「婆さん、ラバーソールの奴もしくじったらしいな」
「法皇、魔女、塔、戦車、月、力、悪魔、節制……奴ら、なかなかやる」
「しかも法皇と魔女、戦車に関してはジョースター達に寝返ったと聞く」

 日の光の入らない屋敷。
陽の高い昼間の時間にも関わらず、わざわざ厳密に斜光した上で数多の蝋燭やランプに火を灯し明るくしているというのは、事情を知らぬ者から見れば実に馬鹿馬鹿しい行為だろう。
しかし、この館の主には闇が必要だった。
館の主は、かつて太陽の恩恵を受けて生涯を謳歌する人間としての命と引き換えに、闇の眷族として異常進化を果たし強大な力と永き若さと命を手に入れた男である。
それすなわち、かつてのディオ・ブランドーこと、DIO。
――ジョースターら一行の最終目的。
そう、場所はエジプト カイロに存在する、DIOの館である。
そんな館の一室から、幾人かの男女の話し声が聞こえて来る。

「まったく、嘆かわしい事ですじゃ……」
「ふ、ふ……仕方ありませんわ、老師様……ジョースターもジョリィホークも、DIO様がわざわざ気にかけておられる一族……全く、侮れませんわ……」

忌々しげに嗄れた声を震わせ、老齢の醜い魔女が嘆く。
それに対し、歌うようにくふりくふりと笑うのは妙齢の妖艶な魔女。

「だからわたしも……ちょっと子飼いの蝶を、試しに放ってみましたのよ」
「ほう!あれを放ったのですか?それは面白い……」
「――……良いのか?貴様あれの事は随分と可愛がっていたであろう」
「蝶が奴らを始末して帰って来るなら、それも良し……例え奴らに倒されたとしても、奴らの程度も少しは分かってくることでしょう……ふ、ふふ、ふ、DIO様のお役に立てるのであれば、惜しいものなどありませんわ……」

部屋の中央で自分と似た金砂のブロンドを持つ男と戯れにチェスを興じていた首に傷痕を縫い付けた男――DIOが問いかければ、女のどこか中毒者ジャンキーのような淀みきった虚ろな目が恍惚に歪む。
不気味な狂気染みた笑みを湛えるその魔女の周囲には、気味の悪い模様の刻まれた羽を持った蝶がひらりひらりと舞っていた。

「ふ、ふふ、奴らには……奴らにお誂え向きの、57年前の狂気の喜劇の舞台に登ってもらいますわ……」

  ★

 1931年 12月30日 アメリカ――
その日、とある惨劇の舞台幕が開かれた。
舞台となったのは、大陸横断鉄道特別特急 シカゴ経由ニューヨーク行【フライング・プッシーフット】号。
恐慌という名の文字通りの不況を運良く乗り越えた幸せな企業ネブラが造った、英国の王室列車を真似た走る装飾品。
デザイン優先で機能性を落とした装飾過多で悪趣味な成金趣味の珍品。
側面には彫刻を押し潰したような装飾を施され、金満趣味を際立たせている“豪華”な列車。
鉄道会社から“レールを借りる”という方式をとって運営される、当時の王族列車とも呼べる代物――。

そんな絢爛豪華な、惨劇とは無縁そうなこの列車にとって悲劇となったのは、この日舞台に登った役者達が揃いも揃って癖だらけだった所為である。

 幽霊を称する銃声で恐怖を奏でる黒服のテロリスト集団。
 血塗られたヴァージンロードで踊る白服の殺人鬼達。
 貨物を狙った列車強盗を目論む不良少年達。

 ガンマンと踊り子に扮した脳天気なトリックスター。
 子供のように小柄で狡猾な老齢の武器商人。
 方々で無賃乗車を繰り返す情報屋の使い走りの女。
 不運にも人質という形で悲劇に巻き込まれた真に心優しい上品な淑女と少女の親子。
 意地汚く私腹を肥やす身勝手さの故に挙げ句の果てには見捨てられる金持ちの髭豚。

 ハッピーエンドを望む中毒染みた笑顔を貼り付けた極悪人。
 “玩具”を困らせては楽しむ巧妙で特徴の無い悪意の塊。

 闇のように真っ暗な瞳を持ち職務を全うする若い車掌。

 ――そして、線路の影をなぞる怪物。

役者が揃った事により物語の惨劇の舞台となるのには似合いの動く密室へと早変わりした列車の中で、その奇妙な事件は起こったのだ。
事件後、舞台となったフライング・プッシーフットは展示用にまわされ、果ては禁酒法が解除されたお祭り騒ぎのさなかに破壊されるという末路を辿る事になるのだが、事件の方は七十年も後に悪意の塊である男のシナリオによって双子の豪華客船エントランスとイグジットでの惨劇にて模倣され、更に数年後には再現映画にもされる事になるのであるが――それはまた別の話。

そして、此処では――……。


 1988年 12月30日 シンガポール駅発インド行旅客列車内――

「おお…思ってたより広いぜ……」
「流石一等車だな」

一般人への被害を最小限にする為にも、俺達がチケットを取ったのは客室車両の後部に位置していた一等車両の一つだった。
もしもの時には他の乗客と乗務員を前方の車両へ押し込み車両ごと切り離してしまえば、とりあえずは一般人への身体的な被害は抑えられるだろう。
とりあえず適当に一部屋に荷物をまとめて置くと、俺達は遅い朝食を取りに食堂車へ向かった。


『――と、いう訳で……昨日から色々バタバタしていたから此処で改めて紹介しておく。これからインドまでの道中の護衛についてくれる、私の同僚のアガットだ』

俺達の食事が済んだのを見計らって、そう切り出したセルティの隣には、腕を組んだままピクリとも動かない、白いスーツに鮮やかな赤い髪と、黒い眼球に黄金の瞳、右頬に火傷の痕という見る者になかなか強烈な印象を残しそうな男。
名前はアガット・ネメシス。
義憤による復讐の女神の名前を引っさげた探偵もとい、便利屋。
昨日ラバーソールとの戦いの最中にセルティと共に駆けつけて俺達と一緒にラバーソールの野郎をぶちのめした、白い装束のスタンドを持つ男だ。

「しっかし……目立つ格好だなー。それで探偵業に差し支え無いのか?」
「問題無い」
「本当にぃ?」
「要は悟られなければ良い。それだけだ」
「ああ、そうか。そーゆー事か」
「え?ナニナニ?どーゆー事?」

淡々とポルナレフとジャイロに答えるアガットは、表情を動かさず無表情……というよりはどこか面倒臭そうに、その特徴ある眼で、眠たげで気怠げな視線を窓の外に向けている。
同じ方向に目を向けていた花京院はチェリーを舌先で舐め転がしながらフラミンゴが羽ばたくのを目撃し、隣りに座っていた直兎と共に軽く感嘆の念をもらしていた。

「――しかし、長距離列車か……子供の頃に聞いた都市伝説を思い出すな」
「都市伝説、といいますと?」
「何、他愛の無い怪談なんだがね……“レイルトレーサー”という、怪物の話だよ」

ぽつりと言ったジョエルの言葉を拾い上げてアヴドゥルが訪ねた事により、その子供騙しの陳腐な怪談は幕を開け――子供騙しの陳腐な都市伝説だった筈のその怪物は新たな媒体を得て、凡そ60年という時を越え息を吹き返すのだが、当然そんな事は俺達に知るよしはなかった。

「レイルトレーサーかぁ……懐かしいなぁ。悪い事をしたらレイルトレーサーに食べられちゃうぞ!って昔親父に脅されたもんだ! ……あれ?ミリア、これ前にも言ったっけ?」
「デジャヴだねアイザック!」

不意に割り込んで来た脳天気な男女の声。
その主は偶々近くのテーブルについていた二人だった。
男は神父が着るキャソックに、胸に保安官のバッチを何個もつけ、何故か色とりどりの水鉄砲を収めたホルスターやガンベルトを幾つも身体に巻き付けていた。
そのすぐ傍らの女も白い布でこしらえたキャソックに身を包み、黒いマジックで馬鹿みてぇにでかでかと“斬鉄剣”と書き記された真っ赤なバットケースをたすき掛けにして背負っている。
見るからに珍妙なカップルだ。

「レイルトレーサーだったら、僕達も知ってるよ」

今度は別のテーブルから幼い声がかけれる。
そこに座っていたのは喪服みてえな黒服を纏った銀髪の双子と思しき男と女のガキだ。

「たしか、闇夜に紛れて列車の後を追いかける怪物の話だよね?おじさん」
「ほう、よく知っているね」
「前におじいちゃんから聞いたの!」

当然のようにカップルと双子は会話に参加し始め、すぐに一行の輪の中に入り込んだ。

―― “線路の影をなぞる者レイルトレーサー”。
そいつは闇に同化して、様々な形を取りながら、少しずつ少しずつ列車に近づいてくる。
それは狼だったり、霧だったり、自分が乗っているのと同じ形の列車だったり、目の無い大男だったり、数百万個の目玉だったり……とにかく色んな格好をして、線路の上を追いかけてくる。
そしてやがては追い付かれてしまう。
が、誰も最初は追い付かれた事に気付かない。
でも、何か異変が起こっている事には、皆確実に気が付いていく。
何故なら――列車の後ろの方から徐々に、ひとり、またひとりと、人が消えていくのだ。
そして最後にはみんな消えて、その列車の存在自体が無かったことになってしまう……。

「そしてこの話には続きがあってな……この話を列車の中ですると……その列車にも来るんだよ――――――レイルトレーサーがッ!」
「キャー――――――ッ!」

いささかわざとらしいおどろおどろしさを醸し出しながらキャソックの男が話の肝を告げると、その相方の女がわざとらしい悲鳴を笑顔で上げた。
結局はよくある都市伝説だ。
となれば次に言うことはだいたい決まっている。
その所為か静夜は俺とポーカーをしながら、花京院は何やらスケッチブックにサラサラと鉛筆を走らせながら、直兎は読書しながら、適当に聞き流していた。
とりあえず耳を傾けているのは比較的に付き合いの良いタイプの面々だ。

「でも一つだけ助かる方法があるんだよね!」
「そう!一つだけ助かる方法があるのさ!!」
「オンリーワンだね!」
「その助かる方法は――……」
「助かる方法は――……?」

「「…………」」

妙な沈黙。
ただ単に話を盛り上げるにしては不自然なまでの沈黙。
むしろ盛り下がった後、奇天烈なキャソックのカップルは互いの顔を見合わせて小首を傾げた。

「助かる為にはどうするんだっけ?ミリア」
「さあ?そういえば私そのお話最後まで聞いた事ないよ?」
「オイオイ……」
「そこが――」

ポルナレフとジャイロが苦笑という形で笑いながら、そこが一番大事な所だろ?という言葉を音にしようとした――その時。

 パンッ、パン!

「――え?」

あまりにも、軽い音がした。
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