り


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