少し昔の話だ。俺の家具職人としての最後の客は、若い竜人の雄だった。
新規の顧客獲得のために彼の住むという山に向かう際、常連だった老年の竜人たちは口々に言った。

曰く、この時期の若い雄に近づくのはやめておいた方が良い。
曰く、我々竜人は思慮深く温厚な種だと自負しているが、つがいを求める本能はその理性をも超えて強いのだ、と。

俺はその忠告を「若い雄は雌を得る為に気が立っているから用心しろ」くらいの意味で捉え、まあ何とかなるだろうと聞き流していたんだが。

『これは何に使うものなんだ?小さくて可愛らしい』

だってまさか思いもしないじゃないか、普段あんなに穏やかな竜人たちが、惚れてしまえば最後、他種族だろうと雄だろうとお構いなしにつがいにしようとする種族だなんて。

『眠るには雨風をしのげるだけの天井と地面があればいいし、光は日と月の光だけで良いと思っていた。こんなに綺麗で、素敵なものが世界にあるだなんて、思いもよらなかった……』

そう言って俺の作った家具や食器をキラキラした瞳で見つめ、恐る恐る手に取って尻尾を揺らしていた彼からは想像もできないじゃないか。俺が丹精こめて作った家具を気に入ってくれて、沢山注文してくれて。自分の為だけに新しい物も作ってほしいと職人冥利に尽きる言葉を与えてくれて。良い木材を調達してきてくれたり、食糧を分けてくれたり、寝床を貸してくれたりしてくれて。竜人の中でも一際賢くて優しい彼のことを、俺もいつしか友人のように思っていたから。だから。

竜人たちが離れて暮らす本当の理由は、独占欲が強すぎてつがいの姿を見られただけで嫉妬に狂うからだなんて、若い雄はつがいを得るためならば手段を問わない、誘拐、監禁も辞さないように本能に組み込まれている、なんて、考えもしなかったのだ。


彼の注文した品を全て作り終え、明日この山を発つと彼に告げた日、俺は彼に攫われて、閉じ込められて。この山から一生出さないと怒り凄まじい力で手首を掴む彼に、俺は絶望して、泣いて、罵って。

『優しくしたい』

そう囁かれてもどの口が言うんだと突っぱねて。裏切られたような気分で、いつも憎くて、悲しくて、みじめで、いっそ殺してほしいくらいだったのに、死ぬことは許されなくて、生きるための食事を毎日直接口移しで与えられて。けれど、無理矢理突っ込まれたら死ねるかな等と考えていたのにそんなことは一切されず、ただ、毎日食事を口移しで与えられるだけ。

『好きだ』

その口移しも竜人にとっては当たり前の行為なのかと思っていたのに、あの日顔を上げると、彼は全身の鱗を真っ赤に染めていて。赤は歓喜と羞恥が混ざった色。その色のまま、可愛らしい、好きだ、と抱きしめられて。彼は何かを堪えるように顔を伏せて、お互いの身体を離して。

『……酷いことをしていると分かっている。だから、だから、好きにならなくてもいい。けれど、生涯、お、俺だけの傍に、いてほしい』

真っ赤な顔のまま尻尾を垂らす竜人の雄、俺の友情を裏切り、俺のこれからの人生全てを台無しにした憎い相手。けれど。




「優しくしたい、本当なんだ……」

水滴が叩きつける音。ランプの優しい明かりの下で、彼は俺から手を離す。彼は、なんて可哀想な生き物だろう。なんて。

「ずっと、お前に聞いてなかったことがある」

灰色の鱗がびっしり生え揃った頬を手のひらで挟む。きょとんと灰色を薄める彼の、その金色の瞳に俺だけが映るように真っ直ぐ前を向けさせて。ひとつ深呼吸。

「……お前は俺にどうしてほしい?俺は、お前の望みが聞きたい」

お前は俺にどうしてほしい、繰り返す俺の前には目を真ん丸にした竜人が一人。彼は、俺の友情を裏切り、俺のこれからの人生全てを台無しにした憎い相手。けれど罪悪感を抱きながらも俺を閉じ込めて、一方で俺に愛を囁くこの生き物が、ある時とても哀れで小さく見えて。不覚にも可愛らしいと思ってしまったのが、きっとこの感情の始まりだった。

「好きにならなくてもいいから、傍にいてほしい」
「嘘をついても鱗で分かるぜ」
「う」

俺の一挙一動を伺っては鱗の色を変えて、食事の時に触れ、それ以上のことがしたくてたまらないだろうに衝動に耐えるように離れた彼。ひと時も離したくないと訴える本能を理性で抑え、俺の願いを聞き届け、仕事道具を返し、この山の中なら自由に材料を集めてもいいと言った彼。俺が次第に会話をするようになってからは、毎日嬉しそうに尻尾を振っていた彼。憎くて憎くて仕方なかったはずなのに、何故だろう。

「生涯俺の傍にいてほしい」
「それは知ってる」
「俺のためだけに生きてほしい」
「酷い奴だな」
「知っている、知っているけれど、……それでも」

それでも?と続きを促す俺を、彼はその綺麗な瞳に映す。

「……本当は、俺のことも愛してほしい」
「うん」
「俺の、つがいになってほしい」

「優しくしたい」は彼の鳴き声。
「優しくされたい」と泣けない彼の。
「愛してほしい」と言えない彼の。言えなかった、彼の。

「…………ん」

胸のあたりに乱暴に抱きつくと、彼の両の手がおずおずと背中に回される。彼の尾が右足に絡みついてくる。首元に食事ではないキスをする。俺の唇が触れたところから真っ赤に染まっていく彼の鱗がとても可愛らしい。とても愛おしい。俺は彼と違って視覚的に感情を伝えられない人間だから、この感情だけはどんな音にも邪魔されたくなくて顔を上げた。外界の風が止んだ一瞬をついて俺は口を開く。

「……俺もお前に優しくしたいよ」

好き。かわいい。好き。つかの間の静寂に言葉を落とし目を細めると、不意に浮遊感に襲われた。真っ赤な頬の俺を軽々と抱き上げる彼の真っ赤な横顔に、自身の危機を察知する。

「待て、ちょっと待て、どこに行く気なんだお前」
「ベッド。人間はそこですると聞いた。下が柔らかい方がお前に負担がかからない」
「確かにそうだけども、そんな、急に」
「急じゃない」
「そうだけども!」

お前にとったら急じゃないかもしれないが、俺にとっては急な出来事だ。せめて心の準備を、とか、急にやっても多分大きさ的に死ぬ、とかなおも言い募る俺をベッドにそっと降ろし、あやすように頬を撫でる。

「優しくしたい」
「……」
「……いや、優しくする。だから、だから……」

思わず両手で顔を覆った。だって、ずるい。強引なくせに、そんな縋るような声を出すのは、ずるい。身体から面白いくらいに力が抜ける。俺の作ったランプに俺の作ったテーブル、俺の作った食器、そして俺の作った柔らかなベッド。視界いっぱいに広がっていた天蓋を遮って彼の顔が現れる。ここは俺の作った沢山の家具に彩られた彼の巣。そしてきっと今日からは、彼と俺の、愛の巣。緊張を解すように指が絡められる。ゆっくりと近づく真っ赤な彼の心音、幸せだと俺の心臓も鳴いた。



優しさと愛の巣



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人外×人の愛の言葉:風が止んだ一瞬、真っ直ぐに見詰めて「優しくしたい」。
僕から君へ、あいの言葉さんより。

2015.0114 sato91go




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