私はずっとここを見てきた。捕らえられ利用され隠され忘れられてから誰にも知られずずっとここを見てきた。あの日までに、日が何度のぼり沈んだだろうか?月が何度満ち欠けを繰り返しただろうか?この世の全てから忘れられた私にその子供は笑ったのだ。

『おれがおぼえていてあげるよ、ドラゴン』

あの日、その黒い瞳の子どもは不細工な花輪を私の指に着けて、笑ったのだ。


――鐘が鳴り響く。


鎧を着た子どもたちが狭い場所にひしめき合っていた。

子どもたちは再会の喜びに笑いあったかと思うと、お互いの肩を抱いて泣き始めた。彼らは、もう知っているからだ。ここに集められた理由を。

「戦場に、行かなけりゃ」
「国を守らなくては」
「もう帰ってこられないだろうけど」
「死ぬだろうけど、さ」
「健やかに生きろ、兄弟。全てを、語り継いでくれ」

「我らは、永遠に兄弟だ、お前が覚えている限り」

――鐘が鳴り響く。

「さようなら」

戦場に向かって、子どもたちは武器を手に、一斉に階段を駆け下りる。私はここで銀色の群れを首を伸ばして見つめている。私は何も感じてはいない。私は彼らの兄弟ではなかった。長い首に繋がれた鎖が重い音を立てる。二十年余りの時を共に過ごした子どもたち、子どもでなくなった人間たちを、私は彼らをずっとここから見ているだけ。しかし彼は違った。



「お願いだ。一緒にきてくれ、お願いだ……」

私の足元に立った子どもが泣きじゃくる。黒い瞳に大粒の涙を浮かべ、落とす。私がいつものようにゆっくりと彼に鼻を近付けると、彼は精悍な顔を上げ、大きくなった両手を伸ばした。

「お願いだ。一緒に来て。戦って。このままじゃみんな死んでしまうから」
「……お前も、私を利用するのか」

彼は傷ついたような目で私を見上げて、こくんと一つだけ頷いた。俺は兄弟たちの為にあなたを利用する、新しい雫がぽろりこぼれて落ちた。

「生きていて、ほしいから」
「知っている。お前の一番大切なものは、私ではない」
「……そう」

私はなれなかったのだ。彼の兄弟たちよりも大切な存在にはなれなかったのだ。彼にとって私は唯一無二の存在ではないのだ。小さく首を横に振る。ごめん、ごめんなさい、そう彼は私の足に縋りつき、また泣いた。

「ごめん、なさい……っ」
「謝るな」
「あなたを、傷つけるつもりじゃ、なかった」
「傷ついてなどいない!」

怒りに大きく身をふるわせると、派手な音がして鎖が解けていった。いつからこの鎖は緩んでいたのだったか。それなのにいつから私は逃げようとしなくなったのだったか。思い出の中の彼が無邪気に笑う。生きてきた途方もない年月に比べれば、ほんの少し前の出来事のはず、それなのにずっと遠い昔の事のような気がする。瞼の奥の彼の笑顔がかすむ。私の目の前の彼はぽろぽろと泣いていて、足の指にはめられた花輪はもうとっくに朽ちていた。

「……戦ってやろう」
「一緒に、行って、くれるのか?」
「ああ、一緒に逝ってやろう」

それが望みなのだろうと問うと、彼は一瞬大きく目を見開いて、ぐちゃぐちゃになった顔で、一度だけ頷いた。

「ありがとう、……ドラゴン」

足の指にはめられた花輪はもうとっくに朽ちている。それなのに私は何故彼から逃げようとはしないのだろう。私は彼の兄弟ではなかった。彼に覚えていてもらう資格など初めからなかった。彼は私のものではなかった。それなのに不意に、彼の顔が私の鼻先に触れる。彼の体温をうっすらと感じ、私は思わず心地よさに瞼を閉じた。ぽとり、彼が兄弟たちのために流す涙が私の顔に落ち、伝う。兄弟たちのための。私のためのものではない。私のためでは。目の前を真っ赤なものが覆っていく。


「触れ、る、な!」


遠くで鐘が鳴り響く。身を震わせて泣き止まない彼。私には初めから何もなかったのだ、心の中で何度も何度も繰り返して、赤く染まった空に吠える私の声、どうやら私も泣いているらしかった。





花枷



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いちばんになりたかった。


2012.09.12 sato91go




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