三月五日、快晴。幸村君が生まれた日。私はC組の教室へ向かっている。 初めて声を掛けるというのだから、心臓の鼓動がとてもうるさい。緊張して手が震えている。今にもUターンしてしまいそうだが、勇気を振り絞って一歩一歩前進する。今を逃したらチャンスはきっと二度とない。頑張れ、私。 他の子達が出来るのに私が出来ない・やらないなんて変じゃないか。きっと幸村君にも失礼だ。 「……あ、あのっ……ゆ、幸村君……いますか?」 C組のドア付近にいた子に声を掛けて、中にいる幸村君を呼んでもらう。 視線が集中してとても恥ずかしかったが、ぐっとこらえて彼を待つ。 告白する訳ではないというのに動悸が嫌に激しい。臆病だとは元から思ってはいたけれど、たった一言口にしようっていうだけでこれだなんて、なんとも情けない。 「俺を呼んだのは君かい?」 なんとか落ち着こうと深呼吸した所だった。頭上から声がして、はっと息を呑んだ。 顔を上げなくても声の正体は分かる。 幸村君だ。あの幸村君が、私の目の前にいて私を見ている。 ……頭がぐらぐらする。恥ずかしくて嬉しくてどうにでもなってしまいそうだった。 「……あ、あの……っ」 まって、落ち着け、私。ここで逃げ出してしまえば全て無駄になってしまう。緊張するのは皆同じなんだ。中学生として最後に何か一つ、思い出に残る事をすると決めたのは他でもない自分じゃないか。勇気を出すんだ。 「お、お忙しい所を誠に申し訳ございません……!あまりにも、突然なのですが……きっ、今日貴方が……お誕生日だと、耳にしまして……! 厚かましい事だとは、存じておりますが、是非お祝いさせて頂きたく……っ……参上仕りました……!!」 それを言った途端、私は激しく後悔した。緊張しすぎて滅茶苦茶な挨拶をしてしまった。 幸村君だけではなく周りにいた人達も呆気としていて、周囲は沈黙していた。 まさに”穴があったら入りたい”という状況で、激しい自己嫌悪と羞恥心を抱く。 「……ふふ、丁寧にありがとう。知っての通り、今日は俺の誕生日なんだ。 祝おうと思って来てくれたんだ?」 「は……はいっ! ……その、大した物では、ないですが……っ」 小さく笑った幸村君はどうやら私が緊張している事を知っているようだった。まあ、恐らく誰が見ても分かるだろうが、言葉が噛み噛みになっていてもちゃんと最後まで聞いてくれる姿勢がとても嬉しくて、とても格好良かった。 後ろ手に隠していた贈り物を差し出すと、幸村君は驚きながらも嬉しそうに笑って受け取ってくれた。 「これ、花の種だね。風鈴草か……」 「つ、伝えたくて……一言、貴方に」 私が贈り物として用意したのは風鈴草の種だった。 理由としては、前からよく屋上庭園で花の水遣りをする幸村君を見掛けて、園芸が趣味なんだと知っていたから。もう一つは、一番に伝えたい事を伝えるのに最適だと思ったからだ。 「生まれてきてくれて……ありがとうございます」 幸村君の誕生日に何を伝えたいか考えてみると、私は一言”ありがとう”と言いたくなった。”おめでとう”よりも前に、最初に言いたかった言葉はそれだった。 この人の存在が何より幸福に思えたんだ。 「お、お誕生日、おめでとうございます」 貴方に出会えた事がとても嬉しいです、と、心の中で続けた。あまりにも恥ずかしく、顔も知らない人に言われてもきっと嬉しく感じないだろうから、口にはしなかった。 ”ありがとう”と”おめでとう”を言えただけで満足してしまった。 「……ありがとう。大切に育てるよ」 優しく笑って、幸村君が私の目を見てそう言ってくれた。 それがとてもとても嬉しくて、勇気を出して良かったと心の底から思った。同時に、こんなに幸せな気持ちになれるなら、もっと早く行動していれば良かったと後悔した。 「そ、それでは、私はこれで……」 何はともあれ、私が言いたかった事は全て言った。最初に願った通り、この日の事は一生忘れない良い思い出になったんだ。こんなに幸せな事はきっとない。 今日の晩御飯は一層美味しく感じるだろうな……と内心にやけた時だった。 不意に左手を掴まれ、足が止まった。 「待って。君の名前、教えてくれないかい」 幸村君が私を呼び止めて言った。掴まれている左手がとても熱く、幸せ過ぎるこの状況の中私はもう死んでも良いかも、なんて思ってしまった。 「花が咲いたら君に見せようと思うんだ。だから、まずは名前が知りたい」 その言葉を聞いた瞬間、嬉しくてつい目に涙が溢れた。誕生日プレゼントを渡すだけのつもりが、まさかこれからお話する機会を作ってしまうだなんて。しかも、幸村君から言ってくれるなんて妄想の中だけの事だと思っていたのに。 嬉しい。どうしよう、幸せだ。幸せすぎる。僅かな勇気を出しただけでこんなに物事が好転するだなんて。本当に夢じゃないのか。 「……わ、私の名前は……」 行動しないのとするのとでは全く違ってくるという事を思い知った。 卒業前に頑張ってみて良かった。本当、どうしてもっと早く気付けなかったんだろうか。 最初から諦める必要などなかった。壁を高くしていたのは自分だったんだ。 今からでも、きっと遅くはないかもしれない。高等部でもっとたくさん頑張りたい。 いつか”好き”だと言える日が来るように、これからは勇気を出さなくちゃ。 神の子祭様に提出 おめでとうの言葉だけ |