第十二章 繋ぐべきもの
心配そうに頬をなでた風に軽く視線を投げ、ヴァークは大きく息を吐いた。
「お前、足遅いんだろ」
投げやりな口調はアスに向けられたものだった。斜め向かいに立つアスは左腕を抱えたまま、ヴァークの方へと顔を上げる。言葉を発するでもなく、ただ疲れ果てた顔は、相手を見ることで肯定の意を表そうとでもしているかのようだった。
疲れている。アスもサークも、自分も、とても。
「馬鹿だ、お前。遅いくせに一人で逃げないなんて」
半ば自分に言い聞かせるように呟き、ヴァークは背を壁に預けたままずるずると地面へ沈み込んだ。
「……おれも、馬鹿だなあ」
折り曲げた膝を抱え込み、顔をうずめて言う。くぐもった声は聞き取りにくかったが、涙を堪えているかのようだった。初めて見る兄の弱い姿に、サークはただ黙って傍に寄り添い、アスもヴァークの向かいに座り込む。
──馬鹿でもいい。
一人で逃げるよりも、そっちの方がずっといい。
ひどく静かな心だった。ずっと頭の中をうるさく走り回っていた黒い線は気付けば消えてなくなり、後にはただ、さざ波のように様々な感情が去来する。どこか空虚にさえ思える心中はそれでも、何かに飢えて無闇に強さを求めることはしなかった。
静寂に満ちた心の中では自分の声がよく響くことを知り、だが、とアスはヴァークを見る。
──今はいい。
今は、何もしたくない。
思い至ったアスは目を閉じ、ヴァークと同じように膝を抱えて顔をうずめた。
やがて、すすり泣く声が裏道に静かに響き始め、それを聞きながらアスは頬に温かいものが流れるのを感じた。
久方ぶりに流した涙は、温かかった。
十二章 終
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