「食い潰しちゃった。」
美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない、美味しくない。 ワタシは昨日も心臓を食べた。 ワタシは今日も心臓を食べる。 たくさん食べる。 おいしくない。
「あのね。なんでアナタのことを思い出せなかったのか、考えたの。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「『恐怖』。多分、あの記憶を表に出してはいけないと思ったの。思い出しては、いけないと思ったの。だからワタシはアナタのことを忘れていたの。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「生まれて初めて感じた『恐怖』に防衛本能が働いたの。ねえ、ワタシ、ちょっと、人間らしいかな。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「……大丈夫、返事、なんて。期待してない。ちゃんと分かってる。でももう何もいないから。退屈なの。することが、もうないの。」
赤い海が大地を削る音。死んだ星。浮かぶ屍。屍屍屍屍屍。大地の残り滓には、もう少女しか立っていない。少女は口ずさむ。
美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない、美味しくない。 たくさん食べた。 おいしくない。
「ゴロザナイ……ト……。」
黒い怪物は潰れた声で同じことを繰り返すだけで、その他は何も言わなかった。赤く染まった海に半身を漬けたまま、長大な首をもたげて、少女に眼を向けるだけ。七つの眼を向けるだけ。
「生き物が沢山いたの。人間が沢山いたの。むかし、むかし。海が青かった頃。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「むかーし、むかしね。今は、違う。」 「ゴロザナイ……ト……。」
赤い海に、ぷかり、ぷかり、とガスの溜まった生物の屍が浮かび上がる。屍の右胸には大きな穴があいていることを少女は知っている。みな、心臓が無い。黒い怪物は己のヒレに当たるそれを乱暴に払った。
「今は、いない。全部ワタシが心臓を食べたから。ワタシは『怪物』だったから。博士が――おとうさんが造った、『他の生き物の心臓を食べて強くなる人造人間』だったから。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「もうこの星はダメだったんだって。それは、むかし、むかし、人間が争ったせいなんだって。勝つために生み出した兵器のせいなんだって。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「ワタシみたいに最初から怪物だったわけじゃない普通の生き物も、順番に怪物になっちゃって、まともな生き物を食べるようになったんだって。怪物には、ココロ、心臓が無くて、だから心臓が欲しくてまともな生き物を食べるんだって。その怪物たちが住む海も垂れ流された血でおかしくなっちゃって、大地を食べるんだって。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「だからワタシは生まれて、心臓を食べて、強くなって、怪物を殺さないと。殺さないと、いけなかった。この星が食い潰されちゃうから。この星中の生き物が食い潰されちゃうから。守るために生まれた。」
美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない、美味しくない。 昨日は、噛みつくキツネを割いて心臓を食べた。 今日は、首を砕くライオンを割いて心臓を食べる。 たくさん食べる。 おいしくない。
「心臓を食べる度に、身体から武器が生えた。生えるたびに、耐久テストがあった。剣で斬られた。銃で撃たれた。戦車に轢かれた。血が出た。痛かった。でも怖くはなかった。だって死なないもの。いくらでも治るもの。怖いわけがなかった。」 「ゴロザナイ……ト……。」 「怪物をいっぱい殺した。怪物に食べられても生えてる武器で内側から破って殺した。そのせいでおとうさんがくれた綺麗な服がぼろぼろになるのは、嫌だったけど。」 「ゴロザナイ……ト……。」
黒い怪物は潰れた声で同じことを繰り返すだけで、その他は何も口にしない。少女は続ける。
「あのね。アナタがいなくなった後、まともな動物が人間以外いなくなってね。その種たちを食い潰しちゃったから。だから、まともな人間の心臓も順番に食べていくことになってね。」 「……ゴロザナイ……ト……。」 「守りたい人のために身を差し出すか、いつか怪物となって守りたい人を食べてしまうか。みんな偉い人に言われて悩んで、泣きながらワタシに心臓を食べられていったよ。みんな食べられていったよ。」
美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない。 美味しくない、美味しくない。 昨日は、泣きじゃくる男の子を割いて心臓を食べた。 今日は、殺してやると叫ぶ母親を割いて心臓を食べる。 たくさん食べる。 おいしくない。
「美味しくない。美味しくない。美味しくない美味しくない美味しくない美味しくない美味しくない美味しくない美味しくない、おいしくない。食べたくない。食べたく、なかった。」 「…………。」 「でもワタシは、守りたかった。守るために生まれた。」 「…………」 「もう、守るべき人間はいない。みんなワタシを強くするために食べられた。守るために殺されに来た。もう守るものはないのに、なんでワタシは生きているの。なんでワタシは生まれたの。本当にこの星を食い潰したのは怪物たちじゃない。」 「…………。」 「ワタシは守るために生まれた……守るために食べた……。けれど、守るべきもの全て、全てを食い潰したのは、ワタシという『怪物』、で…………。」
黒い怪物は少女を見つめた。 少女の肩で首でまばたく色とりどりの瞳。 黒い怪物は少女を見つめた。 少女の細い身体中から生え積み上げられた数えきれないほどの銃口と鋭利な刃。 黒い怪物は少女を見つめた。 自身の刃に食い破られたワンピース。 黒い怪物は少女を見つめた。 凶器の群れ、その中心に白い少女の顔。
黒い怪物は少女を見つめ、潰れた声で鳴いた。
「ゴロザナイ……ト……。」 「……あの時も、『殺さないと』って言って泣いたよね。」 「……ゴロザナイ……ト……。」 「ワタシ、アナタがいない間、嫌だったけど、何も怖くなかったよ。アナタが、ワタシに銃を向けて、ワタシを殺そうとした時が、生まれてから唯一怖かったんだよ。……おとうさん。」
おとうさん。そう言って、少女は黒い怪物を見つめる。怖かった、だから、おとうさんのこと、ちょっと忘れてた。忘れてたかった。そう呟く。轟、海面が持ちあがる音が遠くから聞こえる。怪物は長大な首を下げて、少女に近づける。口を開く。牙がのぞく。少女は、泣きたくなった。
「ゴロザナイ……ト……。」 「殺すの?」 「ゴロザナイ……ト……。」 「殺されるのは怖くないよ、でも、でもおとうさんは……。」 「……ゴロザナイ……ト……、殺さない……と……、君が、……悲しいまま生き続けるきみが、可哀想、だ、……キミ、は僕ガ、ツレデ、イグ……も、ウ、キミヲ、ヒドりニハしナ……。」
黒い怪物の七つの眼は、記憶の中の博士と同じ、悲しい、けれど優しい色のまま揺れていた。平和だった日、少女がただの人造人間であった日に、初めて見る外の世界にはしゃぐ少女を見守っていた、あの日の博士と同じ眼。君はもう充分頑張った、そう言って少女の眉間に震える銃口を押し当てた、あの日の博士と同じ眼。博士が怪物と成り果て海に消える前に見たのと、同じ眼。 怪物は舌を伸ばし、開いた口の中に少女を取り込む。噛み潰されるのかと本能的に身構える少女に反し、黒い怪物は、歯を合わせることもせず、水平線の方へ泳ぐ。高波が迫る。高波が迫る方へ。赤い海が大口をあける方へ。
「……おとうさん、ワタシのこと、嫌いじゃないの? きらいじゃなかったの? こんな、ワタシのこと、きらいじゃない?」 「………………。」
怪物は少女を口に入れたまま、小さく頷いた。牙の生えた地面が揺れる。
「そっか、そっかぁ。」
おとうさんはワタシのことが嫌いになったわけじゃなかった。嫌いで殺そうとしていたわけじゃなかった。ワタシは忘れていたのに、おとうさんはちゃんと好きでいてくれた。守りたかった。守りたかった。守りたかった。博士が笑って話してくれた、博士が大好きだった綺麗な世界を、守りたかった。
「うれしい。」
守りたかった。少女の沢山の眼から、ぽろ、と涙が出た。ああ、でも、もう痛いことをされなくてもいいんだ。もう殺さなくてもいいんだ。もう嫌いなもの、たべなくてもいいんだ。少女は思っていたよりも自分の心臓が、ココロが、ぼろぼろだったことに気づいた。今、気づいた。でも、それももう終わる。終わらせてくれるんだ。何よりも、もうおとうさんはどこにもいかない。守りたかった。守れなかった。辛かった。苦しかった。ずっと、一緒にいてほしかった。どこにもいかないでほしかった。嫌わないでほしかった。少女の心臓でたくさんの言葉が回ってまわって、ぽろぽろぽろ、涙が出た。
「うれしい、なぁ…………。」
少女は塩辛い水を垂れ流しながら、迫りくる高波を見つめる。見つめる。見つめる。見つめる。怪物の牙に手を添える。目を閉じる。口を開く。おとうさん、あのね。少女が笑う。
「あのね、おとうさん。ずっと思ってたの。いつか全部が終わったら、『明日』こそは、ワタシもきれいな服を着て、美味しいもの、いっぱい食べて、笑いたいなって、思ってた。おとうさんが好きだって言ってた、青い海で。守りたかったなぁ。」
ぽろぽろぽろ、涙が出た。赤い海。浮かぶ屍。屍屍屍屍屍。食い潰された星。少女は笑う。
「でも、もういいや。もう、ワタシは十分しあわせで」
轟音。少女の言葉をそれ以上続けさせることはなく、海は二つの怪物を食い潰した。
飽食の怪物
海が大地を削る音。やがて止む。 浮かぶ屍。屍屍屍屍屍。食い潰された星。大地の残り滓には、もう誰もいない。
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2015.0820 sato91go
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