深海魚の夢を見たのです。
少年は睫を揺らしながら呟いた。
深海魚の夢を見たのです。暗い水底に一人沈んでゆくわたしと、つぶれた顔の魚が一匹。光の届かない、暗い、暗い、そこ、底でわたしは、ぼんやり発光する彼と出会いました。蒼い光。耳を済ませると、彼が身じろぎをする度、うろこがぽろぽろとこぼれる音がしました。鈍色のうろこが舞い、光ります。彼は生気の無い目をわたしに向けてこう言いました。
「「お嬢さん、嵐が来ます。これから嵐が来ます。船が来るでしょう。船は沈みます。あなたは王子さまを助けて恋をします。そして最後は」」
にんぎょひめ、ええそうです、そうですか。こんな深海に沈む人魚姫にも王子さまは会いに来てくれるのですか。嬉しいのですか。……いいえ。
わたしの王子さまは恩人を勘違いするようなひどい人なのでしょうね。わたしが一途に想っても、どうにもならないのでしょうね。届かないのでしょうね。わたしがそう言うと彼はゆらりと尾を動かして、唇を歪ませました。ぽろぽろと剥がれ落ちるうろこ。光を反射してきらきらこぼれてゆきました。
「「それなら、あなたなら、心臓にナイフを突き立てますか?」」
「……それで、ぼっちゃんは」
なんて答えたんですかぁ、そう言って男は欠伸を噛み殺した。染み一つ無い絨毯に乱暴に腰を下ろし、伸ばしっぱなしの灰色の髪を鬱陶しそうに掻く。
(めーんどくせぇなぁー)
このお坊ちゃんは話し始めた途端、彼など空気のように扱いだすくせに、ちゃんと話を聞いて相槌を打たないと、後で縛る殴る蹴る刺すエトセトラエトセトラ、暴行の嵐である。面倒くさい、男はもう一度欠伸をした。
「わたしはアンデルセンの絵本が好きでした」
姉たちが自分たちを犠牲にしてまで人魚姫を救おうとしたこと。それでも彼女は王子さまを守ったこと。海の泡沫。それらのすべての美しさ。わたしは好きでした。でもね、少年はひとつ呼吸をした。
「わたしなら、心臓を一突きだなんてそんな、そんな生易しいことはしないでしょう」
男を指差して、少年は。
「わたしなら、飽きるまで飼い殺しにして、それから剥製にして部屋に飾ります」
とん、と男の左胸を人差し指で突いて。二人は、喉の奥だけで笑った。
「それは、アンタをブッ殺して剥製にし損ねた挙句、その標的サマサマに拾われたこのカワイソウなアタシをですかぼっちゃぁん」
返された嘲笑に、なんて悪趣味な、そう唇だけで囁いて、殺し屋は揺りかごのような眠気とともに、笑う。窓の無い部屋。それでも扉はずっと開いているのに、男はちらりともそれを見ようとしなかった。
「無能な犬を雇った者もいるものですよね」 「……アンタときたら毒もナイフ何も効かないんですからねぇ、こんな化けモン殺せっていう方が無理なんですよ」 「何とでもお言いなさい」
気分を害した様子もなく少年はただ笑う。そんなところが気色悪いってんだ、男は天を仰いだ。
(死にたくはないのにねぇ)
逃げ出したいがどうにもならない、このガキの前では。訳の分からない力が彼には有って、それに抗う能力も気力も男には無かった。首を回すと首輪についた鎖が重い音を立てる。
男の青い目に映るのは白い部屋と小さな飼い主だけ。何がどうだってかまわないさ、どうだって。諦めることにも慣れたなぁ。ぼんやりと、不思議なくらい穏やかな気持ちで、男は天井を眺めていた。そこに、ゆらりと映る水面のような影。海の、底。
――『王子様を助けて恋をします』。
(嗚呼なんだ、)
ぎぃ、古い扉が閉まる音が聞こえる。隙間から漏れていた光はだんだん細くなっていく。夜だ、夜がこの部屋に。嵐が、来る。
「ぼっちゃぁん」
「なんですか」
立ち上がるとぽろぽろと剥がれる鎖の塗料。ぼんやりと蒼く光る目に少年が映す。男は少年の白い手を取って、頬を擦り付けた。
「底は此処でした、ねぇ」
暗い水底で、王子さまは嗤った。
底
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ほのぼのショタ攻めを書こうとしたんです!うそじゃないんです信じてくださいアーッ!!!
2012.06.17 sato91
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