「いや、遠慮しておこう。俺の父親は、チョコレートに殺された。あと、様はいらない」

重い話を持ち出してきた割には特に気分を害した風もなく、いつも通りの鋭いアイスブルーの瞳で生徒会長様はそう仰った。

「真名であれ職名であれ、呼び間違うと碌なことにならないぞ。まあ、それは置いておくとして」

白く透き通る肌に整った目鼻立ち、薄青色の髪を長く伸ばした美貌の生徒会長様は、まるで氷の神が人の寄り付かぬ孤独の氷山に造りたもうた彫像のようだ、……なんて柄にもない言葉で賛美してしまうほどに彼は美しい、こんな間近で見ればなおさら。口にしたのはひどくおかしな話だが。
そうですか、とりあえずあたりさわりのない返事を返すと、彼は不思議な形に結った長い髪をさらりと靡かせて、私の前の席に優雅に腰掛ける。銀紙を剥いた板チョコを初対面の相手に差し出しあまつさえチョコレート食べますかなどと発言したのは確かに不躾だったが、それをお断りされる理由が意味不明すぎてこんな時どんな顔をすればいいのか分からない。笑えばいいと思うよと誰かが囁いた気がしたが、文脈を読んで言えとしか返せない私は無力だ。

「父はチョコレートによる出血多量でな、新月の日に家族に隠れて一人でチョコレートの封を解いたことがいけなかったんだろう、思えば父は野心家だった……それ以来俺はチョコレートを見ると殺意が湧いてしまう。ここで生徒会長などをやっているのもこの世界からチョコレートなどという悪しきものをひとつ残らず撲滅するためで……、いや、少し話しすぎたな。ミーナ・テイラー」
「なんでしょうか」
「誰もいないとはいえ、教室で菓子を食うのは感心しない」
「う」

一口大に割った板チョコを口に放り込みながら補習のプリントに悪戦苦闘する一介の女学生なんかとは違って、美青年様はただの夕暮れの教室で形の良い眉をひそめているだけで絵画のようにきらきらと輝きなさる。しかし生徒会長様、チョコレートいりますかという問いかけから話を膨らませておいて、その不意打ちの正論はやや卑怯な気も致します。

「あの、生徒会長様、私ごと撲滅しますか、チョコレート」
「……君は何を言っているんだ? いいから菓子を仕舞いなさい。あと、様はいらない」

いやあんたがさっき物騒なことを言ったから、と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、口に含んだチョコレートを奥歯で噛む、少し溶けた層を超えてパキリと折れる感触と糖分が疲れた脳に心地いいのだけれど。生徒会長様が眉間にしわを寄せてこちらを睨んでいるものだから、鞄に赤いパッケージのそれを仕舞わざるを得ない。

「よし」
「……」

口に残った最後の一欠けを舌で転がしながら、前に座った生徒会長様を盗み見る。落ち着かないのか、腕を組みなおしたり、教室の黒板の標語を眺めたり、足を組みなおしたり、窓の外の夕日を眺めたり、せわしない。今日初めて会った知らない相手――いや集会で姿を見たり噂で耳にしたりすることは多かったから彼の個人情報についてはそれなりに知っている例えば氷のように冷静な人だとか氷のように透き通る美貌だとか氷のように以下略だとか――と二人で沈黙のまま向かい合っているのは非常に私の精神衛生上とてもよろしくないのでとにかくどこかに行ってほしいのだけれど。

「……ええと」
「何だ?」
「生徒会長様は何故こんなところにいらっしゃったのでしょうか」
「様はいらない。一年に、授業について行けずかつクラスから浮いている女子生徒がいるから生徒会長として出来うる限りのサポートをするように、と頼まれ引き受けたのはいいが、君のように一人補習を受けなければならないレベルの生徒と何を話せばいいものか……今精一杯話題を探している」

少しはお茶を濁すものだろう、そこは。けれど、不思議と嫌な感じはしない。むしろ意外とあけすけに物を言う生徒会長様にむしろ好感を抱いた、突然現れた異物を見ながらひそひそと何かを言うだけの不気味なクラスメイト達よりはよっぽど。

「紛れもなく異物ですから、クラスで浮くのも、生徒会長様と共通の話題がないのも仕方はないんですが」
「それはそうだな」
「普通否定しません?」

事実だから仕方がない、と生徒会長様は目の眼光を少し緩めて仰って、不意に、何か話題でも思いついたのか、ぽん、と手を叩いた。

「ミーナ・テイラー。小腹がすいたから、先程君が鞄にしまった菓子を一欠けくれないか?」

……この人、さっきと言っていることが凄まじく矛盾しているのですけれど、意外と適当なお人なのだろうか。チョコレートはあんたのお父様の仇で撲滅すべき敵ではなかったのか。名を呼び間違うと碌なことにならないなんてことを言っておきながら、私の名を間違っている自分は棚上げにしておられるし、今更だけど。皆の憧れ冷静沈着生徒会長様の意外な一面を光栄にも(ここは笑うところだ)沢山拝見できた対価だと思うことにして、白い手のひらにチョコレートを落とした。




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