しかし流石に、今更世界を滅ぼすとは思わなかった。俺の家族とコイツの家族はどこに行ったのかなと半目になって遠くを眺める赤石奏の隣で、ぐにゃん、と欄干の部分が変形して頭、胴体、四肢、そして紺色の膝丈スカートを象る。
「だってソー、広い空が見たいって言ったもん」
赤石奏の隣にはセーラー服の見慣れた少女が立っていた。ひとつ三つ編みにした髪の先端をイエローとライトブルーのグラデーションに煌めかせ、口をとがらせる。ソラ・マヌルハル・ヌソモカオイオコサ・コダウジサカ・キバラである。その仮の姿である。それにしても、はて、広い空が見たいとは。赤石奏はしばし米神に指を当てて考える。ぽくぽくぽく、ちーん。
「ああ、そんなこともあった。街の方に電車で出ていって、プラネタリウムを見に行った時だ」
そうだよそうだよ、と幼馴染は嬉しそうに笑って身体を揺らす。ついでに塔も激しく左右に揺れた。赤石奏は振り落とされてしまわないよう欄干に手を伸ばす。 ああ、確かにそんなこともあった。まだ弟妹も少なかった頃、なけなしの小遣いでプラネタリウムを見に行った。ぽつりぽつりと頼りない光たちが照らす真暗いドームは無限の広さを持っているようで、それに素直に感動した赤石奏は確かにそんなことを漏らしたような気もする。ちなみに入場料が勿体なかったので、この幼馴染はジャム瓶に詰めて連れて行った。
「しかしそれ、何年前の話だろうな」 「だってそのころはやってあげたくても、からだが小さくてぜんぶ食べられなかったんだもの」
私、おおきくなったでしょ、と腰に両手を当てて誇らしげに胸を張る。髪の先が楽しげに踊り、ピンクがぴるぴる点滅した。
「おおきくなったから、邪魔なビルも街路樹も大地もまるのみしたよ! 空広くなったでしょ、ねえソー、満足?」
なるほど丸呑みか、と赤石奏は頷いた。じゃあやはり塔の遙か下方に見える幼馴染の体内にぷかぷかと浮かんでいるビルやら何やらはやはり自分たちの住んでいた世界でいいのか。欄干から身を乗り出して塔を覗き込むと、奥の方に某国大統領の白い家のような建物が見えた気がしたが、考えるのが面倒になって瞼を閉じた。
「お前はやっぱり変わった奴だな。ここまでするか」 「出来るんだもん、ここまでするよ。だって今日は」 「別に俺、今はそこまで広い空が見たいとかそういう気分じゃなかったんだけどな」
がーん。幼馴染兼塔は赤石奏の言葉にがーん、と音を立てて固まった。比喩ではなく、物理的に固体になった。固体のはずだが目尻にはじわり、涙が浮かぶ。赤石奏が額を軽くノックすると、がーんといい音が響く。
「今は、安い卵を買って悦に入って、それから広い空でもケーキでもハンバーグでもオムライスでもなくて、炊き立ての白米とカレイの煮つけが存分に食いたい気分だった」
赤石奏は再び額を小突く。がーんがーん、空しかない世界に音が響いた。
「あ、あした……」 「ん」 「……あした、あしたがんばる、がんばって、カレイ煮る。卵も一緒に買いに行く、五人くらいに増えて、買うし」 「そんなに冷蔵庫に入らねえ」 「うぅ……あとは……」
食べやすいようにカレイの小骨もとるし、と融け始めた口でどうにか言って、ライムグリーンに髪を点滅させる。こいつ料理下手糞だから期待は出来ないなと赤石奏は思ったけれど、口には出さなかった。
「明日、全部元に戻せよ」 「うん。わかったよ。だいじょうぶだよ。口に入れただけだから。死んではいないよ。ちゃんと、全部元に戻すよ。あのドラッグストアもデパートも。みんなも」 「日付も何とかしろよ。地球は今この瞬間も動いてるぞ。ちゃんと明日を今日にしろよ。卵だぞ、卵」 「……それは私にはムリだから、パパとママにたのむね」
うぇえー、勝手にこんなことしておこられるかなぁ、おこられるよねぇー、ぴこぴこ唸る幼馴染の、どろりと融けていく足元を見ながら、赤石奏は俺なら三日間ジャム瓶に詰めて冷凍庫の刑に処すかな等と考えている。質量保存の法則やら何やらをまるで無視したその体を小さな瓶に詰めるところを想像して少し楽しくなってきた彼の顔を見て、幼馴染はうぇえー意地悪考えてる顔だー、ともう一度唸った。
「お前は本当にはた迷惑で面倒で変わった奴だ」
赤石奏はどこか弾んだ声音でそう言った。この迷惑で面倒で変な幼馴染をどういう訳か見捨てられないのは、つまりまあ、そういう事なのだと赤石奏は思っている。もはや諦めにも近い心境で、それでもこのエイリアンと共に過ごす未来も悪くはないに違いないと、そう思っている。そして、一見薄情にも見える幼馴染の結婚して面倒見てもらおう大作戦の根幹にも、自分と同じような感情があるのだろうことも、その感情が先か後かは知らないが、赤石奏は知っている。知っているから、まあ面倒くさい諸々の事はとにかく、と前置きし赤石奏は自分を見上げる小さな頭に手のひらをぽんと置いた。
「プレゼント有難う。嬉しいよ、ソラ」
明日、全てが元に戻るなら、好きなだけこの広い空を満喫することにしよう。どうせ明日はいつものように、弟妹達の世話を焼き安売りを求めて駆け回り一日が終わるのだ。空にはもう、一番星が出ている。虚無の大地に二人ぼっち。
「……はっぴーばーすでー、ソー」
それだけ呟いて全身と塔を赤く揺らめかせる幼馴染が、暗くなっていく赤石奏の視界にキラキラと映る。この世で二人しか知らない一日の中、十八歳ってことはもう結婚できるんだよな、と赤石奏は口の端に微笑を乗せた。
塔になった日
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2014.0729 sato91go
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