「何もない」
ゆらゆらゆらり、自分が浮かぶ音にWは目を開きました。
「世界の終わりだ」
白目のない男が、白く固そうな甲殻に覆われた手でゆっくりと頭上を指しました。チカチカする目をこすって、Wはふわりと浮かび上がります。上も下も右も左も分からない真黒い空間世界。白、青、黄、足の方で流れてゆく小さな星々。男の白い指の先には、キミドリとマゼンタとが混ざり合う渦が、ぐるり、震えるのが見えました。
「おおう、あれが、死。もっと暗い色だと思ってたよ俺は」
意外とカラフルだぁね、Wはへらへら笑いました。
「こんな世界は望んでいなかった、違う、こんな偽物は、こんな不完全なものは」
男は刺々しい手のひらを開いて、消えてしまった天を仰ぎました。
「だから壊すの?」
「創り直さなければ」
「そうか」
「次は、もっとうまく創る」
「そうだね」
「……憎くはないのか?」
「憎いよ?」
だってみんなみんな死んでしまったもの、そしてそれはお前が殺したのでしょう?Wの人差し指は男にそっと向けられました。憎いに決まっているじゃない、みんなお前に殺されたのだもの。
「なら、何故、お前は笑っている」
男はWの髪を掴み乱暴に自分の方に引き寄せました。痛いよ、Wは笑います。流れる星々とWだけを映す男の瞳が黒い世界で鈍く光りました。
「憎いのなら、詰れ罵れ、殺せばいいだろう、この私を」
「いやだよヒトゴロシは怖いもの」
明らかに人ではない男を見つめて、Wは言葉を吐き出しました。
「ヒトゴロシは怖いもの。俺はフツーに笑って怒って泣いて、幸せで不幸で、醜くて美しくて。たくさん傷つけてたくさん傷つけられて、それでもあそこが好きだったよ。でもお前はそうじゃなかったんだね」
お前を傷つけない綺麗なものがほしかったんだね。そのためなら殺すこともいとわなかったんだね。頭上では、マゼンタが回ります。その渦巻きを指差して、Wは微睡んでいるような穏やかな顔を見せました。大きく目を見開いた男の手から逃れ、静かに宙がえり。Wは流れ続ける星を捕まえようと手を伸ばします。
「言えばよかったのに」
さびしいって。Wは星に伸ばした指を見つめています。
「言ってくれたなら、手ぐらい繋いでやったのに」
Wは白い甲殻の両手を取って、ぎゅうと握りました。そのまま、Wは男の身体を引き寄せて、ゆらゆらゆらり宙に浮かびあがりました。
「あは、冷たい」
「……ッ! 何なんだお前は」
どちらが上でどちらが下なのかすら分からない空間。二人は両の手をつないで輪になり、くるくるくるくる、回ります。上も下も右も左も分からない真黒い空間世界。白、青、黄、足の方で流れてゆく小さな星々。Wの視線の先には、キミドリとマゼンタとが混ざり合う渦が、ぐるり、震えているのが見えました。
「綺麗だねーアレ」
「どこがだ」
「全部」
「あれは、死、だぞ」
「うん」
「お前は気色が悪い」
「そうだね」
「お前なぞ、早く死んでしまえばいい……」
言葉とは裏腹に、Wの髪を固く尖った右手が梳いていきます。Wは気持ちよさそうに目を細めました。くるくるくるり、二人しかいない空間で、異形の男とWは踊るように回り続けます。
「俺はきっとお前となら友達になれたよ」
Wは薄く笑いました。俺にはジョーネツとかいうやつが欠けているから、きっと足して2で割ったらちょうどだったね。
「俺たち、一つだったら良かったね」
その言葉に少しだけ、ほんの少しだけ男も口角を上げて、そして、
「あ、」
そして、極彩色の混沌から手が伸び、Wの身体を捕らえました。 ずるずると音を立てての身体は引きずり込まれていきます。どろりとした手が、Wの目を覆いWの耳をふさぎました。尖った指が、Wを引き留めようとしました、けれど。
「いいんだよ」
引き上げてくれなくていいんだよ。お別れすると決めたんでしょう。お前が、決めたんでしょう。もう何も見えないし聞こえない。暗い。苦しいなぁ。ぼんやりする意識の端でWは考えます。暗い、暗い。
(でも、怖くはないんだよ)
痛くもないよ。辛くもないよ。少し悲しいけれど。さびしいけれど。痛くはないよ。怖くはないよ。さよなら。最後に残った、手のひらを伸ばし、唇だけで微笑みました。
「どうか、次はずっといっしょにいて、ね」
口内に侵食する無数の混沌の手のひら、さよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよなら。Wの中に侵入する数えきれない言葉の塊、映像、思い。ぐるぐる回るキミドリ、マゼンタ。さような、ら。ごぷり、小さな音と共にWの意識は内側から静かに溶かされていきます。
(さよなら、)
最期にWの指先に触れたのは、刺々しい手のひら。
――そして、世界は終わりました。
Goodbye, World.
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世界の終わりネタって一度は書いとかなきゃいかんかなと。 でもたぶん世界の終わりってこういうことじゃない。
2012.07.09 sato91
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