<メモリーの。中。>
殴る、突き刺す、砕く、エトセトラエトセトラ。M-00N2Kはひどく単純で暴力的な動作だけで出来ていた。異形。ヘルメットのように鋼で覆われた頭部に三対の目、隆々と盛り上がる筋肉を包むのは紫色の皮膚で、極め付けに肘から生えるドリルとアーム。しゃがみこんでいても威圧感を放つ巨体。壊す為に生きるそれらは、異様だと、恐ろしいと、研究員たち以外のニンゲンは口を揃えて言う。 『よろしくな、ムーンウォーカー』 それなのにその男は、眼鏡の奥の甘い色の瞳を細めて、M-00N2Kの、ムーンウォーカーの鋼の頭部を、こともなげに撫でてみせたのだ。
<大丈夫。ちゃんと。鍵が。かけてある。>
日々は過ぎてゆく。
「ムーンウォーカー」
メシだぞ、と暮れ始めた空を背に手のひらを振る男。ムーンウォーカーは動きを止め、六つのアイカメラを一斉に彼に向けた。
「ミュゼ」 「『今日の分のノルマが終わってないからまだいい』って?」 「ん」 「……お前は真面目だなぁ、ムーンウォーカー。今日はもういいっての」 「よく。ない」
ゴキ、と太い紫の首を鳴らす。ムーンウォーカーは鱗の生えた尾を一度だけ振ると、再びドリルを回転させた。
汚れた眼鏡に、緩やかなウェーブのかかった黒髪。それらはオレンジ色を照り返し柔らかく揺れた。
「いただきます」 「ん。どーぞ」
ぱちぱちと音を立てる暖炉の炎が部屋に存在する唯一の灯り。水気のないパンと緑豆のポタージュ、お世辞にも豪勢とは言えない夕食に向けて、ムーンウォーカーは右アームの電指を伸ばした。
「本当なら宇宙にいたはずのお前が遺跡を探すために地面掘っているなんて、ううん、人生何が起こるかわからないもんだ」 「ミュゼ。俺。人じゃない」 「ツッコミか、可愛いやつめ」
岩のように硬いパンをどうにか噛み千切り、ミュゼはからからと笑う。M-00N2K。それがムーンウォーカー本来の名、個体識別番号だ。宇宙開発に向け、大気圏外での行動に特化するよう開発された、半機械の人工生命体メカナイズ。ムーンウォーカーは、メカナイズの言語機能と情動のテストの為に、民間人の中からランダムに選ばれた彼――ミュゼに譲渡された個体である。
「ミュゼ」 「お前俺をファーストネームで呼ぶの好きな」 「嫌か。ミュゼ」 「んー、いや別に」
右手の電指を伸ばしてミュゼと同じものを掴む。ゴン。二本指のアームが、音を立ててパンを押し潰した。ムーンウォーカーは気にとめない。鋼で全体を覆われた頭部の”口”を開き、食物を呑み込んでいく。
「美味いか?」 「うまい」 「……俺がもうちょっと金持ちだったら、お前にもっといい暮らしさせてやれるのになぁ」
パンを片手にぽつりと零された言葉に、紫の異形は首をかしげる。
「俺は」 「『俺はミュゼが居ればそれでいい』?」 「ん」 「お前はいい子だなぁ……」
しみじみと呟かれた言葉に再度首をかしげて、ムーンウォーカーは食事を終えた。
「おやすみ」
暖炉の炎が消される。ふんわりと煙の匂い。ミュゼが枕を探してもぞもぞ動く気配。それらを知覚してから、ムーンウォーカーは今日という日の終わりを知るのだ。ミュゼのベッドの隣に腰を下ろし、尻尾を自分の身体に沿わせるように引き寄せる。立てた膝に頭部を預けると、六つの目を全て閉じた。
「良い夢を」
ムーンウォーカーは夢など見ない。彼が、見るのは。
<メモリーの。中。>
『あんまり何かを見続けると、頭が痛くなるからさ』 ――この世界は全てミュゼの敵なのだとムーンウォーカーは思う。ミュゼの目は耳は指は必要以上の情報を拾い、ミュゼの脳は常人には分かるはずのないことを無意識に知ってしまう。 『石を見れば重ねてきた歴史が、人を見れば次にする発言が』 全て全て、分かってしまう。そして、得られるはずのない情報を詰め込まれた脳が悲鳴をあげるのだ。だから、この世界は全てミュゼを傷つける敵なのだと、ムーンウォーカーは思う。それでも、ミュゼは。
<この世界は美しい。と。そう。笑うのだ。>
日々は過ぎてゆく。
「釘がもうすぐなくなる」
時折分厚い手帳にペンを走らせながら、土を慎重に掘り進める横顔。近いうちに町に買いに行かないと、そうミュゼは一人ごち、額の汗をぬぐった。
「なあムーンウォーカー。もしここが駄目だったら、次はどこに行きたい?」
紫の異形は巨大な岩にドリルを突き刺しながら、目を二つだけ彼の方へ向けた。 ミュゼはあちこちを旅しながら、ある滅びた都市の遺跡を探している。その目で道に転がる石や土を見て、そこにわずかに遺された朧げな記憶を見、それを繋ぎあわせて辿りながら探す。非力なミュゼが出来ない仕事はムーンウォーカーが。ムーンウォーカーなら壊してしまうような繊細な作業はミュゼが。それでも土に混じる石の欠片が傷をつけるのか、ミュゼの指はいつも傷だらけだ。
「ミュゼの」 「『ミュゼの行くところならどこでもいい』?」 「ん」 「おっ前、本当にいい子だな……!」 「んむ?」
ムーンウォーカーは首をかしげる。ミュゼの言う”いい子”の定義がよく分からない。
(でも。ミュゼ。嬉しそう)
ぶんぶん、と尾を小刻みに振ってムーンウォーカーは軽々と岩を刺し、持ち上げ、運んでいく。ゆっくりと沈んでいく太陽、あちらこちらに打たれた釘が、橙を受けて影を長く伸ばしていた。
<メモリーの。中。>
『晴れた空の色は蒼で、夕焼けは橙』 柔い月明りのベール、果てなく続く砂丘。詩人のようにミュゼは謳う。 『夜の帳の端は黒ではなくて光をたたえた群青だし、それも朝日が昇り始めれば淡い紫に染まる』 乾いた風に細かい砂が舞う。闇に黒髪が溶ける。ミュゼは眼鏡に纏わりつく砂埃をふうと吹き飛ばし、服でレンズを乱雑に拭った。 『そしてあれが狩人とその猟犬、そう、綺麗だな』 ――この世界は全てミュゼの敵なのだとムーンウォーカーは思う。 この世界の持つ膨大な情報量がミュゼに与えているものは苦痛だと、そうムーンウォーカーの正確無比な感覚器は告げているのに。それなのに、ミュゼの指は星をなぞって、この世界は美しいのだと。そう言って、笑う。 『ムーンウォーカー』 ミュゼの指の先に見えた世界は、月光と星明りに揺れて優しく微笑んでいるよう。けれど、それでも、その中で一番。
<ミュゼが。光を発さないはずの。ミュゼが。一番輝いて見えたのは。何故。だろう。>
日々は過ぎてゆく。 ミュゼは久々に街に買い物に出ているので、ムーンウォーカーは一人、ミュゼの作業の邪魔になりそうなものを、撤去する、砕く。ふと、彼は己の半分ほどの大きさの岩を持ち上げ、思い付いたようにそれを上腕で挟む、と。
「んむ……」
岩は、ばきん、と音を立てて派手に砕ける。それを見て、鱗の生えた尾は力なく地に垂れた。
<メモリーの。中。>
『アザレア、かな』 原形がほぼ残らないほどに壊れた植物。ムーンウォーカーのアームが掴んでいるそれは、醜く汚れ、潰れ、千切れ、かろうじて花びらが確認できるほど。彼はそれを指先でつついて、じっと見つめた。 『力が強すぎてうまく摘めなかったんだろーよ』 しょうがないと言いながら、ミュゼは優しくムーンウォーカーの頭を撫でる。 『……同じ色』 『ん?』 ミュゼが何か言うよりも早く背を向けて、しょぼんと垂れた尻尾を引き摺って、ムーンウォーカーは扉を開けた。途端入り込んでくる生温かい風を全身で受けながら、手の中にある無残に千切れた”花だったもの”を、六つのレンズに映し続けていた。
<同じ色。だったのに。あの色。>
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