「ッンの、馬鹿野郎共が!!」

 朝っぱらから突如として響き渡った怒鳴り声。いつもは無関心な筈の街の人々も何事かと振り返ってその方向へと視線を送る。
だが、そんな事はお構い無しに、その人物……そこらの男とも見紛う程に長身の女は、その瞳をギラつかせていた。――眩しいくらいの黄金の髪と、上質な赤みの強い紅玉のような双眸。黙っていれば大層麗しい顔立ちをしているのだが、今の彼女は不機嫌極まりなく、威嚇する獣のように顔をしかめていた。左頬に目立つ古い傷痕と常人よりもはるかに鋭く尖った犬歯、そして白い着物の背に『極』一文字を背負った明らかにカタギでは無い風貌が、とてつもなく獰猛な印象を湛えて彼女を取り巻いている。
彼女に胸倉をつかまれている者を含め、顔にいくつもの青痣をこさえた男達はこの辺りに住み着いているチンピラだが、しかしその眼に涙さえ溜めてしきりに「すいません」と連呼するその姿は、笑えるほどに憐れだった。

「テメェらは満足に人探しも出来ねェのか!誰が喧嘩売って来い、なんて言った?!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!!すんませんすんません、マジスンマセン!!!」
「あぁぁアニキ!ほ、ほほほほほンホん、本当勘弁して――ッ!!」
「アァ!?誰がアニキだ、この糞ボケ野郎!」
「「ス……すすすすすすいまっせん!!!!」」

女に睨まれ、強面の大男がへっぴり腰になり、何度も何度も頭を下げている。そんな面白い光景を先程から見物していた別の人物が、その黄金髪に声をかけた。

「リョウ、その辺で勘弁してやったら?彼らも相手からたっぷりと灸を据えられたみたいだしさ」

ヘラリと笑みを湛えながら言われて、リョウと呼ばれた彼女は舌打ちしてから、半ば口を挟んだその人物の足元に向かって放り投げるような形で、突き放すようにチンピラから手を放した。

「もう良い……テメェらはその汚ねェツラ早くどうにかしろ。見苦しい」
「今日は休めってさ。ヨカッタネー」

イイコイイコイタイノイタノトンデイケー、とふざけた呪文を唱えながら、足元に転がったやたら図体の大きなお世辞にも可愛いとは言えない“子供達”の頭を撫でた男は、さらりとした象牙の様な灰黄の金髪だった。よく見るとその瞳の碧い虹彩の回りには翠玉色の細い縁取りがあり、左眼の辺りには一筋の傷跡がある。見慣れない衣服を身に纏い、左の脇腹から背中かけて、何処かの民族的な模様の刺青を入れていた。
金髪碧眼と言えば此処ではそう珍しくも無いが、それに反して珍しい印象の……そして流し目一つで女はおろか男まで誘惑してしまいそうな迄に酷く妖艶な、美しい青年だ。

「――たく、チンピラが……。まるで使いものにならねェ。ただのデカイ顔したゴンタクレじゃねェか」
「まァまァ……そう言いなさんなって。そりゃ侠客揃いの夜叉とは違って、使える人間なんかほんの一握り程度しか居ないんだし?」

チンピラ達が逃げるように何処かへ消え、苛立たし気にため息を吐いた女に、男は相変わらずへらりとした笑みを向けている。

「それにしても、本当にこんな小汚い街に住んでる訳?イズモも物好きだねぇ……」
「全くだ。……くっそ、鼻が痛てェ……。臭いをどうにかしてェんなら臭いで隠さねェで消す努力をしろってんだ阿呆共が」
「んー…こんだけ嗅覚の鈍りそうなトコじゃァ鼻も頼りにならないし……なーんか参ったねェこりゃ……」

本当にそう思っているのかと尋ねたくなるような調子で、男は優雅に溜息をつく。……おそらく、本当にそう尋ねれば「全く」という答えが返ってくるであろう。

「じっと待つのもいい加減暇だし……じゃ、二手に別れて適当にぶらつこうかね」
「異論は無ェな………ついでに少しは臭いのマシなトコでも探すか……」

何時何処で落ち合うのかも決めず、さっさと二人は別行動を開始した。

  ※

 ヒビキはクロムの口から出た単語を、意外と言わんばかりの表情で復唱した。

「……仲間、ですか?」

彼の視線の先を歩くのは、つい昨晩知り合ったばかりの男――夜神クロム。ヒビキがここ十年探し続けた黒焔その人である。
てっきり一匹狼なのだろうとばかり思っていたのだが、それは違ったらしい。彼は仲間の一人を探しにこの街へ訪れて、その仲間の大戦中からの知り合いであるゲンナイの所を訪れたと言うのだ。

「それで…その仲間ってどんな人なんですか?」
「ただの変態だ」
「……は?」

更なる意外な特徴。にべも無く返って来たその言葉に思わず変な声が出た。そして意外な事実は更にたたみかける。

「この街に出入りしているのなら、お前も少なくとも名前くらいは聞いているだろう。鈴村ゲンパクと名乗っている男だ」

その名を聞いた途端、ヒビキの思考は停止した。次に、そのゲンパクというよく見知った男の顔が脳裏に浮かぶ。

「えぇぇぇえぇええぇえぇぇぇぇーっ!!?」

通行人が驚いて振り返る程の声量でもって、叫んだ。ありえない。心の底からそう思った。思わずにはいられなかった。

(ありえない。きっと人違いだ。俺の知ってるゲンパクさんも確かに変態だけどきっと同姓同名の別人だ……と言うかむしろそうであってくれ――!)
「何を一人でブツブツ言っている。……まァ兎に角…ゲンナイによればそいつは数日中に戻るだろうと言う話だ……それまでは暇を潰さねばならん」
「暇潰し、ですか……」

ならばいっその事、この街に潜伏している賞金首でも探してもらおうかという考えがヒビキの頭を過ぎる。
だが道を曲がって目についた人だかりに、彼はその思考を一旦引っ込めた。大きな橋の上で、群れる人々ははるか下層に視線を送っている。何事かと思っていると、その集団から大きな歓声が上がった。

「随分と騒がしいな……」
「すみません、何かあったんですか?」
「よく分からんが、上から女の子が落っこちてきたんだとよ!」

その辺にいた野次馬の言葉に、ヒビキは上層を仰ぎ見た。蜘蛛の巣のように無尽に張り巡らされた橋の縁から、おそらく目撃者であろう通行人達の顔が覗いている。それを目で辿り、遥か上層に、ヒビキはふと見知った顔を見付けた。

「――クモザルさん…?」

およそ人が通らないような、壁に穿たれた太い土管から下を覗き込み後ろの誰かと言葉を交わしているのは、アヤマロの息子の所で用心棒をやっているサイボーグ男の一人だ。それを見て、状況は概ね察しがついてしまった。

「それで、その娘は?」
「男の人が二人飛び出して行って、助けたみたい!」
「ほー!そりゃあ大したモンだ!」
「いやいや、大事にならんでなによりだ!」

野次馬達が景気良く、口々に安堵の言葉を口にする。

「……行くぞ」
「あ…はい」

クロムはヒビキと対称的に下層の方をちらりと一瞥すると、さっさと野次馬から離れるように歩き出した。

  ※

 先日の事だった。虹雅峡に到着したばかりのカンベエは、適当に腹ごしらえの出来る店と木賃宿を探して中階層をうろついていた。
不意に鼻先を掠めた香の甘い香りにそちらへ目を向けると、茶屋の番傘の下の日陰で煙管をふかしている若い女と目が合った。ただでさえよく整った顔立ちをしたその女は、値の張りそうな毛皮の襟巻きを巻いている下はかなりの薄着で、透き通るように白い肌をぎりぎりまで露出しており男の欲をどうしようもなく掻き立てるような魅力に満ちている。治安の悪いこの街では特に避けるべき、目のつけられそうな格好である。余程の世間知らずか――あるいは、わざとか。目が合った社交辞令として軽く目礼だけすると、女はゆるりと笑って手招きしてきた。

「何か?」
「いやなに、おぬしの“相”がちと面白いと思ったので少し声をかけただけよ」

普通に会話するだけには差し支えの無い程度に歩み寄って訪ねると、そんな返答が返ってくる。引っかけの可能性が色濃くなり、カンベエは自然と警戒を強めた。

「おぬし、占い師か?」
「いいや。我の本業はマタギ…北の辺境の狩猟民族よ。狩る為に鷹のように少しばかり視野が広く観察眼に優れるようになっただけだ。だから別に対価を求めたりはせぬ。声をかけたのは単に面白いと思うたから……ただのお節介とも言えるかの。
――まあ、占いだと思うなら当たるも八卦当たらぬも八卦…信じる信じないはおぬしの自由。しかし聞くだけなら損はあるまい」

女は実に胡散臭い常套句を紡ぎながら煙管をしまって、横に置いてあった茶を飲み干すと、銭を置き立ち上がってカンベエの方へ歩み寄った。ある程度の距離まで近付くと、一定の距離を保ったままカンベエの周りをぐるりと一度周回して、それから立ち止まる。まさに鷹の目のような色をした瞳がカンベエを見据えた。

「おぬし、近く水辺で縁があるようだ」
「水辺にか……。それはまた随分と広いな」
「で、あろうの。人は水の恩恵なくして生きられぬ。……あえて特筆すべきは、特に水の多い場所、水の関係するもの、激しい雨水といったところかのう。とにかくこの秋のおぬしの縁は何かと水の近くに集中しておるらしい。
邂逅に再会、そして別離…無上の良縁にも恵まれるがいくつもの災難にも遭う。――水が難しい問題を運んで来るだろう。避けようと思えば避けられる問題もあれば、不可避な問題もある。どちらにせよ水辺に頼って水をよく利用すれば巧く立ち回るだろう。己を含めた幾多の命の生死を分けるような重大な決定にも迫られよう」

漠然としているのか明確なのか。でたらめにそれらしい言葉を好き勝手に紡いでいるようで、しかし聞き流すべきでは無いようにも感じる。どこか得体の知れない信憑性が漂っているように思えるのは、その言霊の力なのか、それとも女の持つ少々妙な気分にさせる絶妙な空気がそうさせるのか。

「おぬしは貧乏くじを敢えて進んで引く性分のようだが、それも悪くはあるまい。通例通り慎重に決断を下してさえいれば、それなりに納得の行く結果が出よう」
「……肝に命じておこう」
「おや、何処の誰とも知れぬ得体の知れぬ女の戯言を真に受けるのか?」
「それを己の口で言うのか」

思わずカンベエが苦笑すると、女はおどけたように何処からか取り出した面――おそらく猛禽か何かの面だろう――で顔を半分程…正確には片目を覆い隠した。

「まあ、狐や狸にでも化かされたようなものと思うてあまり深く気に留めぬが吉よ。――参考までに言うと、狐と狸は化かす動物であると同時に豊穣と繁盛を司る神の動物でもある。よく見極めて味方につければ最大の福となろう」

それだけ告げると女はあっさりと踵を返し、人の流れに乗るように歩き出した。

「時間を取らせたな。我はしばしの間この辺りをうろついておる故……縁があればまた逢うであろう」

実にのらりくらりと立ち回る女である。不意に芯をわし掴んでおいて、相手が振り向くとすぐさま離れていく。人をもてあそぶ魔性――そう称するのがよく似合う。

「……水、か」

この渇きが満たされる時が来るのだろうか――あっという間に見えなくなっていく女の背に、カンベエは無言で問いかけていた。

  ※

 数刻後、偶然見かけた押し込みを切り捨てたところ、少年が一人後を追いかけてきた。多少身形が良い所を見ると、少年はそれなりに財も有る何処かの高名な武家の子息であるようだった。
適当にその場かぎりの猿芝居で名乗った名前まで馬鹿正直をしっかりと覚えて頭を提げ剣の教えを請うて来たその岡本カツシロウという名の少年は、未熟故に馬鹿が付くほどに純真で、こんな時代にならなければさぞや立派なサムライにも成り得たかもしれない大粒の原石であった。
しかし残念ながら、サムライの価値は地に落ちた。であればこの原石は、もっと別の研磨を受けた方が余程輝けよう――そう思い、そもそも弟子を取る気も無いカンベエは、だからこそカツシロウの申し出を断った。
しかし立ち去ろうとした途端、別の声が彼を呼び止めた。

「お願いがございます、おサムライ様!」

飛び出すなり土下座したのは、百姓の娘であった。続いて、同じ百姓の若い男と十にも満たない幼い少女が頭を地面にこすりつける。こんな待場に百姓がいるのも珍しく、その場に居あわせたカツシロウも驚いたようにその光景を見ていた。

「どうか、私たちの村を助けてくださいませ!」

そう必死に懇願する娘は、カンナ村の水分りの巫女 キララといった。

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