077.ビー玉(4)


 タクミは歩を進めた。しかし、先刻と同じように、また見失う。そしてまた、離れた前方に見つけるのだった。

 神さまが水槽の横で見守る間に、疑問の声を発しながらタクミは段々と木立の中に消えていく。しばらくは地面を踏む音やタクミの声が聞こえたが、やがてそれも聞こえなくなった。

 神さまは後ろ手を組み、じっと水槽の中を眺めていた。しばらくして日が暮れ、夜になり、星の輝きが一日で一番増す時間になった頃、草むらをかきわけて現れたのは、運び屋だった。

「あれ?神さま一人ですか?」

「うむ。意外に早かったな」

「それは神さまの頼みごとですから。タクミくんは?」

「ビー玉を拾いに行った」

「ビー玉?ああ、その水槽の底砂代わりですね。……うーん」

 運び屋は両手に持ったバケツを下ろし、神さまの横に並んで顎に手を当てた。

「どうかしたのか?」

「いえね、今回はアテが外れたなあと思ったんですよ。僕は、タクミくんは長期滞在型だと思ってたもので」

「なるほど。実はぼくも少し驚いた。タクミくんにしては意外に早い」

「そうなんですよねえ。やはり、神さまが積極的に関わったからでしょうか」

「ぼくが?」

「割と好きな部類でしょう、タクミくんみたいな人は」

「お前のように、秒速でぼくを信じはしなかったぞ」

「ああ、僕は信心深いんです。それでも五秒ぐらいはかかりましたよ」

「三秒だったように思うが。……まあ、いいか。そうだな、嫌いではないが、だとするとぼくが気に入れば皆は出て行くのが早くなるということか?」

「でも、神さまは僕のことは好きでしょう。だから僕はいつでも出入り自由なんですが」

「それとこれとは違う気もする……第一、お前は庭の客人だった試しがない」

「僕も庭に招かれた覚えはありませんよ。でも、神さまのお客だったとは思います。逆に、神さまは僕のお客ですしね」

「ぼくはお前の客だったのか。……そういえば、ぼくはお前に対価を払ったことがないな。物を得るには対価が必要なのだろう」

「今更なにを言うんですか。僕はねえ、神さま。ここが存在し続けていられるという奇跡に立ち会えていることを、既に対価として頂いているんです」

 運び屋はバケツを水槽の中に開けた。たっぷりの海水と共に、小さな魚がビー玉の海底に影を踊らせる。潮の匂いが不思議な気分を呼び起こした。

「皆は、ここを奇跡だという。ここはそんなに凄い場所だろうか」

「少なくとも、あの天変地異を経験した人間なら、そう思うでしょうねえ」

「……そうか」

「タクミくんは随分色んなものを残していってくれましたね、神さま」

「うむ、いい働きだった」

「そういえば、タクミという名前は工匠や大工さんのことを言うそうですよ。名は体を表すと言いますが、本当ですね。口は悪かったですが」

「そうだな。確かに口は悪かった」

 神さまはふっと笑う。

 暗くなった庭にひょっこり現れた小さな海が、外の香りを届ける。その底で、ビー玉は眠るようにして横たわっていた。


終り

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