八月三十一日の帰還者たち

(11)


「あ、そうだ。あと子供と孫の名前はわかりやすいものにして」
「はあ?」
「だって、私たちみたいに性格と名前が一致しないとややこしいでしょ。まだ船で皆に言われるし」
 姉が評するに、航は安定志向の小心者である。幼い頃はそれでよく言い合いになったものだが、年を得るにつれて的確な指摘であったことは否めなくなっていた。逆に、穂乃花は開拓者よろしく突き進む大雑把な性格で、先遣隊は彼女にとって天職と言ってもいい。
 海を進むことを意味する「航」の字と、大地に根を下ろして恵みをもたらす「穂」の字では、確かに二人の性格は名前にそぐわない。特に穂乃花はその男勝りな性格からよくからかわれていたが、その度にやり返していたので、名は体を表すという言葉に航は未だに疑問を感じずにはいられなかった。
「……まあ、考えとく」
 気のない声で言うと、穂乃花は安堵したように息を吐いた。この時、姉はこの約束を取り付けるためだけに今回は帰ってきたのではないかと、航はふと思った。
「楽しみにしてる」
 未来にいるであろう子供か孫の名前を、はたして自身の口から姉に教えることが出来るのだろうかと航は考えた。車から眺める風景と、車内の人間の動きは一致しないように、穂乃花と航の時間はこれからもずれ続ける。
 ただ、ある一点でのみ、ずれた時間はわずかな邂逅を見せるのだろう。今も、これからも、更に先の未来でも。
「……あとさ、体の年齢と時間の年齢は違うんだから、地球ではそれやめろよな」
「煙草?」
「さっきは特別。後で没収」
「は?」
「経過年齢で言ったら姉ちゃんの方が上だけど、宇宙に行ってた分、俺の方が年上になったんだからそこは俺に分があるだろ」
「精神年齢でも私の方が上」
「それ言ったらキリがないって」
「なによ」
「なんだよ」
 距離の縮まった時間は一気に階を遡り、二人を子供じみた喧嘩へと誘う。
 賑やかな車内を包み込むように染め上げていた茜色は夜の帳へ色を替え、熱気の残る空気に微かな秋の気配を乗せた。
 星の距離ほど離れた時間の交差点は、ゆっくりとその幕を下ろそうとしている。
 航は手動運転に切り替えて、穂乃花に言った。
「地球のお土産、いっぱい鞄に入れて帰れよな」
 空港で感じたスーツケースの軽さがまだ手に残っている。
「あのスーツケース、地球の物で重くしていこう。母さんが何か色々用意してたし」
 ぽかんとして航の言葉を聞いていた穂乃花は、途端に吹きだして笑った。
「……漬物とか入れそう。糠床はまだ現役?」
「こないだ暑い中ほっといて、ちょっと酸っぱくなってた。でも姉ちゃんが帰ってくるからって、色々やって戻したみたいだよ。まだ酸っぱいけど」
「お母さん、よくやるよねそれ」
 言いながらひとしきり笑った後、穂乃花は目尻に微かに滲む涙を指で拭って言った。
「そうだね。私、そのためにスーツケース軽くして来たんだった。たくさん地球の物、詰めとかないとね」
 来年も、その先も、たった一つの交差点を目指して、彼女は軽いスーツケースを持って帰ってくる。
 八月三十一日に、帰ってくる。





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